「泥舟に乗せられない」入社を断られても 諦めなかった老舗製本業4代目
創業75年を迎える家族経営の製本会社「渡邉製本」4代目河合枝里子さん(36)は「娘を泥舟に乗せることはできない」と両親から家業に入ることを止められましたが、10年後、自ら家族会議を申し出て入社を果たします。これまでの製本事業だけにこだわらず、家族の思い出をしまっておける紙製のポケットフレームの開発など新規事業を通じて事業承継の準備を始めています。
創業75年を迎える家族経営の製本会社「渡邉製本」4代目河合枝里子さん(36)は「娘を泥舟に乗せることはできない」と両親から家業に入ることを止められましたが、10年後、自ら家族会議を申し出て入社を果たします。これまでの製本事業だけにこだわらず、家族の思い出をしまっておける紙製のポケットフレームの開発など新規事業を通じて事業承継の準備を始めています。
東京都荒川区にある渡邉製本は、出版社から刊行される学術書・辞典・辞書などを中心にOEMを手がけてきた製本会社です。
枝里子さんの曽祖父である初代・渡邉由吉さんが10歳の頃、仙台から上京し丁稚奉公として製本の道に入り、終戦後、製本会社の不足により出版社から資金提供を受け1946年に創業しました。
高度経済成長期、従業員は30人を抱えるまでに会社は成長しました。しかし、出版不況により同業者の数は低迷の一途を辿ります。
全日本製本工業組合連合会によると、昭和50年代のピーク時には都内に1,400社あった製本会社が、現在は4分の1にまで減ったそうです。歯止めの掛からない状況に、渡邉製本の売上げも一時は、最盛期の4割減にまで落ち込んでしまいました。
「最近は電車に乗っても、みんなスマホは見てるけど、本を読んでる人は1車両に1人か2人だもんね。それを見ても、本離れは致し方ないことだよね」
枝里子さんの父であり3代目社長・渡邉浩一さん(65)は製本業界の行く末を案じています。
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そんな折、4代目となる娘の枝里子さんが一昨年入社しました。
1階が工場で、2階が自宅だったので職人が働く姿や機械の音は子どものころから生活の一部でした。
本や文房具が昔から好きで、専門学校ではグラフィックデザインを学び、卒業後は「家の仕事がしたい」と希望しましたが、「娘を泥舟に乗せることはできない」と母から伝えられ入社を断られてしまいました。2008年当時は印刷出版業界の不況に加え、電子書籍も徐々に広がりを見せ、今後の先行きが分からない状態でした。
枝里子さんとしても「会社が厳しい中で一人娘に家業を継がせる」というプレッシャーを与えないように気を配ってくれた親心も理解でき、一般企業に就職することを選びました。
それから10年以上の時を経て、渡邉製本が新規事業として自社のオリジナルノートの製造販売に着手した頃、母から声を掛けられるように。初めはパソコン作業など簡単な頼まれごとでしたが、次第にオリジナルノートの開発にも関わるようになっていきました。
「一度断られていたので、私の中では“継げないもの”って思っていました」
思いもよらなかった母からの誘いに戸惑いもありましたが家業への興味は変わらず、自ら家族会議を申し出て、一度は諦めたこの場所で働くことを決意します。
“70年の歴史と技術を詰め込んだ製本会社ならではのノートを!”と、開発に1年半かけ完成した初めてのオリジナルノートは、一冊一冊熟練の職人の手が入り360度開いても丈夫な使い心地と品質の良さが文具好きの心を掴み、いまでは海外でも評判を呼んでいます。
その後も年に一度のペースでオリジナルノートを発表してきましたが、「メーカーとしての歩みを加速させるには、ノートだけでは限界がある」と、母・彰子さんと枝里子さんが主体となって今年初めてノート以外の商品にチャレンジしました。
母・彰子さんが枝里子さんの幼少期に描いた絵をお道具箱に保管していた経験から、
「子どもが描いた絵を大切にしまっておけるアイデア商品」を考案しました。絵をポケットのような台紙に収納することから、商品名は『えぽっけ』と名づけました。
ノートとは異なるジャンルの製品のため、これまでとは作り方もマーケットも異なり右も左も分かりません。そのためものづくりの基礎から学ぶ必要があると、母とともに東京都中小企業振興公社が主宰するセミナーに通い、製品化に至る具体的な進め方から販路開拓まで一つひとつサポートを受けました。
「うちは家族と職人さんたちの少人数でやっていて、新商品開発チームが特別にあるわけじゃないので、日常業務と平行しながらの作業が大変でした」と枝里子さんは振り返ります。
父は経営に携わりながら現場にも出て、母は経理・総務を兼任しながらの作業。「人手がない」「時間がない」「お金がない」の“ないないづくし”のなか、枝里子さんが中心となり《仕様の設計、材料の買い出し、外注先との打合せ、加工費の算出、市場調査、知的財産》などに奔走しました。
さらには商品のPR動画撮影、編集にも終業後や休日を利用して打ち込みました。またSNSを活用し自社製品の宣伝だけでなく、職人たちの手業や製造過程など外からはなかなか見ることのない“製本工場の日常”の情報発信にも取り組んでいます。
空白の時間を埋めるように奮闘する娘の姿を見て、母・彰子さんは次のように話しています。
「自分たちの背中を見て、会社に入りたいと思ってくれたことは素直にうれしい。だけど製本業界は先細りだし、すごく大変。だから本当は自分の代でやめようと思ってた。枝里子の旦那さんにも迷惑がかかるかもしれないから継がせるにも踏ん切りがつかなかった。でも会社の帳簿も全部見せて、それでもやるって言ってくれたので。すごく助かりました、枝里子が居なかったら新商品は形にならなかったと思う」
これまでの製本業と新規事業であるメーカーとの両輪で進めていくため、そして父から娘へと事業承継するため枝里子さんは「経営革新計画」にも取り組みました。
「(枝里子に)5年がんばってもらって、俺は70歳で引退すればいいんだ。上手く生き延びていけるかどうかはまだまだ分からないけど後継ぎがいるっていうのはやっぱり励みにはなりますよね」。父・浩一さんはそう笑います。
ペーパーレスがますます加速し、製本業界の衰退に加えてコロナ禍の現状。
「これまで製本の勉強をしてきたわけじゃないし、後継者としては年齢的に遅れを取っているから、もっと本業や経営のことを学ばないといけない。父と母がいなくなったらどうしていくか不安だし、メーカーとしての営業もプロモートできる人が必要だし……」
大変なことは山積みだけど、それでも家業を後世に残していきたい、と枝里子さんは話します。
ちなみに最近、商品の海外展開に向けて家族3人で英会話も始めたそうです。
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