来店客ほぼゼロからの脱却 和菓子店3代目の「無理がない」経営改善
城下町として栄えた三重県伊賀市の和菓子店「くらさか風月堂」の3代目・倉阪浩充さん(48)は、かつては来店客がほぼおらず、一時は廃業も覚悟した家業を、売り切れ続出の人気店に変えました。内向きの経営を顧客視点に変えつつ、無理のない経営改善が実を結びました。
城下町として栄えた三重県伊賀市の和菓子店「くらさか風月堂」の3代目・倉阪浩充さん(48)は、かつては来店客がほぼおらず、一時は廃業も覚悟した家業を、売り切れ続出の人気店に変えました。内向きの経営を顧客視点に変えつつ、無理のない経営改善が実を結びました。
くらさか風月堂は倉阪さんの祖父が100年前に創業し、父親が2代目を継ぎました。倉阪さんは双子の長男として生まれました。小さな頃は、弟と粘土でお菓子の形を作って遊んでいたそうで、高校卒業後に京都の和菓子店で、5年間の予定で修業に入りました。しかし、体調を崩して予定よりも1年早く家業に戻りました。
治療を続けながら、父親と店に立つこと約1年。今度は父親が脳腫瘍で突然倒れました。一命は取り止めたものの、店に立てる状態ではなく、倉阪さんが店を切り盛りすることになりました。「父は入院、自分も体調が悪く、本当に大変でした。接客などは母親に任せて、職人として目の前の注文を必死でこなしました」
当時のくらさか風月堂は、スーパーなどへの卸販売と、昔からのお得意さんからの注文品が、メインの収入源でした。松尾芭蕉生誕の地として知られる伊賀市は、城下町として栄え、和菓子文化が根付いており、茶道とも縁の深い土地柄です。冠婚葬祭には和菓子を使い、お茶席も多く、注文品だけで十分に店の経営が成り立ったのです。「来店客はほとんどおらず、私は誰にも会わず作業場にひきこもってお菓子をつくっていました。お客さんの顔も分かりませんでした」
倉阪さんが25歳のとき、父親が息を引き取りました。「まだ駆け出しで、伊賀地方ならではの和菓子の文化や作り方を父に教わっている途中でした。一緒に作業場に立っていたときは、ケンカばかりしていましたが、もっと学びたかったし、父も教えたいことがたくさんあったと思います」
3代目となった直後の26歳の時、妻の千鶴さんと結婚しました。看護師として、病床の父を担当していたのが縁でした。「結婚当初は私の体調も良くない中で、注文品も年々減り、商売はギリギリでした。妻は『お店に万が一のことがあっても私が働くから』と、看護師を続けながら心身ともに支えてくれました。今も頭があがりません」
苦境にあっても後を継いだ以上は、生き残りを考えなければいけません。「城下町には老舗の和菓子店が数多くあります。歴史では300年、400年の店には敵いません。知名度も高くないし、職人は私ひとりで量産もできない。正直、課題が何かも分かりませんでした」
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試行錯誤の中で、唯一はじめたのが茶道でした。茶道に精通することで、京都で学んだ「上生菓子」を軸に、季節感のある商品を強みにしようと考えました。「茶道は20年以上続けています。春には春の、夏には夏の和菓子があり、季節感を感じてもらいたいという思いは、若い時からぶれませんでした」
転機が訪れたのは倉阪さんが38歳の時でした。くらさか風月堂に伊賀市の中心市街地活性化事業で発行する冊子の取材が入ったのです。
それまで取材されたことがなかった倉阪さんは、衝撃を受けたといいます。古いと思っていた店舗は「趣があっていい」とほめられ、「職人が一人で手作りしていることに価値がある、90年(取材当時)の歴史も浅いとは思わない」とも言われました。そして季節感に対するこだわりを興味深く聞いてもらい、和菓子を美味しそうに食べる姿を目の当たりにしました。
「取材スタッフは皆さん30代くらいの女性で、地元出身の方はいませんでした。私たちが当たり前だと思っていたことが褒められ、外からの視点だと強みに見えると気づきました」
中心市街地活性化事業には冊子制作以外に、経営アドバイザーのサポートがありました。倉阪さんはそのアドバイスを実行に移すことにしたのです。
自身は経営課題をこう感じていました。「生活様式の変化で、冠婚葬祭での注文品が減り、顧客の高齢化も肌で感じていましたが、目の前の仕事を必死でこなすだけで、お客様の姿が見えていませんでした」
経営アドバイザーからは「未来の顧客をターゲットにしてみては」というアドバイスを受けました。未来の顧客とは、主に30~40代の女性を指します。その世代はSNSでのクチコミ力に優れ、彼女たちの子供が未来の顧客となってくれるというわけです。
「それは目から鱗でした。難しいことや、お金や人手がかかることはできませんが、『そのままでいい、普段の姿を見てもらいましょう』と言ってもらえたことが、やる気と励みになりました」
「普段の姿」を強みにするために、倉阪さんが取り組んだのは以下の3つでした。
①来店したくなる店づくり
②地元のマーケットへの出店
③SNSでの情報発信
まずは、実店舗の現状把握から始めました。それまで、注文品の用事しか来客がなく、お客様を迎えるという意識が薄かったといいます。
ショーケース横の座敷スペースは印刷物やチラシの置き場と化し、煩雑な印象でした。しかし、余計なものを片付けて、座敷スペースはお茶飲みスペースとして復活させました(※現在は感染予防対策のため店内飲食は禁止中)。
また、外観は色あせたままだった暖簾を新調し、不統一な看板やのぼりを撤去してスッキリとさせて、建物本来の趣を取り戻しました。「お金がなく店を建て替えなかったことが、結果として価値となりました。補修は必要ですが、歴史ある建物の良さを生かすことに気づかせてもらいました」
2014年から始まった伊賀市中心部の上野市駅前のマーケットにも毎月出店しました。店から駅までは徒歩15分程度ですが、何十年と同じ場所で商売をしていても、店に入ったことがない、知らないという地元の人の認知度を高めるためでした。
マーケットは、お客さんが「くらさか風月堂」と出会う場になると同時に、倉阪さんもお客さんの顔が見える場所となりました。「来月は何を作ろうかと仕事の張りにもなりました。この頃から体調も良くなって、頑張れました」と笑います。伊賀市の生産者との縁も生まれ、いちごやブドウなど伊賀産の農産物を使った大福、酒蔵とコラボした新商品などが生まれました。
同時にSNSでの情報発信も始めました。「メールもほとんどしたことがない私たちに情報発信ができるのか不安でしたが、『今が素敵だから、和菓子店の日常をそのまま発信すればいい。その代わり決まった時間に毎日発信しましょう』とアドバイスされ、妻と二人三脚で頑張ることにしました」
2014年にフェイスブックページを開設。倉阪さんが写真を撮り、内容を考えて口頭で伝え、千鶴さんが投稿する形で、ほぼ毎日正午に更新しています。
美しい和菓子の写真、普段見ることができない職人技、何より温かみのある人柄が伝わり、30代~40代の女性を中心にフォロワーはたちまち増加しました。2016年からはインスタグラムも併用し、フェイスブックは約1000人、インスタグラムは約6200人のフォロワーがつくほどの人気になりました。
「反応が嬉しくて、全てのコメントに返事をしています。つづっているのは和菓子店の日常ですが、夜中までの仕込みの様子や、生地を手焼きしている動画など、お見せする機会がなかった部分を知ってもらうことで、お客様も私たちを身近に感じてくださっているのかもしれません。写真は独学ですが、自然光で、いろんな角度から何枚も撮って、納得のいく1枚をアップしています」
一連の経営改善は「苦なく、無理もなく、楽しかったので続けられました」と倉阪夫妻は振り返ります。内向きだった経営を、外に大きく開いたことで店の客層はがらりと変わりました。リピーターが増えて、コロナ禍でも、人気商品の発売日には客足が途切れず、時には1日100組近くのお客さんが来る日もあったそうです。
スーパーへの卸販売はやめましたが、注文品などこれまでの付き合いも大切にしつつ、新規顧客の増加で、マーケットへの出店前と比べ売り上げも2~3割増えたと言います。
「地元の若い方が店の魅力に気づいてくれ、県外からわざわざ足を運んでくださる方もいて感激しました。来店客がほぼゼロだった昔には、考えられない光景です。忙しくはなりましたが、お客様の顔を思い浮かべると頑張れます」
コロナ禍で、イベントや行事がすべて中止になりましたが、「お客様が店へ足を運んでくださり、2020年は例年以上に忙しくさせてもらいました。これまでの取り組みが実を結んだような気がします」と言います。
倉阪さんは自分の店の価値に気づき、その魅力を外に向かって発信することで、ファンづくりに成功しました。低迷していたころは「自分の代で終わりかも」と考えたこともありましたが、今年成人を迎えた倉阪さんの長男が現在、大阪で菓子職人として修業をしています。
「今なら息子に継いでほしいと思える店になりました。自分が苦労したので、息子にはいろいろ教えてあげたい」と笑います。4代目とともに店に立つ日も遠くはなさそうです。
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