自分の代で終えるつもりだった父 後継ぎの娘に託す新しい農業経営
兵庫県市川町の育苗農家「文化農場」は、2代目社長の小野康裕さん(63)と長女の未花子さん(29)が手を取り合い、農業ビジネスの可能性を広げています。未花子さんへのインタビューに続き、康裕さんにも、娘を3代目としてどのように育てようとしているか、経営者や父としての思いを伺いました。
兵庫県市川町の育苗農家「文化農場」は、2代目社長の小野康裕さん(63)と長女の未花子さん(29)が手を取り合い、農業ビジネスの可能性を広げています。未花子さんへのインタビューに続き、康裕さんにも、娘を3代目としてどのように育てようとしているか、経営者や父としての思いを伺いました。
康裕さんは3人きょうだいの末っ子です。幼い頃は家業を継ぐとは思っていませんでしたが、先代の父の意向で農業高校に進学。高校2年の時に兄が亡くなったため、 父からは後を継がせたいという思いを感じていました。卒業後は損害保険代理店を営み、経営について学びました。
しかし、父が体調を崩したことから、1985年に家業に入り、少しずつ事業を引き継ぎました。「農業や植物についての細かい知識や作業などは、やりながら自分で勉強しました」と言います。
代理店での経験は、家業でも役立ちました。どういう業種が伸びるかという情報をつかんでいたため、時代の波を捉えることができたのです。苗の品種の流行をつかみ、康裕さんは西日本ではほとんど作られていなかったハーブ苗の生産を始めました。現在も、レモンバームやミントなど10種類のハーブ苗を生産しています。
父の死後、康裕さんは1991年に33歳で代表取締役に就任。代理店でのつながりから、異業種との交流をいかした事業を展開するようになります。当時の販路は小売り中心でしたが、1993年から出店が相次いでいたホームセンターへの卸売りを始めました。
「天候によって生産量が変わるため、納入する数量を守るのが大変でしたが、他から仕入れてでも数を守りました」。当時量販店に対応できる農家がほとんどなく、次々と注文が入るようになりました。
康裕さんは日本青年会議所で国際交流を担当していた経験があり、家庭菜園が盛んなイギリスをたびたび訪れ、現地での流行が7~10年遅れで日本に来ることもつかんでいました。取引先に売れそうな品種の提案もしていました。「うちにない品種でも他の農家を紹介してつなげていました」。地道な営業努力が実り、今は卸売りが全体の9割を占めるまでに成長。年間200万本の苗を生産し、売り上げも父の頃の10倍にまで伸びました。
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康裕さんは一人娘の未花子さんが幼い頃、納品の際、トラックの助手席に乗せたり、畑で一緒に遊んだりしていました。中学、高校の頃の未花子さんは農家に良いイメージを持っておらず、康裕さんとの会話もほとんどありませんでしたが、康裕さんは「若い子が農家に良いイメージがないのは当然だと思う」と話します。
一方、小野家には海外の文化が身近にありました。青年会議所での業務の関係で、アメリカ人やネパール人の友人が、たびたび自宅を訪れていました。また、未花子さんが中学2年生の時、アメリカへ短期留学させました。
「娘は前に出るタイプではありませんでした。でも、1人ならおのずと話さなければいけないし、英語も覚えると思いました」。未花子さんは高校まで短期留学を重ね、様々な人種の人とふれ合ったことで積極的な性格に変わりました。
未花子さんに継がせる気は無く、康裕さんは自分の代で会社をたたむつもりでした。「やりたいことをやってほしい」という思いから、未花子さんがイギリスの大学院に留学する時も、快く送り出しました。「私もできるなら海外で学びたかった。娘が行き先をイギリスにしたのは、私が仕事で毎年行っていた影響もあったのだろうと思います」
ところが、帰国した未花子さんは、2018年から副業で家業に取り組み始めました。康裕さんにとって突然の話で、「イギリスの大学院まで出て、他にやりたいことはないのか。本当にいいのか」と思ったといいます。
しかし未花子さんの意思は固く、2019年夏、本格的に家業に入りたいと康裕さんに伝えました。康裕さんは「私は大歓迎でした」と言いながら、注文も付けました。「今までのやり方では成長は見込めない。この先も会社として利益を出していくために、自分なりの農業経営の形を考えるしかないということは伝えました」
家業に入った未花子さんは、直売所での小売りや事務、新規販売部門の企画などを担当しています。康裕さんは、特に事務と新規販売の企画は任せています。「私が娘に『やらせている』仕事は一つもありません。娘には必要なことを自分で考えてやるように伝えています」
未花子さんは会社のホームページを開設し、2021年3月には会社のロゴマークも一新しました。「娘は私ができないようなことをサクサクと採り入れます。今までと違う切り口のアプローチが認められれば、量販店など既存の取引も増えるのではないでしょうか」と、康裕さんは評価します。
一方、康裕さんは、娘が乗り越えるべき課題も感じています。具体的には、苗の生育期間や、どのくらいの間、販売ができるのかなど、植物の基本的な知識が追いついていないことです。「私も植物について学んでから家業に入ったわけではありません。娘もこれから失敗や無駄なことをどれだけやれるか。その積み重ねから、必要なことを判断できるようになると思っています」
2021年3月末、未花子さんはオンラインショップを立ち上げ、家庭菜園キットのネット販売を始めました。さらに住宅設備機器と建築資材を扱うサンワカンパニーと共同で、ベジコンテナ(家庭菜園用プランター)を制作し、専用の土と苗も販売しています。
未花子さん発案の新規事業は、大学時代の「ガチンコ後継者ゼミ」や、家業に入ってから参加した「一般社団法人ベンチャー型事業承継(アトツギU34)」などでの人脈をいかして生まれました。そんな娘の姿を、康裕さんは「ホームページやロゴ制作といったデザインの知識も、後継ぎのつながりの中で学んだようです。ネットワークが広く、仲間を巻き込みながら事業を進めようとしているのには感心します」と頼もしく思っています。
康裕さんは、未花子さんを見守るスタンスですが、小さな対立は毎日のように起こるといいます。「やっていることは間違っていなくても、今やるべきなのかと思うこともあります。仕事のサイクルがかみ合わない点を指摘することが多いです」
同族会社では、社長と従業員という立場と親子関係が、入り交じることも少なくありません。康裕さんは「私は家庭で仕事の話はしないことにしています。家庭と仕事は分けて、仕事で必要なことは職場で報告しなさいと言っています。娘は家でも仕事の話をほのめかしていますが」と話します。
康裕さんは、自分には思いつかないやり方で事業を展開しようとしている未花子さんに、期待を寄せています。
文化農場はホームセンターなど量販店向けの卸売りが売り上げの中心ですが、その先は何が軸になるのか見えていませんでした。そんな時、未花子さんがオンラインショップを立ち上げました。康裕さんは「通販も伸びており、今後売り上げの軸が変わるかもしれません。ベジコンテナを作ったように、どこかとタッグを組みながら苗を販売する方がいいと思います」と言います。
コロナ禍による「巣ごもり需要」で、2020年の大型連休から、野菜苗の売れ行きが高まり品薄にもなりました。しかし、その後は野菜苗に参入する農家が増え、価格が暴落しました。文化農場は量販店と提携し、固定価格・固定数量で取引をしていたため大きな影響はありませんでしたが、今後も価格を維持できるかはわからないと危惧しています。「野菜苗1鉢でも利益が取れ、値段が上がっても買ってもらえるようなサービスを考えなければいけないと、娘には話しています」
康裕さんは、あと3年くらいをメドに、未花子さんに事業を引き継ぎたいと考えています。会社の規模が小さくなっても、利益率を保つ会社にしてほしいというのが願いです。「物を作って売るだけが商いではありません。自分のネットワークを広げて多様性を出し、農家や園芸家としてよりも、経営者として伸びてほしいです」
「自分の時代の心構えはこれからは必要ない」と話す康裕さん。そう遠くない事業承継の日まで、時に失敗もしながら新しい事業を生み出そうとする3代目を、優しく見守ります。
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