目次

  1. 企画やアイデアで差別化
  2. 音楽の道を目指し、米国でDJ
  3. 家業をやめて広告会社へ
  4. 復職直後に父が他界
  5. 社内改革に納得感を得られた理由
  6. 残業は減らして業績アップ
  7. SDGsを意識した商品がヒット
  8. 父の時代に無かった発信力を強化
  9. 誰もやりたがらないことをやる

 ユニファーストは、スポーツチームや企業のロゴが入ったTシャツやバッグなど、販促グッズやノベルティーの製作を主に手掛け、最近はエコ商品の開発にも力を入れています。従業員数は52人で、年商は34億円(2020年12月期)になります。

 同社は1981年、橋本さんの父が創業し、当初はTシャツのシルクスクリーンプリントなどを手掛けました。アパレル系の仕事が中心でしたが、1993年のJリーグ開幕などを機に、イベントに使うジャンパーなどの製作を請け負うようになりました。

 スポーツブランドや、セールスプロモーションのOEM(相手先ブランドによる製造)が、現在まで続く主力事業の一つとなりました。橋本さんは「工場を持たないファブレス企業として、企画力やアイデアで差別化しています」と言います。

 創業翌年に生まれた橋本さんは子どものころ、家業を継ぐ意識はありませんでした。「半年に1回くらい会社に立ち寄り、グッズを作っている会社とは思っていましたが、仕事としての興味はありませんでした」

 中学生のころ、母親が病気で体調を崩し、父との関係がぎくしゃくしました。高校卒業後、大好きだった音楽を学ぶために、米国・ロサンゼルスに留学する直前に、母を亡くしました。

 「父は仕事が忙しいということもありましたが、当時は家庭を顧みているようには思えませんでした。父との間にしこりが残り、渡米してからも、1、2年はしゃべりたくない状態でした」

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