「うちは普通の左官屋とは違うな」

 原田左官工業所は、1949年に原田さんの祖父が創業しました。先代の長男として生まれた原田さんは、「父から『継いでほしい』と言われたことはありませんでしたが、いつか継がなければいけないだろうと漠然と思っていました」といいます。

 父は1989年から業界に先駆けて女性職人の採用を始めました。

 「事務スタッフとして採用した女性が、『私も現場に出てみたい』と言ったのがきっかけです。当時、バブルで忙しい時代だったので、掃除などを手伝ってくれる人がいるだけで助かるという状況もありました」

 1990年に女性左官チーム「原田左官レディース」を結成したのを機に、多くのメディアに取り上げられるようになります。

 「中学生のころから、『うちは普通の左官屋とは違うな』と感じていました。左官の修行をして継ぐことも考えましたが、今までと同じやり方では会社を発展させることはできないだろうと。家業とは違う世界を経験した方が、将来継ぐときに役に立つのではないかと考えて進路を決めました」

 高校卒業後は4年制大学の経済学部に進学。大学卒業後、携帯電話の部品メーカーで3年間営業職を務めたのち、2000年に同社に入社しました。

スポーツ界の「モデリング」、人材育成に応用

 2007年に3代目社長に就任。当時、若手が入社してもすぐに辞めてしまうことが課題でした。原田さんは、若手が定着しない原因が既存の教育方法にあるのではと考え、ベテラン職人の塗り姿を真似して覚える「モデリング」と呼ばれる人材育成システムを採用しました。

「モデリング」によるトレーニング風景(原田左官工業所提供)

 「モデリング」は、もともと野球やゴルフなどのスポーツ界で用いられている育成方法です。原田さんは、これを左官職人に応用しました。

 「左官職人の世界は『見て覚える』のが基本で、長い下積み期間を乗り越えてこそ一人前という考えがありました。昔の見習いの仕事は、掃除や材料の運搬など下働きばかり。仕事の手順も知らないまま、先輩に『あれ持ってこい』と言われても、何をしたらいいのかわからなくて、やる気があっても挫折する人が多かった。そこで、まずは『塗り』から“左官の入り口”を掴んでもらう仕組みをつくりました」

 まず、一流の職人が塗る姿を撮影した動画を見て真似をします。本人の塗り姿も撮影し、違いを修正しながら、繰り返し練習します。ベニヤ板1枚分の練習台に土を塗り、それを剥がす作業を1時間に20回できるまで訓練します。一流の「型」を真似ることで、「効率的に基本の塗り方をマスターできる」といいます。

入社1カ月のトレーニングで定着率アップ

 入社後1カ月は、原田左官工業所に併設された練習場で基本の動きをトレーニング。材料の固さの調節から仕上げまでの手順を覚えます。その後半年間は、先輩社員が教育係として付き、現場実習を行います。その後は、いろんな現場を経験しながら仕事の段取りを覚えていきます。

社内講習会の様子(原田左官工業所提供)

 はじめに塗り方を覚えることで左官の面白さを実感でき、現場に出るチャンスも与えられるため、若手の定着率アップにつながっています。

 「入社後のトレーニングで作業の手順を理解しているので、現場に出たときには、『この材料を練っておけばいいんだな』と自分で考えて動くことができるようになります」

 当初は見習いにコテを持たせることに反発する職人もいましたが、日々成長する若手の姿を見て協力してくれるようになったといいます。

「年季明け」にはフォトブックを進呈

 原田左官工業所では見習い期間を4年と設定。左官の世界では見習い期間を修了することを「年季が明ける」といい、社員全員で祝います。

 例年、本人の家族や取引先も招待し、職人としての決意表明を行い、また、4年間を記録したフォトブックも贈ってきました。

見習いから職人になる「年明け披露会」(原田左官工業所提供)

 「4年間という“目先のゴール”を明確に示すことで、モチベーション維持につながっています。また、当社は毎年2~3人の若手を定期採用しています。年齢の近い先輩がいて相談しやすい環境であることも若手の定着につながっています」

 また、社内で検定練習会を定期的に開催し、資格取得を積極的に支援しています。左官技能検定1級・タイル張り技能検定1級の受験料は会社が全額負担。合格したときに会社から支給される報奨金制度も設けています。

 さらに、先代の「職人を守る」という考えを受け継ぎ、職人を正社員として雇用しています。ボーナスを年2回支給し、有給も取りやすい環境を整備しています。

女性が働きやすい環境づくり

 原田左官工業所は30年前から女性を採用し、現在では12人の女性職人が活躍しています。

女性職人(原田左官工業所提供)

 かつての女性職人は、結婚・妊娠すれば辞めるのが当たり前だったといいます。しかし、父が社長を務めていたときに、ある女性職人から「出産後も仕事を続けたい」との申し出があったのを機に、育児休業制度を整備しました。女性専用の休憩室を設けたり、産後ゆるやかに復帰できるよう配慮したりと、働きやすい環境を整えています。

 「こうした体制が定着するまでに長い年月がかかりました。父が社長を務めていた時代の職人は、いわゆる仕事だけをしていればよかった世代。子育てへの理解は全くありませんでした。そこで、当時会社を手伝っていた母や事務の女性が中心となり、育児中の女性の相談窓口を作ろうと努めました。それでも一番初めの女性は苦労したそうですが、後に続く女性が増えたことで次第に社内の雰囲気が変わっていきました」

左官の「地味な仕事」も情報発信

 原田左官工業所は主に飲食店やアパレル、百貨店のハイブランドショップなどの店舗内装を手掛けています。しかし、「こうした華やかな一面を前面に打ち出すと、採用後のミスマッチが生じてしまう」といいます。

 そこで、原田さんは、ホームページでの情報発信に工夫をしています。

 「左官の仕事の中で、装飾は一部。派手な仕事に惹かれて入社しても、長続きはしない。そこで、実際にはセメントを運んだり、下地を作ったりといった地味な仕事が多いことを詳しく伝えるようにしています。そうすることで、左官という仕事そのものに興味を持って応募してくれる人が増えました」

“上を目指し続ける職人”を育てる

 2014年には、左官の訓練校を開講。現在、左官業者8社と共同で若手職人の育成を行っており、毎年15人前後の訓練生を受け入れています。

 「一つの目標に向かって、同じ熱量の仲間と共に学ぶことで、切磋琢磨しながらレベルアップできます」

 こうした取り組みが功を奏し、入社3年以内の離職者はほぼゼロになりました。2000年当時、20数人だった従業員も50人に増加。社内には「教え合い、助け合う文化」が根付き、新人が自然と輪に入れる雰囲気に変わりました。

 原田左官工業所は、若手、女性、ベテラン職人が共存することで、強い組織を築いています。

 「今後も先代から受け継いだ伝統技術を残しつつも、時代の変化に合わせて新しいアイデアを取り入れていきたい。そして、すべての職人がお互いに高め合える環境をつくることで、『常に上を目指し続ける職人』を育てていきたいですね」