家具屋夫婦が生んだ子ども用「竹食器」 トップセールスで販路拡大
国会議事堂で使われてきた木製家具を手がけてきた家具メーカーの3代目夫婦は、誰もが気軽に使える商品を作りたいと考えて独立し、子ども用「竹食器」を開発しました。食べやすさを追求し細部まで工夫した商品は、トップセールスが功を奏し1000店舗まで販路を広げました。そんな新規事業とともに育った長女は中学生になりました。
国会議事堂で使われてきた木製家具を手がけてきた家具メーカーの3代目夫婦は、誰もが気軽に使える商品を作りたいと考えて独立し、子ども用「竹食器」を開発しました。食べやすさを追求し細部まで工夫した商品は、トップセールスが功を奏し1000店舗まで販路を広げました。そんな新規事業とともに育った長女は中学生になりました。
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食品と同様に、食器も安心・安全なものを選んでほしい――。そんな思いから、子ども用竹食器ブランド「FUNFAM(ファンファン)」を生み出したのが、FUNFAM代表の藤岡康代さん(46)と共同創業者である夫の恒行さん(45)です。
康代さんの前職は全日空の国際線客室乗務員でした。結婚後、夫の実家である家具メーカー「タヌマ」(現在は廃業)を手伝うようになります。2006年当時、環境保護の観点から森林伐採に制限が設けられ、木材の価格が高騰したため、木に替わる素材として竹に着目。当初はベッドやテーブルなどの家具を製作していました。
しかし、タヌマは釘を一切使わない伝統工法で製作する家具集団であったため、価格が高額になってしまうという課題がありました。そこで、「一般のお客様に気軽に使っていただける商品を」との考えから、タヌマの一事業として生まれたのが新ブランド「FUNFAM」です。その後、2011年8月に独立。従業員は10人です。
「妊娠したのを機に、食に関心を持つようになったのも、きっかけのひとつです。当時、中国製粉ミルクのメラミン混入事件やメラミン食器の安全性が問題視されるなど、不安なニュースが流れていました。ひとりの母親として、誰もが安心して使える商品を作りたいと考えました」
「FUNFAM」は、子どもがスプーンで食べ物をすくうのに最適な食器の角度「R10」と厚さ21ミリを採用し、特許を取得しています。
また、1~2歳の子どもは視力がまだ弱い時期であることから、食器のふちを認識しやすいよう濃い茶色のラインを施しました。さらに、食器を安定させるために底面に溝を設けるなど、細部まで工夫を凝らしています。
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現在のデザインに至るまで、十数人の子どもをチーム分けし、それぞれ食器の角度と厚さを変えてモニタリングを実施。商品販売後も、洗いやすさなどママ目線の意見も取り入れ、改良を繰り返しました。
「自分で上手に食べられたという“小さな成功体験”を積み重ねてほしいという思いが一番にありました。子どもたちに“食べる楽しさ”を感じてもらえたら嬉しいですね」
独自の商品を開発するうえで、最も苦労したのが職人探しです。食器と家具では製造機械も必要な技術も違うため、一から職人を探さなければなりませんでした。下町の職人に頼み込んで、何とか試作品を作ってもらうことができました。
その後も、全国各地の職人の元へ何度も足を運び、「子どものことを考えた商品」であるという思いを伝え続け、次第に協力してくれる職人が増えていきました。
発売当初は、販売数も限られていたため、幼い長女を乗せたベビーカーを横に置き、康代さん自身がはんだゴテで、ひとつひとつ焼き印を入れていました。
ただ、ハンダゴテは押しているうちに熱くなるので、バケツを隣において冷やしながら、押し続けました。ただ、手のひらだけは火傷してしまうので、タオルを巻いて冷やしながらの作業でした。
さらに、人気キャラクターのライセンス契約も積極的に行ってきました。最も時間を要したのはスタジオジブリで、版権取得までに4年もの歳月を費やしました。
「国内外で愛されるスタジオジブリとコラボレーションすることで、より多くのお客様に認知していただき、日本の職人の高い技術力を世界に伝えたいと考えていました」
粘り強く交渉を続けた結果、「許可を得たときは本当に嬉しく、『諦めずに取り組み続ければ、道は開ける』と従業員全員で喜び合いました」と振り返ります。
そうしたなか、飛躍の機会が訪れます。2009年ごろにギフトショーへの出展を機に、伊勢丹のバイヤーから「イベントのディスプレイとして展示させてほしい」と声をかけられたのです。
とはいえ、「何もしなければ展示だけで終わってしまう。商品を売り場に置いてもらいたい」。そう考えた康代さんは、バイヤーに直談判し、試験販売の機会を掴みます。
しかし、当初は2万円のお食い初め用のフルセットしかなく、なかなか売れませんでした。そこで、税込5000円台の手頃な価格の商品ラインナップを増やしました。出産祝いのギフト市場にターゲットを絞り、名入れサービスも始めたことで、徐々にリピーターが増えていき、他の大手百貨店にも販路が広がっていきました。
もうひとつの転機となったのが、ザ・リッツ・カールトン東京での採用が決まったことです。
元総支配人のリコ・ドゥブランク氏の出版記念サイン会に赴き、直接交渉を試みます。後日、ご家族に贈った商品を気に入ってもらえたことが功を奏しました。その後、アマン東京、マンダリンオリエンタルホテルなど、外資系ホテルの取引先が増えていきました。
「無名の商品を知っていただくのは難しい。とはいえ、広告費をかける余裕もありません。そこで、まずは影響力のあるハイエンドのお取引先から攻めようと考えました。一流のお店に置いていただくことで信用が高まり、自然と好条件のお取引につながるようになりました」
こうした営業努力が実を結び、約3年で全国1000店舗に販売網を拡大。さらに、フランスのインテリア展示会「メゾン・エ・オブジェ」や「ニューヨークギフトショー」にも出展し、海外へも名を広めています。
2017年には、東京都檜原村に本社を移転し、自社工場を建設。檜原村の「企(起)業誘致優遇制度」を活用しました。
以前から工場建設に向けて土地を探していたものの、なかなか適した土地が見つかりませんでした。そんなとき、アドバイザーから檜原村の企業誘致の話を提案されます。しかし、すぐには決断できませんでした。
「商品の送料、集荷の回数、従業員の確保など、あらゆる面を考慮しました。また、地盤の強度や水害の有無などの調査も行いました。3年くらい悩みぬいた結果、総合的に考えてプラス面が大きいと判断し、自然豊かなこの土地で新たなチャレンジをすることを決意しました」
他の企業が使用していた木工所を3カ月かけて改装し、清流を空調に利用するエコ工場としました。
コロナの感染拡大により、百貨店の閉店が相次いだことで、売り上げにも少なからず影響がありました。そうしたなか、新たな事業として宅配離乳食「ごかんごさいBOX」をスタートしました。
「ごかんごさい」は、「5歳までに五感を育む」がコンセプト。これは、康代さんの原体験から生まれたサービスです。
「娘が9カ月のときに食物アレルギーであることが判明し、食事療法を取り入れるようになりました。もともと料理が好きで、離乳食づくりも楽しいと思っていた自分ですら、こんなに追い込まれるんだと改めて気づきました。この経験から、離乳食の悩みを解決し、子育て期のママの孤立を防ぎたいという思いで始めました」
「ごかんごさいBOX」は、厚生労働省「第9回健やか親子21 健康寿命をのばそうアワード」で優良賞を受賞。現在、Zoomでの離乳食スクールも開催しています。
康代さんが大切にしている言葉は、「因果応報」です。「たとえ事業がうまくいっても、誰かを悲しませた結果の成功であれば、いずれは自分に返ってくる。だからこそ、経営者として協力してくれる職人さんのことを常に大切に考えている」といいます。
「今後は、さまざまな事業を通じて、5歳までのお子様を総合的にサポートしていきたい。子どもを持つ親御さんに身近に感じてもらえるような会社にしたいです」
現在11期目。幼かった長女も中学生になり、撮影や資料作成を手伝ってくれるようになりました。これからも新たなアイデアを実現し、次世代へと引き継ぐため、藤岡さん一家は三人四脚で走り続けます。
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