目次

  1. 日本初の技術を開発
  2. リーマン・ショックで打撃の家業に
  3. 「祖父の改革魂を」と鼓舞
  4. 「究極の家族経営を」と宣言
  5. 技術継承も人事評価も明確に
  6. 家業の将来に危機感を抱く
  7. EV事業への挑戦を決めた理由
  8. スタートアップでEV事業に
  9. デザインにこだわった充電器
  10. 「やるか、やらないか」が重要

 大川精螺工業は、大川さんの曽祖父・大川儀三郎さんが1934年に創業しました。「精螺」とはねじメーカーがよく使う屋号で、当時はねじ加工を手がけていました。

 2代目で祖父の留雄さんは、月商の3倍もの値が張った米国製の機械を導入し、特殊鋼のコイル材を連続圧造で常温加工できる冷間鍛造技術で、自動車に使うボルト部品の大量生産に挑戦します。

 大川さんは「自動車業界が伸びていく時代を先読みした祖父の判断と改革魂で、大幅に売り上げを伸ばしました」と言います。

大川精螺工業のブレーキ部品(同社提供)

 創業時からの切削に加え、金型製造などの技術開発に邁進し、98年には日本で初めて、ブレーキホース継手金具の一体成形技術の開発を実現しました。多くの自動車・オートバイメーカーで同社製品が使われ、国内シェアは65%にのぼります。

 「自宅兼工場で働く従業員のまかないを祖母が作ったり、休日は従業員と一緒にマージャンを楽しんだり。ファミリーという言葉がぴったりの会社で、祖父がリーダーとして従業員という家族を引っ張る姿に、大いにあこがれました」

 祖父のような経営者になりたい――。大川少年は家業への想いを抱きましたが、「後を継げとは言われず、まずは幅広い経験を積もうと思いました」。大手広告会社・電通でマーケティング業務に携わります。

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