池袋「ゲームセンター発祥の地」で家業とまちづくりを担う3代目
東京・池袋の繁華街にある「ロサ会館」は、1968年のオープンから「娯楽の殿堂」として日本のアミューズメント文化や流行の発信地となってきました。祖父の代からのファミリーヒストリーをたどりつつ、3代目が志す「文化と経済」の融合による「池袋」の将来像を紹介します。
東京・池袋の繁華街にある「ロサ会館」は、1968年のオープンから「娯楽の殿堂」として日本のアミューズメント文化や流行の発信地となってきました。祖父の代からのファミリーヒストリーをたどりつつ、3代目が志す「文化と経済」の融合による「池袋」の将来像を紹介します。
東京都など首都圏1都3県で、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止に向けた2度目の緊急事態宣言が出た2021年1月8日の朝。
「どんなに苦しい時でも、人は娯楽や息抜きが必要。そういう『文化』を提供しているんだと誇りを持って、お客様をお迎えしましょう」
東京・池袋駅西口に近い大型アミューズメント施設「ロサ会館」を運営するロサラーンド(東京都豊島区)の伊部知顕(さとあき)取締役(43)は、社内会議で従業員に向けてこう呼びかけました。
「池袋西口界隈を歩く人は、やはり朝から少なかったですね。前回の2020年4月の緊急事態宣言では初めて『全館休業』に踏み切りましたが、時短営業を考えています」
そう話す知顕取締役は、3代にわたってロサ会館を運営してきたロサラーンドの後継者として現場の指揮をとっています。
ロサ会館の開業は1968年10月。ロサはスペイン語で「バラ」を意味します。池袋の繁華街にあって東京の大衆娯楽をけん引しただけでなく、日本のアミューズメント文化の発展にも大いに貢献しました。
終戦翌年の1946年に開業した「シネマ・ロサ」などの映画館は、今も経営を続け、インディーズ作品にも強くコアな映画ファンを魅了。オープン当初からあるボウリング場は今も2フロアで営業しています。
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プロがレッスンするほか、熱心なボウリングファンが定期的に集う「クラブリーグ」の一大拠点として名を馳せています。
日本初の「ゲームセンター」も、ロサ会館で生まれました。ゲーム大手タイトーの創立者で、日本に来たユダヤ系ウクライナ人のミハイル・コーガンさん(故人)が、ロサ会館からの相談を受けてクレーンゲームやピンボールなどを置いたのが始まりでした。
1970年代後半にはタイトーが開発した「ブロック崩し」や「インベーダーゲーム」などのビデオゲーム機がブームとなり、その後は他社も最新ゲーム機を持ち込んで、大量の若者を集める大型ゲームセンターに成長。ここを発祥に、日本のゲーム機メーカーやゲームソフト開発会社が勃興し、後に世界に羽ばたく産業へと育っていきました。
5階にあるビリヤード場や、8階のダーツ場「トーキョー・ダーツ・スタジアム」はいずれも日本最大級の規模を誇り、専門ショップも置いたため多くのプロ級プレーヤーが集います。
「昔は『娯楽の殿堂』という言葉もありましたが、それ以後も娯楽・アミューズメント文化をリードする場所として磨きをかけてきた自負があります」
知顕取締役は「コロナ禍になってから、ビリヤードなどは独りで技を極めたい人のほか、新たに始めたいという人が来るようになりました。2013年から全面禁煙にしたので、今では客層が女性や子供にも広がっています」と続けます。
ファミリー・ビジネスとして娯楽業を始めたのは戦後から。ロサ会館を建設したロサ土地(現ロサラーンド)は、知顕取締役の祖父である伊部禧作(きさく)さんを中心に、伊部家の親戚・姻戚筋である尾形家や松田家が共同出資して創業しました。
禧作さんは当時、山之内製薬(現アステラス製薬)の重役でしたが、戦後に山之内製薬の経営が傾いた時期に、会社を再建するために一部の社員を連れて別の製薬会社を創業。その会社は今、「ヘパリーゼ」などの栄養ドリンクを手がけるゼリア新薬工業となっています。
禧作さんは「戦後、必要なのは娯楽だ」として、映画業界に精通した大学時代の同級生からアドバイスを受けて映画館を開業しました。娯楽に飢えていた都民で大いに賑わい、池袋で映画館を3館まで増やしました。
その当時に映画館の初代社長を務めていたのが、禧作さんの義母である尾形きんさん(知顕取締役の曽祖母)でした。きんさんは映画館の成功を受けて「レジャーがたくさん集まった一大拠点を築きたい」という夢を持ち、それがロサ会館の誕生につながるきっかけを作ります。残念ながら、きんさんは同会館が開業する前年に亡くなりました。
会館の建設・開業を率いた禧作さん。しかし、知顕取締役は「まだ当時は大型施設のテナント貸しがまだ一般的でなかった時代なので、店子の誘致には非常に苦労したそうです」と当時の事情を説明します。
3人の息子や親戚に「1階に入る魅力的なメインテナントを探してこい」と号令をかけたところ、禧作さんの息子で、知顕取締役の父である伊部季顕(すえあき)・現社長がゲーム機の貸し出しをしていた太東貿易(現タイトー)に出会いました。
季顕社長は当時、戦後のメンズファッション界「アイビールック」などで一世を風靡した、石津謙介さんが創業した「ヴァンヂャケット(VAN)」に勤めていました。
その取引先で懇意にしていた人に相談したところ、タイトー創業者のミハイル・コーガンさんを紹介されたそうです。
しかし、インベーダーゲームが大ブームとなった1978年に、VANは多額の負債を抱えて経営破綻。季顕社長はVAN倒産の後始末をした後、1980年にロサラーンドに入社しました。
季顕社長が最初に手がけた仕事は、会館の屋上にあった潰れたビアガーデンを撤去し、新しい活用法を考えることでした。目をつけたのは当時、流行しつつあったテニス。
田園調布や大森など東京の郊外に多かったテニスコートを2面、ロサ会館の屋上に展開しました。グリーンの人工芝しかなかった当時に青い人工芝を敷いた目にも斬新なテニスコートは「都会の中でできるテニス」のコンセプトが受け、折からのテニスブームにも乗って大賑わいをみせました。
季顕さんは1986年に社長に就任。バブル期を迎えた1989年には、米カリフォルニア州などの視察でピンク色の建物がロードサイドに多いことに着目し、ロサ会館の外壁を今に残る「バラに似たピンク色」に塗り替えました。
バブル後の90年代後半にテナント入居企業の収益が悪化すると、ボウリングなどの施設を自社で買収したほか、ビリヤード、ダーツ、ライブハウス(地下2階)などの新たな事業にも乗り出し、現在ではビル内の7割が自社運営になっています。
そんな文化と娯楽の集積地を、しかし知顕取締役は当時、「あまり好きではなかった」と打ち明けます。
「屋上のテニススクールに通ったり、映画館を利用したりはしていましたが、少し危険な池袋西口にあっていろんな人が集まる施設だけに、子供のころは『これを継ぐのは嫌だな』と思っていました。ロサ会館が家業であるとは友人にも話していませんでした」
暁星中学・高校(千代田区)を経て、京都の立命館大学理工学部に入学。2001年に卒業すると、米国に留学して米カリフォルニア大学バークレー校でマーケティングを学び、卒業後はニューヨーク市や東京の不動産会社に勤務しました。
転機が訪れたのは2008年。ある日、雑誌で「これからは文化経済の時代だ」という言葉を目にした時のことです。
発言の主はジャパンライフデザインシステムズ(東京都渋谷区)の谷口正和社長。マーケティング・コンサルタントの草分けとして商業・観光などの産業で新しい発想を紡ぎだし、長く「文化経済研究会」も主宰してきた谷口氏には『文化と芸術の経済学』などの著作もあります。
知顕取締役は「これからは文化が経済をけん引するという発想は、大学時代を京都で過ごし、米国でもまちづくりを見てきた自分としては、すごく腑に落ちる面がありました。『これだ!』と思ってその会社に入ろうと応募しました」と振り返ります。
2009年にジャパンライフデザインシステムズに入社すると、谷口氏の薫陶を受けながら、首都圏にある大型商業施設の顧客誘致や顧客創造、そして文化ビジネスに携わりました。東京各地の「街の姿」について学び、考えるうちに、地元である池袋のことを考える機会に巡り合いました。
2008年6月に東京メトロ副都心線が開通する前に、今後の池袋のまちづくりについて語り合う勉強会が立教大学などで開かれました。それらに参加して、池袋を敬遠していた気持ちは、徐々に変わっていったのです。
「山手線の中にあるターミナル駅なのに、駅周辺部開発が進んでいなくて、商業地区のすぐ周りを住宅地が囲んでいる。池袋は今でも、まちづくりが『地べた』からできる大きなチャンスがある街だと思い直しました」
池袋がある豊島区で、1999年から区政を率いてきた高野之夫区長が「文化によるまちづくり」を推進してきたことも、知顕取締役の考え方や志向性と一致していました。
豊島区には小さな公園はたくさんあっても、大きな公園が少ないのが実情です。このため、かつては「育児に向かない」とも批判され、2014年には「消滅可能性都市」として豊島区の名前が上がりました。
そこで、豊島区が2016年に策定した「国際アート・カルチャー都市構想実現戦略」では、この年にオープンした南池袋公園をはじめ、池袋西口公園、中池袋公園、サンシャインシティの東にある造幣局跡地の新公園「としまキッズパーク」の4つの大型公園を整備し、街を変えていく政策を進めてきました。
知顕取締役は2011年にロサラーンドに転じ、区政に協力する形で高野区長や地域の有志らと連携を深め、池袋駅西口駅前地区の再開発プロジェクトに副理事長などの職務で関与しています。「文化が経済の流れを生み、街を盛り上げる。その信念で、まちづくりに力を注いでいきたい」と、知顕取締役は意気込みを見せています。
ロサ会館のある西池袋1丁目37番街区では、南隣する同21番街区と一体になって新しい商業・文化ゾーンとする再開発計画が進行中。
「時代が変わっても、文化がもたらす知性と娯楽性は変わらず人々に必要とされ続けます。池袋はコンパクトな範囲の中に、いくつもの魅力が潜むような街になると思っています」
家業としてのロサ会館だけでなく、池袋の魅力創出を地元住民として引き継ぐ覚悟と決意を抱いています。
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