業界の殻を破ろうと飲み歩いて人脈づくり 保育園事業を広げた3代目
東京都内で90年間保育園を手がける社会福祉法人の後継者が、3年前に株式会社を設立。成田空港近くのホテル内に企業主導型保育園を開きました。閉鎖的になりがちな業界の殻を破るため、若き後継ぎは飲み会などで培った異業種との幅広い人脈を生かしています。
東京都内で90年間保育園を手がける社会福祉法人の後継者が、3年前に株式会社を設立。成田空港近くのホテル内に企業主導型保育園を開きました。閉鎖的になりがちな業界の殻を破るため、若き後継ぎは飲み会などで培った異業種との幅広い人脈を生かしています。
廊下に空から見た世界や、滑走路のデザインを施す――。「なりた空の保育園」はホテル日航成田内にある日本航空(JAL)の従業員向けの企業主導型保育園です。運営する株式会社ONEROOF代表の菊地元樹さん(38)は、祖父の代から続く社会福祉法人東京児童協会の後継者でもあります。
菊地さんは両親が運営する保育園の2階にある自宅で育ちました。「保育園の園長として地域の信頼を得ている両親は自慢の存在で、大きくなったら自分も保育園の仕事をすると自然に思っていました」
大学卒業後に一般企業を経て、1年後に実家の運営する施設の一つである「白河かもめ保育園」に事務職で入りました。「当時は何をしても『園長先生の息子』という色眼鏡で見られました。保育の知識も経験もない自分に、周囲も期待していなかったと思います」
3カ月後、厚生労働省の外郭団体である日本保育協会に出向することに。保育園や保育士を対象にした研修を担当し、全国の保育園を回りました。「ほかの園を知ることで、両親の保育事業のすばらしさを改めて実感するようになりました」。子どもの発達に合わせた遊びの環境づくりや、生活と食事の場を切り離すことで時間に余裕をつくる仕組みなど、当時の先端を走っていた両親のやり方を、目指すようになります。
一方で、菊地さんは保育業界に課題を感じていました。そのひとつが「60歳で一人前」とみられる風潮です。実際、多くの経営者が60代以上。「新しいことへの抵抗感がものすごく強い。地元の名士として世襲するケースも多く、挑戦する空気はあまり感じませんでした」と言います。
業界の常識とは違う視点で、保育事業をビジネスとして成長させたいと考えた菊地さんは、ユニークな行動に出ます。銀座に1人で飲みに行って一から人脈を作ろうと、決して高くはなかった当時の月給のほとんどを飲み代につぎこみました。「まったくツテもなく緊張しながら、銀座のバーなどに毎晩、繰り出しました」
↓ここから続き
しばらくすると、店員や常連客と親しくなり、芋づる式に異業種の優秀な人材とつながっていきます。経営者、企業のPR担当、設計士、デザイナー・・・。彼らとの会話は刺激と示唆に満ちていました。「銀座のバーでは『1度言った約束は絶対に守る』『人を裏切らない』といったビジネスの姿勢を教えてもらいました」
優れた「本物」の人材と接することで、多くの経営哲学やセンスも学び取ることができました。「仕事に対する姿勢、信用を得る大切さ、どんな人物を参謀とすべきかといった教えは、今でも自分の糧になっています」
出向先から「白河かもめ保育園」に戻った菊地さんは、事業拡大に着手します。自治体の公募に片っ端から手を挙げ、副園長就任時に5つだった保育園を約10年で21園に増やしました。
2011年に開設した「新宿三つの木保育園 もりさんかくしかく」(新宿区)では、培った人脈が役立ったといいます。設計途中で大幅な仕様変更というトラブルが発生し、急きょ新たな設計士を探す事態になりましたが、銀座の飲み仲間の人脈がピンチを救いました。
「飲み仲間のツテで、大手商業施設やミュージシャンのMVなどを手がける著名なデザイナーを紹介してもらえました。プロフェッショナルの力で、『これまでにない保育園を』という想いを見事に形にすることができました」。優しい自然光にあふれ、カラフルなデザインを取り入れた同園は、区や保護者からも高い評価を得て、その後の菊地さんのチャレンジを大きく後押しします。
事業拡大にあたっては、組織マネジメントの壁にもぶつかりました。現場の保育士たちから、自分の勤務する園が変わったり、スタッフが別の園に移動したりするのは困る、という声が上がったのです。
保育士の協力がなければ事業は成り立ちません。「一人ひとり丁寧に話をして、新しい方針を説明しました」。革新的な若手園長と、慣れ親しんだ職場環境を変えたくないスタッフの綱引きは一筋縄ではいきませんでしたが、菊地さんの方針に共感するメンバーも。そういうメンバーに役職と責任を与えたことで、解決の糸口をつかむことができたといいます。
時短勤務やメンター制度なども積極的に導入し、保育士が働きやすい環境づくりに取り組むと、離職率も大幅に下がりました。「いい保育を広めるには、昔ながらのブラック企業体質ではダメ。企業として、仕事とプライベートを両立できる働き方を整備していきたい」
2015年4月には、同時に4園5施設を開園するなど、ハイスピードで保育事業を拡大。保育士も100人規模で採用しました。日本様式の畳張りの保育園や、葛飾北斎の絵を全面に取り入れた保育案など、独自のデザインやコンセプトでも注目を集めています。
菊地さんが、さらなる挑戦として設立したのが、株式会社ONEROOFです。「社会福祉法人が運営する認可保育園では、法律の規制からできないことがたくさんあります。もっと幅広い保育ニーズに応えるためにも、株式会社として企業主導型保育園に本格参入しようと考えました」
同社初の企業主導型保育園が2018年、ホテル日航成田内のフロアに開いた「なりた空の保育園」です。同園を開いたきっかけにも、人脈が関わっていました。「保育業界以外の友人が、ホテルの方と知り合いでつないでもらい、企業内保育事業のことを話しているうちに、JALの従業員向けの保育園を開くという話がトントン拍子で進みました」
同園は、保育士の半分が外国籍で園長はスリランカ人という環境の中、ダイバーシティや英語教育に力を入れ、グローバルに生きる子どもを育てる取り組みで、注目を集めています。さらに、菊地さんは学童保育事業にも参入して、東京都江戸川区に「ワンルーフキッズ船堀」をオープンしました。「会社として運営する企業主導型保育園や学童保育なら、思い切ったこともチャレンジしやすい。ここから、未来の子どもたちを育てる理想の保育をリードしていきたいです」
菊地さんの目線は、国内にとどまりません。3年前から海外進出の準備を進め、コロナ禍が無ければ、2020年にベトナムで初めての海外保育園を開設する予定でした。 「少子高齢化が進む日本は、2030年には保育事業の需要と供給が反転すると言われています。海外に活路を見出すのは当然だと考えました」
2020年にアナログな遊びとデジタル空間を結びつけた新規事業「ワンルーフラボ」を始めました。「インターネットの仮想空間にさまざまなアトラクションを集めて、誰でも楽しめるようにしたものです。ARやVRでビー玉が落ちるのを眺めたり、触った感覚を味わいながらくじを引いたり、未来感あふれる遊びを提供します」
菊地さんも順風満帆だったわけではありません。過去には、個人で取り組んだレストランや人材派遣事業で挫折した経験もありました。今、支えになっているのは、保育業界にとどまらない人の輪だといいます。
「事業承継は自社の強みを活かしつつ、時代に合わせた新規事業にどんどんチャレンジすることが大切ですが、成否を左右するのが人脈や信頼、タイミングです。人を重視する姿勢をしっかりと見せることで、周囲の理解やサポートを得ていきたいと考えています」
(続きは会員登録で読めます)
ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。
おすすめのニュース、取材余話、イベントの優先案内など「ツギノジダイ」を一層お楽しみいただける情報を定期的に配信しています。メルマガを購読したい方は、会員登録をお願いいたします。
朝日インタラクティブが運営する「ツギノジダイ」は、中小企業の経営者や後継者、後を継ごうか迷っている人たちに寄り添うメディアです。さまざまな事業承継の選択肢や必要な基礎知識を紹介します。
さらに会社を継いだ経営者のインタビューや売り上げアップ、経営改革に役立つ事例など、次の時代を勝ち抜くヒントをお届けします。企業が今ある理由は、顧客に選ばれて続けてきたからです。刻々と変化する経営環境に柔軟に対応し、それぞれの強みを生かせば、さらに成長できます。
ツギノジダイは後継者不足という社会課題の解決に向けて、みなさまと一緒に考えていきます。