「放っていたら潰れる」 仙台簞笥店7代目が挑む海外展開と技能継承
仙台市の門間簞笥(たんす)店は、伝統の「仙台簞笥」を海外へと送り出しています。7代目の門間一泰さん(45)は父の急逝を機に、リクルートから右肩下がりだった家業に転身。150年続く家業を守りながら、たんす一本から他の家具に商品群を増やしたり、他の伝統工芸品の海外進出を支援したりして、事業の可能性を広げています。
仙台市の門間簞笥(たんす)店は、伝統の「仙台簞笥」を海外へと送り出しています。7代目の門間一泰さん(45)は父の急逝を機に、リクルートから右肩下がりだった家業に転身。150年続く家業を守りながら、たんす一本から他の家具に商品群を増やしたり、他の伝統工芸品の海外進出を支援したりして、事業の可能性を広げています。
目次
仙台簞笥は、伊達政宗公が仙台藩を治めていた時代に、城で建具の一部として使われていたとされています。漆の塗りや磨きを重ねる「木地呂塗」の技法は、30ほどの工程があり、顔が映るほど磨き上げるのが特徴です。
前板には仙台の市木でもあるケヤキが使われ、縁起物や家紋がモチーフの金具がついた、美しいたんすです。
門間簞笥店は1872年の創業で、仙台簞笥の伝統を代々受け継いできました。7代目の門間さんも、幼い頃から家業を継ぐのが当たり前と思っていました。「工房にも出入りして、職人が常に身近なところにいました」
それでも、家業を継ぐ前にビジネススキルを高めたいと、早稲田大学卒業後の2001年、リクルートに入社。人材関係の部署で、中小企業と新卒学生とのマッチングを行う新規事業などを担当した後、ブライダル系の部署でインテリア家具関連の広告を扱いました。
キャリアを積み、退職準備を始めた矢先の11年、東日本大震災が発生しました。
登録有形文化財にも指定されている工房と店舗の入る本社の古民家が、大規模半壊の被害を受け、どちらも復旧に数カ月を要しました。「その間売り上げも全てストップしたので、影響はかなり大きかったです」
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先行きが見通せない状況のため、一度は会社に残ろうと考えましたが、震災から10日後、5代目だった父が病気で亡くなり、家業はいったん母が継ぎました。
生活様式の変化でたんすの需要が減り、この頃は売り上げが現在の半分ほどしかありませんでした。親からは「継がなくていい」と言われました。
しかし、門間さんは11年6月、専務として家業に入ります。「放っていたら会社は潰れてしまう。歴史ある会社は、どれだけ頑張っても手に入るものではありません。家業に入ってだめなら転職しようと思って戻りました」
門間さんが家業に戻ってすぐに着手したのは、自社のブランディングです。たんす一本足から脱却し、他の工房が製作した椅子やテーブルなどの家具も委託販売で扱うという大きな決断をしました。
門間さんは仙台簞笥の強みを感じつつ、旧態依然とした商売のやり方に課題があると感じており、ビジネスモデルをアップデートしようと考えたのです。
「他の家具を含めたトータルコーディネートで、(自社の)たんすを販売しようと考えました。母は当初、他の家具を扱うことをあまり良く思っていませんでしたが、お互いを高められる品質のものを扱うことを条件に、認めてくれました」
門間さんは、九州で開かれた家具の見本市へ出向き、無垢材の一枚板からテーブルなどを作る工房と提携し、販売を始めました。すると、自宅のリフォームを考えている人や、30代などの若い層にもニーズが広がりました。
12年には、震災復興支援の見本市で出会ったデザイナーと一緒に、自社のロゴを刷新。新たな家具ブランド「monmaya+」を立ち上げました。
コンソールテーブルや壁掛け収納など、仙台箪笥の伝統技能を用いて、現代の生活様式に合う家具を作り出しました。
コンソールは仙台簞笥と同じ素材を使い、側面と天板の接ぎ手にも昔ながらの組み方を採り入れ、伝統技能を生かしています。塗りは、木地呂塗りと、生漆を和紙で刷り込みながら拭き取る作業を10回繰り返す「拭き漆」という技法を用いて、壁掛けは昔ながらの塗料である柿渋を採用しました。
プロデュースを手がけた門間さんは「昔の技を現代にどう翻訳するか。受け継がれてきた技法という良い商材があるのだから、そこを差別化してスタイリッシュに打ち出そうと考えました」と振り返ります。
コンソールテーブルは13年、壁掛け収納が16年に、それぞれグッドデザイン賞を受賞しました。
14年、門間さんは再び大きな決断をします。仙台簞笥を海外でも売り出すことにしたのです。
「国内市場はいずれ限界が来ますが、海外はブルーオーシャンだと思いました」。前職時代に出会った知人の紹介などで、ロサンゼルスや香港などでテスト販売に挑みました。
「仙台簞笥は和風かつ洗練されたデザインで、歴史的背景もあります。作り手が海外で販売することはなかったようで、お客さんの反応がとても良かったんです」
ただ、毎回うまくいくわけではありませんでした。「台湾で1カ月企画展を開催した時は、たった10万円しか売り上げが立ちませんでした。販売のタイミングや、売り場の客層などの事前調査が甘かったのが反省点です」
門間さんが接客を重ねるうち、海外の顧客は木目がはっきり見えるものを好むことに気付きました。そこで、「拭き漆」の技法を使って木目の美しさを際立たせる製品を、メインに扱うことにしました。
香港では百貨店担当者の目に留まり、ポップアップスペースでの不定期販売を繰り返しました。評価は高まり、17年に香港、19年には上海で、それぞれ常設の直営店をオープンさせました。
「百貨店の顧客は富裕層が多く、日本が好きな方も少なくありません。百貨店側でPRに力を入れてくれるので、自分たちで一から宣伝する手間も省けます」
現在、年商1億円のうち、海外での売り上げが8割を占めるまでになりました。
門間さんが新規事業を進めていく過程では、リクルートの経験も役立ちました。「様々な方を紹介してもらっただけでなく、目標に向けて段取りを組むことや、考え方、やりきる力を鍛えてもらった経験が大きかったです」
門間さんは新規事業と並行して進めたのが、事業承継の準備です。専務として社内の業務フロー、製造プロセスや技術、営業の取引先などを徐々に把握していきました。
大変だったのは「お金まわりのこと」と言います。「銀行とのやりとりや登記簿、もろもろの手続きなどたくさんありましたし、借り入れの保証人はどうするかや、税金の問題もありました」
門間さんは5年かけて、少しずつ事業を承継しました。「時間をかけたことで、金融機関や関係先とももめずに、スムーズに移行できたと思います。社員も自然に受け入れてくれました」
門間さんは18年、満を持して7代目社長に就任しました。
海外展開を進めてきた門間簞笥店も、新型コロナウイルスの感染拡大で、売り上げが従来の3分の2まで減少しました。海外にも行けず、現地の店舗管理がしにくい状況が続いています。
一方で、現地テナントの家賃が下がるという利点もありました。「今後さらに海外が売り上げの柱になる。コロナ禍の今だからこそ、選択と集中を考えました」
21年11月に、香港に路面店を開くことを決めた一方、仙台市内にあったショールームは閉鎖。代わりに、倉庫の一部を改装して商品を展示し、現在は完全予約制で対応しています。
国内では地元住民や法人向けなどへの販売で収益を上げる戦略です。約30年前から手がけている、たんすのフルリフォームも、依頼が多いビジネスといいます。
門間さんは、伝統の継承にも力を入れています。家業に戻ってから、若い人材の確保に努め、現在30代と40代の職人が、1人ずつ働いています。工房の2階には伝承館を構えて仙台簞笥を展示し、地元の小学生の社会科見学も受け入れています。
門間さんは、仙台簞笥のように、伝統工芸品を海外に売り出したい職人らの支援にも乗り出しました。テストマーケティング、データ収集、コンサルティングなどを担い、現在は福島県の80代の漆作家をサポートしています。
「伝統工芸品は、職人が製作から販売まで1人で担うケースが多く、このままだとみんな廃業してしまいます。門間簞笥店の販路を使って海外に広めることで、次世代に伝統を継承するプラットフォームを作りたいです」
門間さんは、日本全体を見据えた伝統工芸品の技能継承を目指しています。
「今後10年くらいで、産地の枠を超えて技能を継承する時代が来ると思います。技能は宝なので、自社の利益だけでなく、他の作り手も交えながら、次世代につなげたいです」
明確なビジョンと覚悟を持つ7代目は、時代に即して柔軟に技能をフィットさせながら、伝統の継承に挑み続けます。
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