「石井の家の子」と呼ばれて

 石井食品は石井さんの祖父・穀一さんが1945年に設立し、佃煮の製造から始めました。49年に現在の石井食品に改称し、70年に調理済みチキンハンバーグの製品化に成功。74年には看板商品のミートボールが誕生し、全国的なメーカーになりました。

 石井さんは子どもの頃から会社にもよく連れていかれましたが、「家業にお世話にならないように生きていこうと思っていました」と言います。「周りの大人や同級生からは、石井智康ではなく石井の家の子だと思われ、『どうせ継ぐんでしょ』、『あなたは楽で良いね』と言われることもあり、コンプレックスでした」

佃煮を製造していた創業当時の写真(石井食品提供)
佃煮を製造していた創業当時(石井食品提供)

ITエンジニアとして活躍

 石井さんは、アメリカの大学に進学し、帰国後の2006年、ITコンサルティング大手のアクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズ(現アクセンチュア)に就職しました。 「大学では文化人類学を専攻していましたが、プログラミングにも興味があり、ITエンジニアを選びました。その時も、食品業界だけは選びませんでした」

 アクセンチュアではエンジニア・コンサルタントとして、大企業の基幹システムの構築やデジタルマーケティング支援を担当。その後は、ベンチャー企業を経て、2014年からフリーランスのソフトウェアエンジニアとして活躍します。様々なプロジェクトを経験し、プロのエンジニアとして自信を持てるようになったことで、「石井食品の長男」というコンプレックスから解放されました。

古参社員から歓迎された理由

 独り立ちした石井さんは、その先のキャリアを考え、家業に入る選択肢が浮かびました。「結婚を機に食生活の改善に取り組んでいて、食への関心が高まりました。起業も考えましたが、スタートアップでは製造まで担うことは簡単ではありません」

 その点、石井食品は97年から食品添加物を使用しない、無添加調理を始めて、高い製造能力がありました。「業界的には異端の技術を持つ会社が、身近にあると気づいたのです」

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