妻の家業で勝ち取った信頼 メーカー2代目が慣習打破で利益率アップ
宮城県美里町の精密板金加工メーカー、三和工業社長の佐藤隆一さん(36)は2020年秋、妻の父から2代目として経営のバトンを渡されました。入社以降、経営が下向きだった会社で孤軍奮闘しながらも周囲の信頼を得て、慣習の打破や業務効率化を進めて利益率を高め、コロナ禍でも事業を加速させています。
宮城県美里町の精密板金加工メーカー、三和工業社長の佐藤隆一さん(36)は2020年秋、妻の父から2代目として経営のバトンを渡されました。入社以降、経営が下向きだった会社で孤軍奮闘しながらも周囲の信頼を得て、慣習の打破や業務効率化を進めて利益率を高め、コロナ禍でも事業を加速させています。
三和工業は、先代の義父・三浦隆次さんが1973年に立ち上げた精密板金加工メーカーで、今は機械加工も行っています。主力製品は半導体を製造する装置の基礎になる厚板にベース加工を施したものや、製造装置を運搬するための治具です。
国内大手半導体メーカーの1次サプライヤーである、電子機器や電子部品を製造する企業向けに、年間2万アイテム以上を製造していて、年商は約4億3千万円にのぼります。
佐藤さんは福島県いわき市出身で、地元の工業高校を卒業後はとび職として働いていました。しかし、20歳の時、「刺激がない生活にもっと試練を課さないと」と思い立ち、仙台市に移住しました。持ち物は、働いてためた15万円と布団だけでした。
「とにかく住み込みで働ける場所を探しました」。ようやく見つけた飲食店で夜の仕事をしていた時に、ヘアメイクとして働いていた妻の瞳さん(39)と出会いました。
瞳さんは「一生懸命働く姿にひかれたんですかね」と振り返ります。2人が付き合い始めて間もなく、佐藤さんは飲食店を辞め、建設工事の足場を作る会社に転職。出会ってから約1年で結婚しました。
当時、2人は瞳さんの家業の三和工業に戻る気はありませんでした。瞳さんは「私は3人兄妹の一番下で兄もいたので、好きなことをさせてもらっていました」。そんな時、瞳さんの妊娠がわかり、切迫早産で仕事ができなくなりました。
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「(物価が高い)仙台で暮らすには、共働きをしないと生活が厳しく、それならば戻っておいでと、義父が声をかけてくれました」。2006年12月、佐藤さんは妻の実家の三和工業に入りました。
佐藤さんはまず、製品の品質管理の検査を任されました。しかし、当時はわからないことがあっても誰からも教えてもらえず、説明書を読んだり、他の従業員の作業を盗み見たりして、仕事を覚えるしかありませんでした。
「社長の義理の息子が急に入ってきたので、いるだけで嫌われているような冷たい視線を感じていました。でも、それだけ注目されていると思って、一生懸命仕事をしました」
08年、義父が「精密板金加工だけでは立ちいかなくなる」と、機械加工分野への参入を決め、設備投資を行いました。そのタイミングで、リーマン・ショックが起こり、経営は悪化して取引先が大きく減少。80人ほどいた従業員も半分になりました。
翌09年に設備が搬入されると、佐藤さんは機械加工の新規事業も任されました。機械加工架台やフレームなどを生産し、板金、機械加工、製缶溶接、塗装までの一貫生産でまとめて受注できるようになったことで、メーカーとの取引が増えていきました。ただ、この時も周りの助けは得られず、毎日深夜まで働いていました。
ようやく経営が上向いた11年3月、東日本大震災が発生。電気が復旧せず、操業が1カ月止まりました。「製品を納められず、またお客さんがいなくなってしまいました。債務超過も約1億円にまでのぼり、しばらく最悪な状況が続きました」
15年、佐藤さんは義父から食事の席で突然、専務に指名されました。当時、妻の兄など後継者候補がいて、何の前触れもない中での指名に驚いたといいます。
「義父は多くを語らない人なのですが、経営も悪化して疲れていたのかなと。会社を何とかしなければと、あえて(外から入った)私を指名したと思います」。佐藤さんは、その年の10月から専務になりました。
同じころ、佐藤さんは周りに認めてもらいたい思いがあり、従業員から溶接を学んで距離を縮めようとしました。「最初は断られましたが、何度も頼み込み、仕事を教わりました」
その途中で専務になりましたが、溶接を覚えるまで、佐藤さんは現場の仕事もやり続けました。「師弟関係があってこそ、信頼が生まれると感じました。周囲の認識が『義理の息子』から『従業員の一員』へと、少しずつ変わっていきました」
佐藤さんは、入社当時からの慣習に疑問を持っていました。「顧客が設計図の納期を守らないことが少なくありませんでした。それに伴って、加工メーカーである私たちの側も、製品の納期が厳しくなることが多かったのです」
また、業界全体の傾向として、製品の単価が低く、顧客が大きくなるほど価格の安さを求められていました。佐藤さんは「納期を守れば顧客の信頼を取り戻せるし、付加価値として一定の価格水準を保てる」と考え、納期順守と短納期への挑戦を決め、低価格を求める顧客の契約を全て断ち切りました。
佐藤さんは同時に、作業の合理化も進めました。例えば、社内で15年間、使いこなせていなかった生産管理システムを稼働させ、作業工程や品物の現在地、納期などを一元管理できるよう整備しました。無駄な作業がなくなり、納品までのスピードが上がり、従業員の残業も減らせました。
顧客から来る設計図も紙ベースから、電子データでのやり取りに改めました。「お客さんも最初は渋っていましたが、データを頂ければ問い合わせの回数も減ると時間をかけて説得し、浸透させました」
取り組み始めて5年後には、納期を100%守った上で、製品によっては受注したその日に出荷できるなど、業界では珍しい短納期を実現できました。
佐藤さんは東北6県のメーカーへの飛び込み営業も行いましたが、最初は門前払いされることが少なくありませんでした。「きれいなスーツと丁寧な言葉遣いが失敗でした」と言います。
「そこで、あえてラフな服を着て(故郷の)福島なまりで接したら、徐々に話を聞いてもらえるようになりました」。評判は口コミで広がり、現在は取引先の8割が、佐藤さんが専務になってからの顧客で、利益率も専務就任前の13%から現在は38%と、約3倍増加しました。
佐藤さんは19年末、「燃え尽き症候群」のような状態になり、突然体を起こすことができなくなりました。
「このままだと自分なしでは会社が回らない。組織作りをしなければと痛感しました」。翌20年、宮城の経営者が集う宮城県中小企業家同友会の研修会に参加し、経営について改めて学びました。
佐藤さんは、先代の義父が08~09年に機械加工の設備投資を行ったことを、心の中では理解しきれていませんでした。しかし、研修会の課題で、半年かけて自社の歴史や先代の思いを深掘りする中で、先代の設備投資の目的は事業展開のためだけではなかったことに気付きました。
「従業員の負担を減らし、良い物をいかに早く多く作って顧客に喜んでもらえるかを念頭に、設備投資をしていたことが分かったのです」
佐藤さんは20年10月、2代目社長に就任しました。それまで消極的だった設備投資を進め、1億数千万円かけて最新式のレーザー加工機を導入しました。自動運転機能を備えているため、従業員の夜勤を減らせたほか、タブレット端末でも操作が可能で、自身が現場にいなくても遠隔で従業員をサポートできる態勢を作ることができました。
さらに、就任直後には経営指針発表会を初めて開き、各部署に1人ずつ管理職を設ける組織改革を行いました。佐藤さんが1人で抱えていた仕事を、管理職にも任せることで、従業員が自主的に提案して動くようになり、成長につながりました。
「仕事を任せる勇気も必要だと学びました。1人で悩まず、仲間を作ることが大切だと思います」
佐藤さんは研修会を通して、創業当時のことも知りました。「先代の義父は、板金加工の技術を使って、壊れた柵の留め具や稲を植える際に使う機械を作るなど、地域の困りごとも解決していたのです。コロナ禍の中、原点に返って、もっと地域の役に立つ仕事をしたいと思いました」
20年8月、板金加工の技術を使いアルコール消毒液のディスペンサー(噴霧器)を製作し、公的機関や地元のスーパーや病院などに、70本寄贈しました。
「ステンレス製のディスペンサーはアルコールやサビに強く、本体自体も消毒できます。子どもでも踏みやすいよう、軽さにもこだわりました」。評判が広がり問い合わせが殺到したため、一般向けに1台2万5千円(税抜き)で販売を始めると、21年6月までに400本売れました。
また、ディスペンサーの評判を聞いた地元の人から依頼され、地域のスポーツ大会用のメダルを製作。さらに、アウトドア需要の高まりを見た社員のアイデアから、バーベキュー用の炭焼き台も作りました。
「BtoCビジネスは、まだ利益は少ないですが、三和工業を知ってほしいという思いです。将来、製品を通してうちを知った子どもたちが入社するといいですね」
妻の瞳さんも、佐藤さんが専務になった時に家業に入り、社長就任と同時に取締役に就きました。現在は経理や労務を担当し、コロナ関連の補償金の申請も1人で行うなど、二人三脚で歩いています。
佐藤さんは「妻には、あえて給料明細を従業員に直接手渡してもらっています。私には言いにくいことを話せる環境を作るため、社員とのパイプ役になってもらうようお願いしています」と話します。
先代のまなざしの変化も感じています。「実の子だと遠慮もあり、取引先を入れ替えるなどの大胆な施策は難しかったかもしれません。でもそれを実行してきたからか、今は義理の息子ではなく、経営者として接してくれているように思います」
佐藤さんが目指すのは、ものづくりを通して地域全体を盛り上げる会社です。「板金加工と機械加工の両方を掛け合わせることで、最適な加工方法をお客さんに提案できるのがうちの強みです。その強みをいかしながら、他の製造業と地域に貢献していきたいです」
生まれ育った場所を離れ、未知の世界に飛び込んだ2代目は「とりあえずやってみっぺ!」の精神で、奮闘し続けます。
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