2代目として結果を出す決意

 東京都江東区の印刷会社明祥の2代目社長・工藤太一さん(45)は「物心つくときから、将来は家業を継ぐものだという意識がありました」と話します。社内報制作を手掛ける関連会社、glassyの社長も務めています。

 社長だった父の友人からもお年玉をもらう際に「会社を継ぐんだぞ」と言われ、自然と家業への意識が芽生えました。大学卒業後、中堅の印刷会社で営業職を務め、27歳の頃、明祥に入りました。

 「いち営業マンとしてスタートしました。前の会社のような基幹システムがないのはもちろん、1台のパソコンを社員が共有し、伝票は手書きというアナログな世界でした」と当時を思い返します。

 「社長の息子として入社して結果を出さないと、2代目の言うことなんて誰も真剣には聞いてくれません。周りを納得させる実績を積むのが先決だと思っていました」

大口顧客を失って内製化を進める

 もともと明祥では、名刺や伝票、封筒などの小さな印刷物は自社でまかない、それ以外は外注する仕組みでした。関連会社のglassyで、大手家電量販店のチラシ制作を一手に引き受けていましたが、受注が突然消滅してしまいました。先代は1社依存に限界を感じて印刷工場を作るなど、商業印刷の内製化に舵を切っていきました。

明祥では工場を作るなど、商業印刷の内製化を進めていきました

 その頃、社内外に課題が山積していました。毎月の朝礼はあったものの、経営理念が言語化されることもなく、あるのは売上目標の数字だけ。年度ごとに経営計画を説明することもほとんど無かったそうです。また、インターネットの普及で紙以外の発信手段が拡大し、印刷業の市場が急速にしぼむ環境でした。

 「内製化を進めた効果が頭打ちになり始めた10年前に、経営に関わるようになりました。機械設備に投資した費用を回収するために、仕事を受注しないといけないという状況でした」

社内報で目指した専門特化

 専務となった工藤さんは営業戦略部を作り、新規事業の可能性を探りました。同社では当時、定期刊行物を請け負っておらず、毎回、新規案件の受注を取らなければいけませんでした。とはいえ、部数が多すぎる刊行物では、自社の印刷機で対応しきれません。3千部程度の定期刊行物として浮かんだのが、社内報でした。

 「当時、ある会社の販促ツールを手がけていたのが広報の目にとまり、社内報のコンペに誘われ、初めて社内報の価値に気づきました」

 大手企業は定期的に社内報を刊行していて、部数も自分たちで印刷できる規模でした。「元々、専門特化した新規事業で安定的な収益を上げたいと考えており、社内報が一番やりやすいのではないかと思いました」

 工藤さんは社内説明会で社内報に専門特化していく方向性を示しましたが、社内の反応はクールなものでした。「一人だけ『社内報に特化するって面白いですね』と言ってくれた社員がいたのを覚えています」

工藤さんは新規事業として社内報制作を社員に提案しました

採用ブランディングで学んだノウハウ

 宝の鉱脈を掘り当てたかのように見えましたが、社内報の受注はさっぱりで、3、4年は鳴かず飛ばずの時期が続きます。それには理由がありました。

 「大手企業の社内報は5年程度で見直されますが、コンペに参加する数社に選ばれるための糸口がつかめませんでした」。自社の規模では、新規の飛び込み営業で大手企業にアクセスすることはほぼ不可能です。まずは、相手に自社を知ってもらうための実績が必要でした。

 そんなとき、銀行から紹介された広告代理店から「採用ブランディング」の仕事が舞い込んできました。「採用ブランディングは企業の顔なので、求められる水準が非常に高くなります。クオリティーに応えつつ、紙はもちろん、ウェブや動画など新しいツールのディレクションも経験し、多くのノウハウを蓄積できました」

工藤さんは社員数人と採用ブランディングを手掛け始めました

 大企業の人事部に数多く企画を提案したことで、ロジックを組み立てて戦略的に相手を説得するスキルが身についたといいます。新規事業の採用ブランディングを担当するのは、工藤さんを含めて数人。工藤さん自らディレクション、取材、ライティング、校正など、多くの現場を駆け回わることになりました。この経験が、社内報制作につながりました。

オウンドメディアとセミナー開催

 工藤さんは36歳で明祥の社長に就任。社内報の事業はglassyで担うことになりました。営業のやり方を変えるため、新たにトライしたのが2つのマーケティング施策でした。

 一つは、オウンドメディアを立ち上げて、自分たちの専門性をアピールすることでした。数人の社員が持ち回りで毎日、自社の取り組みや魅力を伝える記事をアップしてコンテンツを充実させ、ユーザーが「社内報 制作会社」で、ウェブ検索したときに必ず1位で表示されるのを目標としました。

 もうひとつが2014年から開催した「社内報セミナー」でした。制作のノウハウを伝えるため、企業各社の広報部にダイレクトメッセージを送ったところ、50件という予想を大きく上回る参加がありました。

新生JALの社内報を手がける

 そんな中、工藤さんの話に興味を示したのは、日本航空(JAL)でした。セミナーに参加したJALの担当者から、社内広報のコンペに誘われ、受注を勝ち取りました。当時のJALは企業再生の途上にあり、社内報で経営方針やJALのフィロソフィを伝えることで社員のベクトルを合わせ、社員の家族にも読んでもらえる社内報を目指していました。

 工藤さんは同社の意向を受けて、「将来を担う若手社員や、苦しい時期を支えてくれた社員の家族にも思いが伝わる社内報づくりを目指しました」。

JALの社内報受注によって、工藤さんが主導した事業が大きく花開くことになりました

 例えば、社内報で財務報告を行う場合、財務や経理担当者しかわからない専門用語になりがちです。工藤さんたちは、若手や家族も理解できる、分かりやすい内容を提案。JALの再生が着実に進んでいることを伝えて、社員の家族にも安心してもらえる誌面づくりを意識しました。

 JALの社内報は社内外からも大反響があり、次々と他の企業からもオファーが寄せられました。glassyは社内報制作のトップランナーとして、現在は100社以上のクライアントを抱えるほどに成長しています。

経営者のメッセージを伝えるには

 工藤さんには制作側の視点で、経営者が自社の理念やメッセージを社員に伝えるにはどうすればいいのかも伺いました。

 「社内報は、経営メッセージを社員に伝えるための重要なツールです。コロナ危機で会社の求心力が落ちている中、トップの言葉をいかに伝えるかが大切になっていると感じます」

glassyが手掛けた社内報のイメージ

 新年度で社長が交代する会社も少なくありませんが、新任社長が社内報などで届けるメッセージの内容が重要だといいます。

 「社員は戦略やビジョン以前に、新社長がどんなキャリアを積んだのか、あるいは挫折を経験してきたのかという人間性を知りたいと思っています。その部分をしっかりブランディングすることで、トップのメッセージが社員の心に響くようになります。また、社長の方針やビジョンを、社員が自分の言葉で同僚に伝えられるようにするために、ワークショップを開いたり、カードゲームを使ったりすることもあります」

 デジタルシフトは社内報の世界でも急速に進み、デジタルだからできる表現も、広がっています。工藤さんは社内報制作用のアプリ開発も進めています。

 「過去の社内報には、社員の心を揺るがす会社の成長物語がたくさん詰まっており、強力な資産です。例えば、DXを進める中で、30年前の社内報をPDF化してアプリで誰でもアクセスできるようにすれば、過去と現在をつなぐような表現ができます」

自分の人生としてチャレンジを

 新規事業への取り組みは、自社の組織づくりやブランディングにも反映されています。「社内報を作っている会社の組織がボロボロでは意味がありません。自社のインナーブランディング構築は、実験台のようなものです。ビジョンやミッションをつくり、合宿をして組織づくりも議論してきました。そんな経験のすべてを事業に活かしてきました」

工藤さんは新規事業へのチャレンジを続けています

 工藤さんは、2代目社長として新規事業を成功させて、会社を大きく成長させてきました。後継ぎ経営者に次のようなメッセージを送りました。

 「まず、先代が残してくれたものに感謝することが必要です。現役でいられる時間は短く、あっという間に時間が過ぎてしまいます。事業を引き継ぐ2代目だからといって、親の人生をなぞって生きるわけではありません。自分の人生としてチャレンジする覚悟が大切ですし、その姿勢は社員にも伝わるのではないでしょうか」