目次

  1. 工場は「遊び場」だった
  2. 「お前には継がさへん」
  3. P&Gでマーケティングを学ぶ
  4. 父の病気で家業に戻る
  5. 33歳で3代目に就任
  6. どん底でも従業員を鼓舞
  7. 従業員の気持ちに変化
  8. 「期待値のすり合わせ」を大切に
  9. 転機になったテレビ番組出演
  10. 小さいことからコツコツと

 丸榮日産は、丸山さんの祖父が1919年に創業しました。初めて作ったのはベビー靴で、その後、ベビー靴の生地である薄いゴム生地(ウスゴム)を主に生産し、素材・資材メーカーへと成長しました。現在の従業員数は50人で、年商は約10億円(2021年2月期)にのぼります。

 ゴムひもやヘアゴム、手芸用ゴムなどの芯の部分に使う「糸ゴム」や、国内外のスポーツメーカーが競泳水着に使う「テープ状ゴム」などを製造販売。雑貨事業では、食器や小物の取り扱いや、自社商品の開発を手がけています。

 丸山さんは幼いころ、実家の隣の工場内を三輪車で走り回ったり、従業員用の大きな風呂に一緒に入ったりしていました。年末には従業員総出で餅つきをしていたといいます。「工場は遊び場であり、好きな場所でした。みんなの顔は今でもよく覚えています」

創業当時の丸榮日産のメンバー

 丸山さんは「将来的には後を継がないと」と思っていましたが、高校時代にリビングでテレビを見ていたとき、父から突然、言われました。

 「将来、お前には後継がさへんからな」

 驚きましたが、それでも後を継ぐことを見据え、関西大経済学部に進学しました。

 就職氷河期で急激に雇用が収縮する中、丸山さんは卒業後は「甘い考え」で家業に入るつもりでいました。しかし、父や当時の常務らから「あかん」と反対されます。「今考えると大正解。その時に後継ぎとして入社しても、使い物にならなかったと思います」

 悩んだ丸山さんは、「戻らないかもしれないのであれば、戻ることを踏まえてもう一度勉強しよう」と決めました。神戸商科大(現兵庫県立大)で1年間、経営学の授業を聴講。その後、神戸大経営学部に3年次編入学し、学びを深めました。

丸榮日産の糸ゴム

 卒業後は、洗剤や化粧品などを扱う大手日用品メーカー、P&Gジャパンに入社しました。

 「将来家業に戻ったとき、役立つ会社に勤めたいと思いました。P&Gは世界的な『ブランドマネジメント』を行い、経営学の教科書にも載っている会社です。マネジメントが学べると考え、選びました」

 希望していたマーケティング部門に所属し、ブランドの予算管理、売り上げや価値を高めるための戦略など、多くを学びました。

 中でも大きかったのは「OGSM」というフレームワークです。O(Objective)は目的、G(Goals)は数字を伴う目標やゴール、S(Strategies)は戦略、M(Measurements)は評価・指標を指します。

 明確な目的(O)とゴール(G)があり、そのために自分たちが正しいと思う戦略(S)を三つ考えます。そして、指標(M)は、目標が達成された過程をはかるために設定します。

 どんなに小さなプロジェクトや会議でも「OGSM」を意識することや、いつまでに誰が何をするかという「ネクストステップ」の明確化など、学んだことは今でも役に立っています。

1991年当時の丸榮日産

 丸山さんがP&Gに就職して4年半が経ったころ、父の病気が見つかりました。入院して手術を行いましたが、難病になった父は、長い間出社できなくなりました。

 「ストレスからの解放が、治療にプラスになる」と医師に言われた丸山さんは、家業に入ることを決意。父も今度は反対せず、すぐに迎え入れる準備をしてくれました。

 03年11月に入社した後は、顧客へのあいさつに出向き、社内を一通り見ながら戦略を練りました。「父からは『何かをしろ』と言われていなかったので、勝手にやっていました」

 入社半年後の04年4月には、取締役に就任。間もなく、父から突然「社長になるように」と言われ、05年4月、丸山さんは33歳で3代目に就任します。思っていたより早い就任でしたが、不安はありませんでした。

 「上に立つ者が不安を抱えていたら、みんなが不安になるだけです。会社は私一人でやるものではありません。従業員は、私より自分の仕事をうまくできます。みんなに任せておけば何も問題はないので、不安や心配はほぼなかったです」

 ただ、赤字が続き、会社の財務状況が良くなかったことが、気がかりでした。

丸榮日産の工場内の作業風景

 丸榮日産では90年代まで、紙おむつ用のゴムテープがよく売れていました。しかし、時代とともに別の素材が使われはじめ、一気に生産量や販売量が減少。その結果、売り上げは最盛期の20%まで落ち込みました。

 丸山さんが入る前の00~01年にかけて、やむを得ず、工場の従業員を中心にリストラを行うほどでした。

 丸山さんは、売り上げも従業員の士気も底をついていたときに、3代目に就任。二つの課題に直面します。

 一つは、財務のことです。リストラをしたにもかかわらず、赤字が4~5年間続いていました。苦しいときをしのぐためにせざるを得なかった借金が多く、厳しい状況でした。

 もう一つは、従業員の気持ちが沈んでいたことです。ゴム部門、雑貨部門ともに疲弊していた従業員の気持ちをどう変えていくかに心を砕き、「糸ゴムを作る会社」であることに原点回帰しました。

 「当社の持つ技術や設備は、一流だと信じていました。これを生かさないと、我々は立ち直れないと思いました」

 丸山さんは社長就任前から「この業界で一社だけ残るとしたら、間違いなくうちだよ」と言い続けてきました。「糸ゴムメーカーでナンバーワンの会社として生き残る」というビジョンを描き、従業員に伝え続けたといいます。

 「ビジョンは、実現できるか分かりません。けれども、前向きであればあるほど、高ければ高いほどいい。『うそかもしれないけれど、そうなったらいいよね』と思わせられるかどうかが、すごく大事なのです」

丸榮日産の糸ゴムは、さまざまな商品に使われています

 最初は冗談半分で聞いていた従業員でしたが、色々なことにトライしながら、少しずつ売り上げを回復させる中で、突然ライバル会社がやめたり、糸ゴム部門を閉鎖したりする様子を見て、雰囲気が変わりはじめました。

 それまでは黙々と仕事をしていただけだったのが、気持ちが明るくなり、丸山さんに話しかけてくるようになったのです。

 言葉で伝えるだけでは、人は動きません。丸山さんは別の取り組みも必要と考え、評価制度を整備。P&Gで実施していた面談システムを3年かけて採り入れました。中小企業で導入している会社は、まだ珍しかったといいます。

 「もともとは、私と直属の部下だけで面談をはじめました。すると従業員から『いいな』と声が上がりはじめたのです。みんな自分の仕事や評価を知りたいし、今後について話す機会がほしいという証しでした」

 面談では、前回からの業務内容と目標を振り返り、良かった点と改善点を話し合います。「改善点を話し合うときのポイントは、決して『悪い』という言葉を使わないことです」

 上司と部下が思いを理解し合い、ストレスのない状態で仕事ができるように、「互いの期待値をすり合わせること」も大切にしています。面談を続けるうちに、従業員一人ひとりの発言力が高まった点も、導入効果のひとつでした。

 丸山さんは、大企業はもちろん、中小企業ではなおのこと従業員が一番大事だと考えています。「人財をどう捉え、どう大切に扱うかによって業績は劇的に変わる」と力強く話します。

工場内で作業する丸榮日産の従業員

 社内の雰囲気が少しずつ変わる中、丸榮日産が人気テレビ番組に2度協力したことが、さらなる転機になりました。「09年にはじめて番組に出た時、従業員のテンションが上がり、表情が明るくなったのです」

 11年に2度目の出演をしたときは、番組側からそれまで作ったことのない巨大なゴムシート作りを依頼されました。

 「難しい部分はありましたが、『何とかなるやろう』と引き受けました。普段寡黙に働いている年配の従業員が、『やりましょ、社長』と言ってくれ、現場でリーダーシップをとって動く姿には、感動しました。従業員のおかげで成功し、感謝しかありません」

 社内改革で、従業員の理解を得てきた丸山さんですが、「『改革』という言葉が、大嫌い」と話します。

 「表のものを急に裏にしようとしても、誰もついていけません。少しずつ積み重ねながら、何度も同じことを言い、やってもらうしかない。『小さいことからコツコツと』しかないのです」

 従業員の変化を体感できるようになった丸山さんは、新しいチャレンジをはじめます。

 ※後編は、雑貨部門での新商品開発、持続可能な開発目標(SDGs)やエシカル消費を意識した丸榮日産のものづくりに迫ります。