目次

  1. 後継ぎになるつもりがアパレル企業に
  2. 「売るまで帰れない」行商スタイルで奮闘
  3. 変わらぬ家業に危機感
  4. 「買い続ける」ため輸出に活路
  5. スーツケースにしいたけを詰めドイツへ
  6. 「ベジタリアン」「ヴィーガン」需要に手応え
  7. 既存のサービスを使って輸出
  8. コロナ禍で売り上げを支えた紹介動画

――杉本さんは子どものころ、家業についてどう思っていましたか。

 高校卒業まで高千穂で育ち、しいたけは身近な存在でした。家業のしいたけ屋は、10歳上の兄が「継がない」と宣言したので、私が継ぐのだろうと思っていました。

高千穂郷の原木栽培しいたけ

――東京の大学に進学したのですね。

 「一度は東京に出て、外の世界を見てきなさい」という家の方針もありました。大学にはあまり行かず、アルバイト先の先輩が連れて行ってくれたサーフィンに夢中になりました。

 卒業後は高千穂に帰るつもりでしたが、大学2年のときに、兄が急に「家業を継ぐ」とUターン。母からも「無理に帰ってこなくてもいい」と言われ、急にノープランになりました。飲食業や建設業を経て、サーフィンの先輩が湘南で立ち上げた、アパレル企業に就職しました。

――どのような仕事だったのですか。

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