すんなり「後継ぎ」として会社に入っていった

――小さな頃は、家業にどんなイメージを持っていたんですか?

 当たり前のように生活の中に家業がありました。今ほど衛生面も厳しくなかったですから、遊びにいってお菓子をつまませてもらっていました。
 当時、父がかなり忙しかったので、朝だけが一緒にいられる時間でした。一緒にご飯を食べて、当時は朝礼が7時20分だったので、それに一緒に出て、学校まで送ってくれました。そのついでにお菓子をもらったりして(笑)
 また、弊社は新年会など社員全員での行事が年5回ほどあります。日帰りの行事には、小学校に入る前から参加していました。

――当たり前のようにお菓子があって、家業があって、という存在だったんですね。

 私は兄弟がおりませんでしたので、みんなが自然と後継ぎのように扱ってくれて、意識することもなく、会社の中に入っていったのかなと思います。将来、私は八ッ橋の仕事をするんだろうと思っていました。
 はっきりと父に「八ッ橋をやりたい」と口にしたのは、小学校高学年の頃。受験をする子は「お医者さんになる」とか、周りの友人たちも進路のことを考え始めていて、私は「父の仕事を継ぐんだ」という自覚をしたという感じでした。

――お父様はなんておっしゃっていたんですか?

 「無理やりやらなくていいよ。それだけが道とは思わなくていいよ」と言ってくれました。でも後から母に聞くと、父は大変喜んでいたようです。

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