「騙しましたね」と言われても ビジョンメガネ社長が復活を信じた理由
関西を中心に、全国106店を展開するビジョンメガネ(大阪市)は、一度は格安メガネチェーンに押され、2013年に民事再生法の適用を申請しました。民事再生前に従業員出身のたたき上げ経営者となり、後のV字回復も主導した安東晃一さんに、苦難をどう乗り越えようとしたのかについて伺いました。
関西を中心に、全国106店を展開するビジョンメガネ(大阪市)は、一度は格安メガネチェーンに押され、2013年に民事再生法の適用を申請しました。民事再生前に従業員出身のたたき上げ経営者となり、後のV字回復も主導した安東晃一さんに、苦難をどう乗り越えようとしたのかについて伺いました。
――安東さんは1996年、新卒でビジョンメガネに入社し、早くから店長や本社の教育担当を経験されました。
入社半年で店長となり、その後、本社で社員教育の担当を務めました。接客だけでなく、目の構造や視力の計算などの座学も勉強しました。早くから店長や教育担当を経験したことで、自身の成長につながりました。
入社当初は今のような低価格のメガネチェーンはなく、2万~3万円の商品でも購入していただけました。でも、2000年代に入ると、格安チェーンの拡大で、5千円程度でメガネが買えるようになり、価格では勝てないようになりました。モノだけでなく、知識や技術で差別化しないといけないということは、社長になる前から考えていました。
ビジョンメガネでもレンズ込みのロープライスのメガネをそろえたこともありました。単価を安くすれば一定の販売個数が必要となり、人が集まる場所への出店や、広告宣伝が欠かせません。しかし、当時の店舗は街の中心部にあったわけではなく、中途半端な戦略になってしまいました。
――ビジョンメガネは経営が悪化して2009年に上場を廃止し、2011年に安東さんが39歳で社長に就任しました。もともと自分が指名される予感はあったのでしょうか。
いえ、まったくありませんでした。当時は会社が傾く中で創業者が経営から退き、何人も社長が交代している状況ではありましたが、「まさか自分に・・・」というのが正直なところでした。
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――安東さんは店員からの現場たたき上げで、社長就任前はIRの担当でした。会社の状況をよく知っているから任されたという側面もあったのでは。
そういう意図もあったのかもしれませんが、「ほかにやる人がいない」という面が大きかったと思います。打診されたときも、一度は断ったんですよ。そうしたら、親会社の社長やオーナーから会議室に呼ばれました。
ホワイトボードにあみだくじが書いてあって、一つ選べと言われ、私は「まさか当たらへんやろ」と思ってやったら、「あたり」を引き当ててしまって、私がいちばんびっくりしました。でも同時に、「これは運命かもしれない」と思って覚悟を決めたんです。
――当時、それは「貧乏くじ」だったのでしょうか。
当時の状況から、誰がどう見てもそうですね。引き受けた以上、会社の生き残りをかけて色々なことをやりましたが、それでも資金繰りは改善できませんでした。結果的に、2013年11月に民事再生申し立てを2週間後に控えた親会社の社長も兼任することとなり、スポンサー企業の下で再建に取り組むことになりました。
――民事再生法を申請して、銀行や取引先への謝罪行脚の日々となりました。
つい先日まで取引の交渉をしていた相手が突然、民事再生するわけですから、メーカー各社と銀行には支払いが滞り、多大な迷惑を与えてしまいました。
「私たちを騙しましたね」と怒鳴られることもあり、ある取引先では、帰るときに「うちの社員に謝ってくれませんか」とも言われました。お怒りは当然だと思い、先方の事務所の中で「申し訳ございませんでした」と頭を下げました。現場の仕事では感じたことのない苦しさがあって、毎日が本当につらかったです。
――そんな立場になることが予想できたのに、なぜ社長を引き受けたのでしょうか。
ありきたりな言葉になりますが、ビジョンメガネが好きだからです。自分は新卒でこの会社に入り、色々な経験をさせてもらいました。同期や先輩といった仲間も会社にたくさんいます。自分が成長できたのは間違いなく会社あってのことだし、その会社を残すために自分にできることがあるなら、やるしかないと思っていました。
そもそも「会社が潰れる」ということの厳しさが、引き受けた時点ではよく分かっていなかったかもしれません。「なぜ火中の栗を拾ったんですか」と言われましたが、これが「火中の栗」だと理解していませんでした。「これしか方法がないんやろな」と思い、危機をなんとか乗り切ろうとしていただけだったと思います。
――経営再建に際しては、42の赤字店舗の閉店と、約100人のリストラも行いました。かつての同僚や部下、上司に解雇を告げなければならないというつらい立場になりました。
修羅場も覚悟していたのですが、みなさん静かに受け止めてくれました。おそらく、私が生え抜きの従業員出身なので、「あいつもつらい立場をやっている」と察してくださったのではないかと思っています。
会社に残る社員に対しても、全国の店舗に行き、直接説明をするようにしました。ただ、そのときにはとても冷たい視線を向けられました。期待も憎しみもない“無“の表情です。あれは忘れられません。しかし、それも一時のことで、徐々に会社の業績が回復に向かうと、前向きに仕事に取り組んでいただけるようになりました。
――経営再建に臨む時点で、ビジョンメガネが復活できる可能性は、何%くらいだと思っていましたか。
正直、五分五分だと思っていました。50%より低いとも思いませんでした。ビジョンメガネは事業で悪いことをして、お客様を騙したという理由で、業績が悪化したわけではないからです。創業者がよく「情けは人のためにならず」と語っていたように、「人のためになる商売をしよう」という風土が染み付いている会社なんです。
ただ、ロープライス店の台頭に負けて過剰な安売りをしたり、モノからコトへという変化に対応できなかったりという、戦略で失敗してしまった。本来は真面目な、いい会社で、時代に合った戦略を打ち出せれば復活できるはずだと信じていました。
――民事再生法で経営再建を図るにあたり、ビジネスモデルをどのように変えようとしたのでしょうか
民事再生法の申請が2013年11月で、その時点では年始のセールまで決まっていました。しかし、安売り路線は限界にきていると分かっていたので、翌年2月以降からは割引セールは一切やらないと宣言したんです。
現場からは「割引しないと売れない」という声もありました。しかし、ビジョンメガネは安いから支持されていたわけではなく、我々の技術や知識がお客様の安心につながるから選ばれているのだと確信していました。きちんとした商品を、きちんとしたサービスで提供すれば、きっと適正な価格で購入していただけるはずだと考え、方向性を明確にしました。
※インタビュー後編では、安東さんがどのような戦略を打ち立てて、ビジョンメガネを再建に導いたのかに迫ります。
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