学校でいじられ、家業が嫌に

 「文化農場」は1964年、未花子さんの祖父がしょうゆ屋から野菜苗に事業転換し、「小野農園」として設立しました。2代目の父・康裕さんが後を継ぎ、2003年に「有限会社文化農場」となりました。現在はビニールハウス24棟で、春は約140品目、秋は約80品目の家庭菜園用の野菜苗のほか、10種類のハーブ苗を生産し、ホームセンターやスーパーに卸しています。自社の直売所は行列ができるほどで、年商は1億円にのぼります。

 一人娘の未花子さんは、幼い頃はよく農場に出向き、土を掘ってミミズを観察したり、作業を手伝ったりしていました。しかし、小学校高学年の頃、実家の農場が校外学習の場所となり、農家への印象が大きく変わりました。

小野未花子さんが子どもの頃、父・康裕さんとハワイ旅行した時の記念写真

 「先生にも『小野さんの家は農家さん』と度々言われて他の家とは違うと思いましたし、同級生にもいじられました。当時、農家は古臭いイメージで、ダサいなって。何となく嫌になりました」。中学以降は思春期も重なって、父とは必要最低限しか話さなくなり、農場に一歩も足を踏み入れませんでした。

 未花子さんは海外への憧れが強くなり、アメリカに短期留学するなど英語の勉強を重ねました。「小学生の時のハワイ旅行で、外国人と英語であいさつできたのがうれしくて、農家から離れたかったのもあり、将来は海外で働きたいと思っていました」

「家業はチャンス」という気付き

 未花子さんは関西学院大学に進み、国際政策や国際協力を学びながら、フェアトレードを広めるサークルの代表を務め、ビジネスが社会問題を解決する鍵だと感じました。2013年、大学4年の時に転機が訪れます。親が会社を経営している人が参加できる「ガチンコ後継者ゼミ」に入ったのです。

 ゼミは大学の正式な授業で、毎週、様々な後継ぎ経営者が訪れ、承継までの道のりや事業内容などを教えました。中でも未花子さんは、バイク部品の通信販売を展開するカスタムジャパン・村井基輝代表取締役の「斜陽産業こそチャンス」という言葉に、衝撃を受けました。

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