「起業したらいいじゃん」 友人の言葉で決意。急成長「食べチョク」の原点
会社員や職員などの「組織」から独立し、20~30代で創業した起業家は、どんな思いで、何をめざして、会社を立ち上げたのか。次代を担う起業家たちのメッセージを伝えます。
会社員や職員などの「組織」から独立し、20~30代で創業した起業家は、どんな思いで、何をめざして、会社を立ち上げたのか。次代を担う起業家たちのメッセージを伝えます。
目次
全国の農家や漁師から直接商品を購入できる日本最大の産直通販サイト「食べチョク」を運営するビビッドガーデン。創業者で代表取締役社長の秋元里奈さん(30)は、大学卒業後に入社したIT企業のDeNAを25歳で退職し、生産者のこだわりが適正に評価される“生産者ファースト”のサービスを立ち上げました。なぜ起業しようと思ったのでしょうか? お話をうかがいました。
――25歳でDeNAを退職されて、ビビッドガーデンを設立されました。起業の経緯と「食べチョク」というサービスを作ろうと思ったきっかけを教えてください。
もともと、私の実家が農業をやっていたことが大きな要因です。実家の農業は中学校のときに廃業し、それから10年ぐらい全く手つかず状態でした。
新卒で入社したDeNAに在籍中のある日、帰省したところ、10年前まではきれいに整理されていた畑が耕作放棄地になってしまっている光景を見て、「なんで農業をやめちゃったんだろう」とショックを受けたのが最初のきっかけです。
そこから全国の生産者さんにお話を聞いていくと、災害や天候不順、後継者問題などさまざまな課題を抱えていることを知りました。
今事業を続けていらっしゃる生産者さんが10年後、20年後も畑を守り続けられるように、「色鮮やかな農地を残したい」という思いを込めてビビッドガーデンを創業しました。
↓ここから続き
――ご両親からは「将来は農家を継いでほしい」とは言われなかったですか。
いえ、母からはずっと「継がないで」と言われていました。収入面の不安定さなどから「なるべく安定した職に就いてほしい」と小さいときから言われていました。
そのときは「そういうものなのか」「そうか、農業って難しいんだな」と、特に疑問を抱くことはありませんでした。農業をやめると聞いたときも「やめちゃうんだ」ぐらいの感覚で、10年後に農地が荒れてしまうことが全然イメージできていなかったんです。「農業」という軸で仕事をすることも全く考えていませんでした。
――大学卒業後にDeNAに入社されます。DeNAでは、どのような仕事をされていたんでしょうか?
3年半の在籍期間中に4つの部署を経験しました。新規事業の部署や、Webサービスのディレクション業務や営業、企画・分析などです。最後はスマホアプリのマーケティングの部署で、ゲームアプリのマーケティング責任者をやっていました。
――そうした業務から、「農業」をコンセプトにした起業に至るまでには、どのような心境の変化があったのでしょうか。
DeNAに入社した理由として「何かやりたいことが自分の中で見つかったときに、それをやり切れるくらいの実力をつけたい」と思っていました。そういう意味では入社3年目の頃には「力はついてきたな」とは思えたのですが、一方でやりたいことが見つかっていませんでした。
その後、土日などに仕事以外の人たちと会うようになって、その過程で「農業」という軸が見つかったという感じです。
とある梨農家さんのところに行ったときですが、その方は70代ぐらいの生産者さんで梨園を1人で営んでいました。息子さんの話をされたので、「息子さんは継がれないんですか」と聞いたら、「正直息子には継がせたくないんだよね」という話をされて。
それまで、梨のこだわりをずっと1時間ぐらい聞いてて、本当にこだわりを持って作られているなと感じました。だから、「ずっと続けてほしいな」と思っていたのですが、その方が息子さんに継がせたくないとおっしゃったのがショックでした。
これだけこだわりを持っているのに、あと20年、30年経ったら、もしかしたらこの農園が無くなっちゃっているかもしれないと思いました。せめてその方から「継いでほしいけど、継いでくれない」というお話ならまだよかったのですが、農業は「(大変だから)継がせたくない」という言葉が出ちゃう産業なのかと。
私の実家もそうだったので、こだわっている人たちの思いを継いで、その思いを残したいと経済的にも思えるような状態にしたいというのが「農業」の領域に進みたいと思った理由です。
ただ、最初は実は“起業”は選択肢にありませんでした。考えていた選択肢は、DeNAの中で新規事業としてやるか、転職するか、土日を使って引き続き副業的にやるか、の3つ。
でも、DeNAではなかなか農業の新規事業ができず、転職といっても当時25歳で農業の経験もない私がDeNAと同じぐらい若手にチャンスがある社風で挑戦できそうな会社はあまりなかった。副業も、どうしてもDeNAの仕事を優先させてしまい、土日も頭の中は本業のことでいっぱいで効率良くできないと思いました。
3つの選択肢がどれもうまくいかないなというときに、自分より年下ですでに起業している友達に相談しました。すると「起業したらいいじゃん」と言われ、その友人と話した1時間で起業を決意しました。
――その方とはどのようなお話をされたのでしょうか。
「起業してみたら」と言われたあと、最初は「起業は自分にはできない」「経営の経験もないし、何から始めたらいいかわからない」とできない理由をバーっと話したんです。すると「そういう理由でやらないんだったら、この先一生やらないね」という話をされました。
友人は「起業というのは誰しも1回目が初めての経験。『経営の経験を積んでから』となったらいつになる?」と。また、その当時私は25歳で、結婚もしておらず子どももいない。
「これから先ライフステージが変わって家族ができたら、自分1人だけの人生じゃなくなる。もっと判断が大変になるよ」
「そう考えたら今が一番身軽なはずなのに、時間が経てば経つほどやらない理由が増えていく。今の理由でやらないんだったら一生やらないね」
と言われました。私は「本当にその通りだ」と思いました。
そのときに「じゃあなぜ自分は起業が怖いと思っているのか」と、怖いと感じるリスクを書き出しました。すると、リスクはゼロにはならないけど、抑えることはできると思ったんです。
例えば、「借金を負うかもしれない」というリスクがあるなら、返せる範囲で借金をすれば、もし事業が失敗しても先の人生で返していけばいい。少なくともリスクを抑えて起業すれば、むしろ自分の市場価値が上がるし、やりたいことがやれる。「起業するしかない!」と決めました。
――周りからの反対意見は多かったですか?
DeNAの同僚や身近な人からなど、起業したことない人にはやはり「やめた方がいいよ」「大丈夫なの?」とは言われましたね。でも、そういう人が心配するのは「失敗したらどうするのか」「まだそういう経験ないからできないでしょ」といった、先ほど自分が怖いと思ったリスクの中に含まれることだったんです。だからもう既に「そんなことはない」という理由は自分の中でありました。
反対に、起業経験がある人に話を聞きに行くと「そんなにやりたいと思うんだったらやったらいいよ」と全員に言われました。私は「起業した人にしか見えない世界があるんだ」と感じて、心配する声もあまり気にせず「やろう!」と決めました。
――起業後は、なかなか順風満帆にはいかない時期もあったかと思います。どのように乗り越えていきましたか。
最初は私1人でスタートしたのですが、特に最初の1年は足りないものが多すぎて苦労しました。当時はまだ自分の中で事業に対しての言葉も研ぎ澄まされてなかったため、誘っても多くの人に断られてしまい仲間も集まりません。
「食べチョク」のサービスに協力してくださる農家さんを探すときも、農家さんとのつながりが全く無いためゼロからいろんな人に会いに行きました。でも、「君みたいな人が今まで何人も来たけど、みんなすぐやめたんだよ」と言われました。
食べチョクに似たサービスは、かれこれ約10年前からさまざまな企業が参入しては撤退してを繰り返していたことはもちろん知っていましたし、農家さんからの反応は織り込み済みではありました。
ただ、年齢や農業界での経験が全然無かったという点で、信頼を得るまでに時間はかかりました。そのような中で、起業した背景や実家が農家だったという話に共感し、協力してくださる方が数件出てきたんです。
その後も協力してくださる先を集めるのはとても大変でしたが、最初に「秋元さんが言うんだったら応援するよ」と言ってくださった生産者さんの顔を思い浮かべるようにしました。「ここで挫折してしまったら、その生産者さんに顔向けできない」「生産者さんの期待を裏切りたくない」という一心で走り続けていました。
――その後、従業員や協力してくださる生産者の方も順調に増えていったのでしょうか。
サービスリリース後しばらくして社員が入社し、そこからどんどん人が増えていきました。生産者さんは、サービスの正式リリース時は60件。
最初は売り上げが全然なく、サイト全体で数万円という月もありました。でも、生産者さんが「この人頑張っているから応援してあげてよ」と、口コミで周りの生産者さんに呼びかけてくださったおかげで徐々に広がっていきました。
――DeNAで会社員として働いた経験が、今の仕事に生きている点はどのようなところでしょうか?
内省する文化です。何か問題が起きたときに、人のせいにせず「自分は何ができたか」を考える姿勢は、起業してからも大事だと思っています。
会社の先輩で「雨が降っても自分のせい」と言っていた人がいたんです。普通、雨が降ったら雨のせいじゃないですか(笑)
でも、そういうどうしようもない外部要因も全部自分のせいだと思い、「自分は雨が降ることをちゃんと計画に織り込んでいたのか」という考え方をすることが大事だと。外部要因や人は変えられない、変えられるのは自分だけという教えは、今の仕事にも生きていると思います。
――2020年3月2日から、コロナで困っている生産者への支援として、送料500円を食べチョクが負担する応援プログラムを展開しました。その後会員数が40倍になるなど急成長を遂げています。成長の理由をどうみていますか?
2020年2月末、小中学校が臨時休校になり学校給食が止まってしまったときに、生産者さんからSOSの連絡がたくさん届きました。そのとき私は、一度社員全員に集まってもらって「今までの災害とは比べ物にならないくらいの大きい影響が出るから、いったんいま進行している開発を止めて、生産者さんの支援に施策を全部振り切ろう」という話をしました。
この意思決定を2月末にして、3月頭には施策を打ち出しました。その姿勢を見た生産者さんから「ここだったら何とかしてくれるかもしれない」とたくさんお問い合わせをいただきました。結果的に、どこよりも早いタイミングで支援策を打ち出せたのが、いま振り返るととても大きなポイントだったと思います。
ただ、私たち自身は、事業の数字を伸ばそうと思って支援策を打ったわけではありません。そもそも、私たちの会社の存在意義が生産者さんを支援するというところにあります。特に新型コロナの場合は、毎年来る台風などの局所的な災害と異なり、野菜や果物、お肉などの業種に関係なく全国的に大きな影響を及ぼしていました。
飲食店からの仕入れが急減した農家さんも多く、「最悪の場合、生産者さんみんなやめてしまうんじゃないか」という不安に駆られていました。少しでも食べチョクが困っている生産者さんの力になることで、廃業を免れて、一次産業の領域を続けていこうと思ってくれる人がいてくれたら、というのが最初のきっかけでした。
――2020年2月末という早いタイミングでの決断に、迷いはなかったのですか。
2018年の西日本豪雨のときの経験が強く心に残っていて。当時は食べチョクのサービス規模が小さく、正直ほとんど何もできなかったんです。結局、その災害によってサービスの初期から協力してくれていた生産者さんがやめてしまいました。
農業従事者は年間数万人単位で右肩下がりに減っていますが、そんな数字の話よりも、目の前の1人がやめてしまうことへのインパクトが大きかったです。その後悔から、社会的に大きな災害などが起きたときは、力にはなれないかもしれないけれども、少なくとも私たちが一番早く動く存在でありたいなと強く思うようになりました。
今回、新型コロナでのSOSを聞いたときは、影響の規模も大きかったので「かなり早く動かないと大変なことになる」という危機感がありました。そこに迷いはなかったです。
――経営者としてリスクを背負いながらむずかしい決断を下す場面に日々向き合われていると思います。秋元さんが考える理想的なリーダーシップについて教えてください。
あまりトップダウンにしないということは、自分の中で決めています。すべての意思決定を全部トップがするという感じではなく、要所要所で、リーダーでなければできない意思決定があると思います。
例えば、今までの計画をいったん全部止めて、これに振り切ろうという判断はおそらく無茶苦茶だと思うんですけど、それは創業者である私だからこそやれる意思決定だと思います。やるべきと思ったことは大胆にやるということは意識しています。
ただ一方で、日々の細かいところに関しては、メンバーそれぞれがボトムアップで考えて発信してもらうということも意識しています。全部が全部トップから発信するということではなくて、大きく世の中の情勢が変わっているタイミングだったり、ガラッと変えなきゃいけない必要があったりするときは、強くメッセージを打ち出すようにというのは意識しています。
――いち社員として会社・組織の中で働くことと、起業されて組織の代表として働くこと、最も大きな違いはなんでしょうか。
大きな違いは、経営者になると、道であったり、ゴールであったり、旗を立てたりという仕事が増えます。
一方で業務を執行する際は、立てられたゴールや目標に向け、最適解や目標を超えるようなものを考えるという働き方になると思います。
なので仕事に対する思考の仕方がちょっと違いますね。
ただ、起業という点で広く捉えると、起業は両方やらないといけません。経営と執行の両方。普通の企業の社員で言うと、例えばマーケティングやりたいならマーケティングだけできます。ですが、起業すると、もちろんマーケティングもやるんですけど、お金の調達もあるし、会計もやるし、やりたい業務以外のことがめちゃくちゃあるという感じですね。
業務単体というよりは、向かっている先、私でいうと生産者さんの課題を解決したいとか、こちらを強く意識して、そのための手段としてやるという感じです。
ただ、おそらく私はいま事業としてやっている「農業」という領域ではなかったら、どちらかというと会社の一員として働いてる方が性格的に合ってる気がしています(笑)
仕事の内容でいうと、私は事業の数字を伸ばすところにコミットして手を動かしたいタイプです。もし2つ人生があったら、そういう人生も歩みたいなと思うぐらいです。もちろんどっちがいいとか悪いではなくて、私の場合は農業というテーマが見つかって、それをやりたいという気持ちが強かった。個人としての仕事の仕方に対してのこだわりよりも、作りたい世界の方が大きかったから起業を選びました。
――今、起業を考えている方に向けて伝えたいことはありますか?
もし「起業したいな」と思っているのであれば、思ったときが起業するベストのタイミングだと思います。
私自身「もう少し早く起業をしたら良かったのか」というと、そうではなく、それ以前に農業と出合っていても起業していなかったように思います。起業したいと思ったタイミングが、やるべきタイミングだと思います。
いまはリスクを抑えながら起業できる支援体制が整いつつあります。きちんと情報収集をしていくことで失敗の確率も減らしていけます。
まずは、興味があることや思いを発信することから始めてみてもらえると、徐々に情報も集まってくると思います。興味がある人同士が横でつながって、いろいろと情報が集まってくると一歩も踏み出しやすくなると思います。
――「そもそも自分は何に興味があるのかわからない」という人も多いです。好きな分野を見つけるためのアドバイスはありますか。
私も見つからなかったタイプなので、気持ちはすごくわかります。悩んでいる方におすすめしたいのは2つです。
1つは、会社の同僚や同じ業界の人以外との接点を増やすことです。新しい刺激や発想を得られるところに足を運ぶことで、自分の中で気づきを得るきっかけになると思います。自分のことは自分が一番よくわかってない可能性があると思っているので、いろいろなスポットライトを浴びてみて、「ここだ」というところを見つけてみてください。
2つ目は、自分の性格や、今まで仕事してきてテンションが上がってきたポイントを言語化しておくこと。そうすることで、より好きな分野を見つけやすくなると思います。
秋元里奈(あきもと・りな)。1991年、神奈川県相模原市の農家に生まれる。慶應義塾大学理工学部卒業。DeNAにてwebサービスのディレクター、営業チームリーダー、新規事業の立ち上げ、スマホアプリのマーケティング責任者を経験。2016年11月に株式会社ビビッドガーデン創業。
(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年10月14日に公開した記事を転載しました)
(続きは会員登録で読めます)
ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。
おすすめのニュース、取材余話、イベントの優先案内など「ツギノジダイ」を一層お楽しみいただける情報を定期的に配信しています。メルマガを購読したい方は、会員登録をお願いいたします。
朝日インタラクティブが運営する「ツギノジダイ」は、中小企業の経営者や後継者、後を継ごうか迷っている人たちに寄り添うメディアです。さまざまな事業承継の選択肢や必要な基礎知識を紹介します。
さらに会社を継いだ経営者のインタビューや売り上げアップ、経営改革に役立つ事例など、次の時代を勝ち抜くヒントをお届けします。企業が今ある理由は、顧客に選ばれて続けてきたからです。刻々と変化する経営環境に柔軟に対応し、それぞれの強みを生かせば、さらに成長できます。
ツギノジダイは後継者不足という社会課題の解決に向けて、みなさまと一緒に考えていきます。