コロナで売り上げ8割減の写真館 2代目が旅館のM&Aに踏み切るまで
茨城県ひたちなか市の小野写真館は、ブライダル事業を柱に業績を拡大してきましたが、コロナ禍で大きなダメージを受けました。2代目の小野哲人さん(46)は、新たな収益減の確保のため、M&A(企業合併や買収)を決意。静岡県の高級旅館の取得に、活路を見いだしました。
茨城県ひたちなか市の小野写真館は、ブライダル事業を柱に業績を拡大してきましたが、コロナ禍で大きなダメージを受けました。2代目の小野哲人さん(46)は、新たな収益減の確保のため、M&A(企業合併や買収)を決意。静岡県の高級旅館の取得に、活路を見いだしました。
――家業にはどんなイメージを持っていましたか。
子供のころは仕事場と自宅が一緒で、フィルムを現像する暗室が身近にありました。現像液は臭いし、悪いことをすると真っ暗な暗室で反省させられたので、家業にはとてもマイナスイメージを持っていたのが本音です。
長男でしたが、両親から家業を強制されることはなく、継ぐ気は全くありませんでした。私自身は起業家へのあこがれがあり、大学卒業後しばらくは外資系の金融会社で働いていました。
――その後、小野写真館に入社し、2010年に社長に就任しました。
26歳ぐらいのころ、母がふと、自分の前で涙をぽろっと流しながら「このままいったら写真館はだれも継ぐ人がいないし、どうなっちゃうんだろうね」とこぼしたことがありました。
私に継がせようというつもりはなかったと思いますが、「これもやっぱり縁なのか」と継ぐことを決めました。
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両親は写真店をゼロからたちあげて、一つの店舗でずっと頑張っていました。ただ自分が継いだら、「地域の写真屋さん」ではなく、企業としてもっと大きくしていくことにチャレンジしようと思いました。
自ら起業しなくても、経営者になるという点では、自分のやりたいことと同じ部分がありました。それまでカメラにフィルムをいれた経験もなかったのですが、米国にある写真の専門大学に通い、05年に小野写真館に入社しました。
――入社したころの経営状況はどうでしたか。
客観的にみて倒産寸前でした。赤字が続いて債務超過で、売り上げの倍の借金があり、いきなり事業再生みたいなことに取り組みました。結果としては、自分が金融業界で学んできたことが、すごくそのまま生きた。最初の3~5年は資金繰りが本当に厳しかったです。自分たちの個人資産を崩して、従業員への給与や関係企業への支払いにあてるなどしていました。
――経営悪化の原因は何だったのでしょうか。
当時の小野写真館は、七五三や成人式に結婚式、学校の卒業アルバムの撮影と、写真の総合デパートみたいに何でもやっていました。はたから見ると、何が特色で強みなのかわからない。これが良くなかった。
金融の仕事でも経験しましたが、わかりやすい強みがある会社は他社との価格競争をしなくて済みます。逆にあれもこれもやっていると、従業員の仕事は増えて非効率になる一方、価格競争に陥り、全然もうからなくなります。
うちはまさしくその状況で、お客さんはたくさん来てるのに赤字でした。このスタイルを変えないと、10年後には無くなると思いました。
――そこからどう立て直したのか教えてください。
当時はカメラがフィルムからデジタルに変わる過渡期でしたが、小野写真館は早い段階でデジタル化に踏み切りました。フィルム代と現像のコストがなくなり、かなり利益が増えた。これは運にも助けられた部分です。
同時に下請けの仕事をやめて、自分で価格決定ができる「川上」の事業をやろうと決めました。結婚式の写真撮影も当時からやっていましたが、下請けとしてホテルでの挙式に組み込まれていて、うちがどれだけ写真を撮りたいといっても受注が増やせない状態でした。そこで我々が川上にたって、自分たちで結婚式の事業を作ろうとなりました。
土地を担保になんとか銀行からお金を借り入れ、06年に結婚式から衣装レンタル、写真撮影まで一括で提供するサービスを「アンシャンテ」というブランドで始めました。当時、写真スタジオだけだと市場規模は多く見積もっても1千億円でしたが、ブライダル業界は2兆円と言われていました。
小野写真館の中で小さくやっていたブライダルフォトを抜き取ってブランド化し、隣接するブライダル業界に参入することで、大きく事業を拡大できると考えたんです。
結婚式場の取得も進め、東京や神奈川にも店舗を展開し、ブライダル事業は成長して経営の柱となりました。会社全体の年間売上高は、私が入社してから約15年で8倍ほどに増え、19年9月期は約16億円となりました。
――コロナ禍ではどんな影響を受けましたか。
それまでは、写真館とブライダル、振り袖のレンタルという三つの事業を主にやっていました。伸びている事業があればその余力で他の事業に投資したり、調子悪い事業を他でカバーしたりして、結果的には10年連続で成長を遂げていました。
世の中で何かあっても、三つの事業のうちどれかは稼げるから、自分としてはいいポートフォリオだと思っていたのです。でもそれが、コロナ禍では総崩れしました。
20年の4~5月は、結婚式がほぼ全組、延期か中止になりました。フォトスタジオや振り袖の事業も、緊急事態宣言を受けて店舗を閉めました。この時期の売り上げは前年比で8割減です。ここまでの影響が出ると、会社をゼロから作り直さなければ、本当にまずいという危機感を覚えました。
――業績回復の見通しはあったのでしょうか。
フォトスタジオは、店舗が開ければ売り上げが戻ると思いました。ただ、人が集まって密になる結婚式への影響は、思った以上に長引くのでは、と感じました。
特に結婚披露宴事業は売り上げ比率が高く、会社全体の3割くらいを占めています。さらに固定費がかかる事業モデルなので、売り上げが2~3割減ってしまう状態が長引くと、(資金の流出が進んで)本当に厳しくなります。
なので、新しい売り上げを生み出す事業を作らないといけない、と早い段階で考えました。ただ、それをゼロから作るのは難しいし、時間もない。そこでM&Aに踏み切ることにしました。
――思い切った決断にも見えます。
最初はコロナを恨んで、悶々としていました。振り返ると、20年春の売り上げが2~3割くらいの落ち込みだったら、何とかなると思って、大きな決断はしなかったかもしれない。ただ実際は8割減という、見たくもない数字を見るしかなく、何もしないまま時間が過ぎたら、本当に会社がつぶれるという恐怖もありました。
そこまで突きつけられて落ち込んだことでふっきれて、社長の自分しか会社を変えられない、と覚悟を決めました。その結果、巡り合えたのが、静岡県の高級温泉旅館「桐のかほり 咲楽(さくら)」でした。
※6日配信の後編では、M&Aの決め手やメリット、売り手となった「咲楽」のオーナーの思いなどに迫ります。
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