「潰れかけた会社」という印象を変えたい 鉄工所後継ぎが磨いた発信力
宮崎県延岡市の池上鉄工所の専務・松田拓也さん(40)は2008年、父が営む家業に戻った後、経営危機を脱するために苦渋のリストラを行いました。後編では、新規事業の開発や広報発信力の強化、IT活用による変革など、V字回復の軌跡を伺いました。
宮崎県延岡市の池上鉄工所の専務・松田拓也さん(40)は2008年、父が営む家業に戻った後、経営危機を脱するために苦渋のリストラを行いました。後編では、新規事業の開発や広報発信力の強化、IT活用による変革など、V字回復の軌跡を伺いました。
――2011年末に経営合理化を進めた後、後継ぎとしてどのように経営改善に取り組もうとしましたか。
経営合理化の後、「専務にしてくれ」と社長である父に頼みました。後継者としては異例かもしれませんが、狙いがありました。
――その狙いとは。
池上鉄工所は当時、地元で70年近く続いていた企業です。経営危機の直前に同業が倒産すると「次は池上鉄工所か」と風評を立てられたこともありました。
そこで、経営合理化を進めた後の2012年、専務就任の案内状を持って、取引先にあいさつ回りしました。家業に戻ってからは、総務担当で経営合理化を進めていたので、対外的には私の存在は知られていません。後継者として初のお披露目で「責任持って家業を継ぐのでよろしくお願いします」と伝えました。
覚悟と行動で示すことが大事だと考えているので、専務就任のタイミングは効果的だったと思います。
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――2015年、ビールの醸造タンク製造を手掛けるなど、新規事業も進めました。
長年、設備メンテナンスで培った信頼がきっかけで、取引先から相談を受けました。オーダーをもらったのは6千リットルの醸造用タンクで、既存タンクの3~6倍の大きさでした。酒造分野は未知の領域でしたが、取引先の社長が直々に話を持ってきてくれました。
当時、仕事が詰まっていて、提示された納期には間に合わないと一度断りました。「それでもやってください」と依頼されました。ビールタンクの製造経験はありませんが、過去に実績のあった冷却タンクのノウハウを応用して、挑戦してみることにしました。
池上鉄工所が培った高度な製缶・溶接技術を生かし、技術者とお客様がひざを突き合わせて、オリジナルの解決策を導き出し、タンクを完成させました。新規事業を狙ったというよりは、今までの積み重ねが形になったということです。
取引先の社長が「いいビールタンクを納めてくれた」とメディアで発信してくれたのは、ありがたかったです。第三者から「この会社は大丈夫」と言ってもらえる方が、経営再建への説得力を増すのだと実感しました。
――2017年には「攻めのIT経営中小企業百選」にも選ばれました。経営再建への取り組みが、受賞につながったのでしょうか。
「業績が回復した」と自分たちで言ってもなかなか届かないし、「潰れかけた会社」というイメージが一度でもつくと、営業や採用活動にも影響します。
そこで、国が認めた賞は積極的に狙いました。「攻めのIT経営中小企業百選」もその一例で、一般的には他薦だと思うのですがうちは自薦です。ただ、申請しても、大きなネタがないと見向きもされません。経営合理化の過程で取り組んだリモート環境整備や、案件ごとの採算評価に対する分析ツールの活用などの実績を挙げつつ、「倒産危機からのV字回復」というストーリー性を前面に出しました。
また、当時は営業系の人材がいなかったため、無人化で営業を進めるためのツールを作ろうと、営業につなげるためのソリューションサイト「大物製缶溶接.com」も立ち上げました。
――松田さんはツイッターのプロフィルで「補助金採択率100%」と掲げています。
もちろん、地道にコツコツと技術を高めているというベースが前提です。その上で、各補助金ごとに目的を定めて、それぞれのストーリーを描いたうえで、狙いを定めています。社内はまだまだアナログで、変えないといけない部分も多いのですが、外にアピールする時は派手にやることを心がけています。ちなみに、申請書はすべて自分で作成しています。自社のことは自分が一番分かっているので。
――池上鉄工所では、採用にも力を入れようとしています。
専務になってから数年は、経営から営業、総務人事まで担う状態で、自分を支えてくれる人材を常に探していました。
2017年ごろから、プロ人材の活用も検討しました。経営再建も落ち着いて、普通に黒字が出るようになると、社員に緩みも出てきます。組織体制がまだまだ確立していないという思いがあり、国が進める「プロフェッショナル人材事業」を利用しながら求める人材を模索し、営業系などで採用につながりました。
――地方からの人材流出が続いています。社内全体の人材採用や育成について、どのような戦略を立てていますか。
正直言って、採用には苦戦しています。まずは会社の認知度を高めないと始まりません。以前は訴求力がなかった会社のホームページも2020年3月末、製造業への既存のイメージを変えるような、想いを込めた尖ったサイトへリニューアルしました。
リニューアルしたページでは、全国溶接技術競技会で2位に輝いた職人さんにびしっと決めたスーツを着てもらうなど、多くの社員に格好を付けてもらっています。思いのほかノリノリでやってくれ、社員のご家族にとって、会社での仕事ぶりを知ってもらう機会になりました。社外へのブランディングが狙いでしたが、むしろインナーブランディングに効果がありました。
2021年4月からは、働きやすい環境の整備や離職を防ぐために、賃金体系や評価制度、採用ブランディングの見直しを進めようとしています。
――松田さんは個人名を出し、ツイッターなどのSNS発信にも積極的です。広報発信の戦略やプロセスを教えてください。
ツイッター、TikTok、インスタグラムも、すべて認知向上のための活動です。ただ、最初から戦略的にやっていたわけではありません。私個人はもともとSNSが苦手でした。
しかし、昨年ホームページをリニューアルした時期が、新型コロナウイルスの影響で、全国に緊急事態宣言が発令されたタイミングと重なりました。本来、リニューアルにあわせて更新した会社案内を持って、全国を営業・採用活動で回る予定でしたが、それができなくなりました。
代わりに、リニューアルの案内を、過去名刺交換をした方々へメールで送りました。すると、興味を持ってくれた人材会社の方から、「ツイッターを始めてみませんか」という提案をいただきました。その方からTwitterの魅力を教えてもらい、アドバイスを受けて「3カ月後にフォロワー千人を目指しましょう」と言われました。半信半疑で始めたら、ありがたいことに3週間かからずに千人を達成しました。
いよいよ4月。本日より新しく高卒2名の社員が仲間に加わる。学生から社会人となり、期待や不安、様々な想いがあると思うが、会社もこれから大きく変わっていく段階での入社。今後の変革のベースとなる大事なタイミング。ようこそ、池上鉄工所へ!そして、モノづくりの世界へ。今日も一日「ご安全に‼」
— 松田拓也/V字回復の宮崎の鉄工所 (@takuyamatsuda18) March 31, 2021
――SNS発信の秘訣はあるのでしょうか。
ありのままの素を出すように心がけ、そのうえで他とは違う個性を、少し盛り込むようにしています。
TikTokに投稿している「溶接アート」もその一つです。はやりの漫画やアニメのキャラクターを溶接技術を用いて、金属板に絵や文様、文字で表現し、発信することで、製造業のイメージが変わり、身近な存在になればと思っています。SNSを通じて、色々な業種業態の後継ぎとのつながりも増えました。
――今後は経営者として、どのような目標を立てていますか。
自分は創業者ではありませんし、私一人でリードしようとしても、限界があります。企業理念や賃金体系の見直しも、社員が共感しないと浸透しません。「自分たちの会社」をみんなで作りたいと思っています。
創業から75年という歴史を紡いできました。「100年企業」を通過点に、今後もバトンをつないでいきたいという気持ちは強いです。でも、全く同じ形でつなぐのは厳しいので、諸先輩から受け継いだものを活かせるところは活かし、変えるところは変える。新たに掲げた「ものづくり業界を変革し、日本を発展させる」というビジョンを実現したいです。
――池上鉄工所が地道に積み重ねてきた信頼と、松田さんが描くダイナミックで情熱的なストーリー戦略が、絶妙にバランスが取れていると感じます。
ノリと勢いではないですが、攻めるときは一気に攻め、投資した方がいいと思ったら補助金活用を含めて、思いっきりやります。情報は早めに拾えるように、外部のブレーンなどとつながるようにしています。
コロナの影響も多少はありますが、2020年9月期は売上高8億8千万円、営業黒字6200万円を達成しました。2011年の経営合理化のタイミングで描いた十数年分の売り上げ計画で立てた利益水準は、超えています。一方、採用や社員の意識改革は、まだ道半ばだと思っています。簡単ではないですが、次のフェーズの課題として取り組みたいです。
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