「ダサい」と思っていた農業に魅了されて 父から学ぶ3代目の新事業
兵庫県市川町の育苗農家「文化農場」は、3代目の小野未花子さん(29)が後を継ぐために奮闘中です。元々は農業が嫌いだったという未花子さんは、大学時代に一転、家業に目覚め、イギリスで事業の広げ方を学びました。経営者の父と手を携え、新たなビジネスにもこぎ出しています。
兵庫県市川町の育苗農家「文化農場」は、3代目の小野未花子さん(29)が後を継ぐために奮闘中です。元々は農業が嫌いだったという未花子さんは、大学時代に一転、家業に目覚め、イギリスで事業の広げ方を学びました。経営者の父と手を携え、新たなビジネスにもこぎ出しています。
「文化農場」は1964年、未花子さんの祖父がしょうゆ屋から野菜苗に事業転換し、「小野農園」として設立しました。2代目の父・康裕さんが後を継ぎ、2003年に「有限会社文化農場」となりました。現在はビニールハウス24棟で、春は約140品目、秋は約80品目の家庭菜園用の野菜苗のほか、10種類のハーブ苗を生産し、ホームセンターやスーパーに卸しています。自社の直売所は行列ができるほどで、年商は1億円にのぼります。
一人娘の未花子さんは、幼い頃はよく農場に出向き、土を掘ってミミズを観察したり、作業を手伝ったりしていました。しかし、小学校高学年の頃、実家の農場が校外学習の場所となり、農家への印象が大きく変わりました。
「先生にも『小野さんの家は農家さん』と度々言われて他の家とは違うと思いましたし、同級生にもいじられました。当時、農家は古臭いイメージで、ダサいなって。何となく嫌になりました」。中学以降は思春期も重なって、父とは必要最低限しか話さなくなり、農場に一歩も足を踏み入れませんでした。
未花子さんは海外への憧れが強くなり、アメリカに短期留学するなど英語の勉強を重ねました。「小学生の時のハワイ旅行で、外国人と英語であいさつできたのがうれしくて、農家から離れたかったのもあり、将来は海外で働きたいと思っていました」
未花子さんは関西学院大学に進み、国際政策や国際協力を学びながら、フェアトレードを広めるサークルの代表を務め、ビジネスが社会問題を解決する鍵だと感じました。2013年、大学4年の時に転機が訪れます。親が会社を経営している人が参加できる「ガチンコ後継者ゼミ」に入ったのです。
ゼミは大学の正式な授業で、毎週、様々な後継ぎ経営者が訪れ、承継までの道のりや事業内容などを教えました。中でも未花子さんは、バイク部品の通信販売を展開するカスタムジャパン・村井基輝代表取締役の「斜陽産業こそチャンス」という言葉に、衝撃を受けました。
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「それまでマイナスイメージしかなかった家業にも、プラスにできるリソースがあると気付きました」。ビジネスを通して世界に貢献したいと思っていた未花子さんは、家業でも夢が実現できるかもしれないと考え、家業を継ぐことも選択肢の一つになりました。
2014年9月、未花子さんはロンドンの大学院に留学しました。「家庭菜園が盛んな国で、将来を考えて選びました」。大学院では、発展途上国などの開発や国際マーケティングを勉強し、休日に郊外の家庭菜園を見て回る日々でした。
大学院には、インドや中国、アメリカなど様々な国から会社の後継ぎが集まり、交流を重ねる中で価値観が大きく変わりました。「みんなは『ビジネスチャンスがあればどんな会社であろうと関係ない。悩むのは時間の無駄。』とよく言っていました」
未花子さんは、海外の後継ぎは「一見異なる価値同士のつなげ方がうまい」と感じていました。例えば、自動車部品会社の後継ぎの中国人と、アイスクリーム屋の後継ぎのインド人が一緒に、生産性の高いアイスの製造機械を開発していました。「継ぐ前からアンテナを張って、国を超えて新しい事業を作っていました」。未花子さんは、家業も育苗と何かと掛け合わせることで、ステップアップできるのでは、と考えるようになりました。
修士課程修了後、未花子さんはオンライン授業を提供する現地のスタートアップ企業で、営業企画などを担いました。「イギリス人に商談しても相手にされないことが多く、自分は外国人の一人と実感しました。人種も文化も違う人と交渉を繰り返した経験があるから、今の事業でも気になった人に臆せず声を掛けることができています」
2018年3月、イギリスの会社のアジア担当になったことを機に、未花子さんは日本に帰国。同年7月から副業として家業に携わるようになりました。
「父から後を継げと言われたことは一度もありません。家業もやると決めた時も、父からは『分かった』の一言くらいしかありませんでした」。取締役に就いた未花子さんは、イギリスの会社の仕事と、家業で新規事業に向けた準備という二足のわらじをはきました。
未花子さんは家業に入ってから、父・康裕さんも人とのつながりをビジネスに生かしていたことに気付きました。「うちはJAとの取引がなかった分、父は青年会議所の活動などを通じて、海外の種屋や資材屋とも取引し、日本では一般的ではない品種の苗も扱っていました」。康裕さんはカルチャーセンターなどで園芸講座の講師も務めるほか、育苗業では珍しく小売り専用の店舗も建てて、地域に根差していました。
一方、未花子さんは業界全体の課題も感じました。家庭菜園の顧客は60歳以上が多く、客層を若い世代にも広げたいと考え、まずホームページを一から作りました。「父は当初必要ないと考えていましたが、私は取引先などからアドバイスをもらうために、一目で事業を説明できるものがほしかったのです」
未花子さんは大阪や神戸、東京のイベントにも積極的に出店し、苗の販売や家庭菜園のワークショップを通じて、若い世代の家庭菜園に対するニーズの把握に努めました。「都心で働く若い世代は、自分から動かないと自然に触れることはありません。本当はプランターをベランダに置くだけでも自然環境を作れるのに、育て方がわからないから、家庭菜園をしないということがわかりました」
会社のミッションとして「人と自然の再接続」を掲げ、自然との関わりが持てる商品を企画しました。大学時代の「ガチンコ後継者ゼミ」の縁などから、住宅設備機器と建築資材を扱うサンワカンパニーと共同で、インテリアとしても映えるベジコンテナ(家庭菜園用プランター)を制作しました。
2020年4月、未花子さんは仕事を家業1本に絞りました。2021年3月末にはオンラインショップを開き、ベジコンテナ専用の土と苗のセットなどの販売も始めました。
未花子さんは、父が背中を押してくれるからこそ、次々とアイデアを実行に移せると感じています。康裕さんからは「今の事業が何十年も続くとは思わないから、時代に合わせて変化させていけ。今の若い人の感覚はわからないので、やりたいことは協力する」と言われたそうです。
未花子さんはアイデアを土台から組み立て、ある程度方向性が固まった段階で父に報告しています。意見が分かれた時はよくけんかになるといいます。
未花子さんは、まず一度父の話を聞くことを心がけています。「いったん話を聞くと、相手の意見も少し混ぜながら自分の主張ができると感じます。そうやって折り合いをつけようとしていますが、なかなか難しいです」
父が積み上げてきたことは尊重することも忘れません。「私はまだ数年ですが、父はベテランです。改善すべき点は伝えますが、経験していないことはわからないので、否定はしないようにしています」
未花子さんは家業に入った頃から、多業種の後継ぎが集う「一般社団法人ベンチャー型事業承継」(アトツギU34)のオンラインサロンに参加し、全国の先輩後継ぎからアドバイスを受けています。「新規事業の立ち上げ方や、家業の難しさを知ることができ、勉強になりました」
海外の後継ぎ達とは今も交流があり、SNSで家業への考え方や自身の体験などを発信。家庭菜園の楽しさを伝えるため「家庭菜園プロデューサー」と名乗るなど、新しい農家像を模索しています。
未花子さんはロンドン時代から温めていた、育苗とヘルスケアを掛け合わせた事業を進めたいと考えています。企業や幼稚園、介護施設などで家庭菜園の設置やワークショップを行い、多くの人に癒やしを提供するものです。「土いじりや植物を育てることがストレス軽減につながるのでは、と着目しました」。将来は宿泊施設やカフェなどにも、家庭菜園を併設したいと思っています。
祖父の代から続く育苗業は、野菜を育てる日本の文化を支える事業だと気付きました。未花子さんの根底にあるのは、社名の通り「文化を育てる農場」でありたいという思いです。
「料理に『我が家の味』があるように、家庭菜園で『うちの野菜の味』を増やして文化を伝えたい。父のように、私も地元を大切にしながら事業を展開していこうと思います」。家庭菜園が広まれば誰でも「農家」になれると信じる3代目は、時代に合わせた事業を生み出し続けます。
※後編では、父・康裕さんのインタビューをお届けします。バトンを渡す側の視点から、家業や未花子さんへの思いを伺いました。
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