損保代理店業で経営を学ぶ

 康裕さんは3人きょうだいの末っ子です。幼い頃は家業を継ぐとは思っていませんでしたが、先代の父の意向で農業高校に進学。高校2年の時に兄が亡くなったため、 父からは後を継がせたいという思いを感じていました。卒業後は損害保険代理店を営み、経営について学びました。

 しかし、父が体調を崩したことから、1985年に家業に入り、少しずつ事業を引き継ぎました。「農業や植物についての細かい知識や作業などは、やりながら自分で勉強しました」と言います。

 代理店での経験は、家業でも役立ちました。どういう業種が伸びるかという情報をつかんでいたため、時代の波を捉えることができたのです。苗の品種の流行をつかみ、康裕さんは西日本ではほとんど作られていなかったハーブ苗の生産を始めました。現在も、レモンバームやミントなど10種類のハーブ苗を生産しています。

海外の流行をいち早くつかむ

 父の死後、康裕さんは1991年に33歳で代表取締役に就任。代理店でのつながりから、異業種との交流をいかした事業を展開するようになります。当時の販路は小売り中心でしたが、1993年から出店が相次いでいたホームセンターへの卸売りを始めました。

幼い頃の未花子さんを抱っこする康裕さん

 「天候によって生産量が変わるため、納入する数量を守るのが大変でしたが、他から仕入れてでも数を守りました」。当時量販店に対応できる農家がほとんどなく、次々と注文が入るようになりました。

 康裕さんは日本青年会議所で国際交流を担当していた経験があり、家庭菜園が盛んなイギリスをたびたび訪れ、現地での流行が7~10年遅れで日本に来ることもつかんでいました。取引先に売れそうな品種の提案もしていました。「うちにない品種でも他の農家を紹介してつなげていました」。地道な営業努力が実り、今は卸売りが全体の9割を占めるまでに成長。年間200万本の苗を生産し、売り上げも父の頃の10倍にまで伸びました。

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。