目次

  1. 先代のヒット製品で成長
  2. 東京に出てまさかの留年
  3. コミュニケーションの大事さを痛感
  4. ユーザーの声を製品に反映
  5. 社長就任で気づいた採用の難しさ
  6. 生活面でも「移住」をサポート
  7. 培った技術をアスリート支援にも
  8. 新しいものを採り入れながら改善を続ける

 中村ブレイスは、中村さんの父・俊郎さんが1974年に創業しました。京都やアメリカの義肢装具会社で積んだ経験を故郷の大森町で開花させ、シリコーンゴムを用いたインソール(足底版)の大ヒットなどで、会社を年商10数億円規模にまで成長させました。

 中村ブレイスのブランドをより確かなものにしたのが、「メディカルアート」と呼ばれる人工補正具です。

 事故で指を失ったりがんで乳房を切除したりした人のために、欠損部分をシリコーンゴムで作るのですが、中村ブレイスでは肌の色の濃淡やしわ、血管まで忠実に再現し、本人の体毛を移植するケースもあります。その精巧さから自社でメディカルアートと名付け、ユーザーが日本各地や海外からも来社するようになりました。人工乳房や人工肛門用装具といった、特殊なオーダーメイドの製品作りも手がけます。

精巧さが際立つメディカルアート製品

 「自宅の隣に会社があり、子どものころから家業が『ものづくり』だという意識はありました。父は多忙を極めていましたが、夕食は家族で一緒にと、時間をやりくりしてくれました」

 父の背中を見ながら育った中村さんは、高校卒業後、いったん地元を離れました。

 「家業を継いでほしいと言われたことはなく、自分の中でも『敷かれたレールには乗りたくない』という思いがありました。違う世界も見たいと感じ、日本大学経済学部に進学しました」

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