目次

  1. 幼少期から経営を説かれる
  2. アメフト高校日本一に輝く
  3. 保険会社で培った経験
  4. 支社長試験を断念して家業へ
  5. 社員から不満や課題を聞き出す
  6. 家業とは違うルートのパートナー
  7. 商慣習の違いに戸惑う
  8. コロナ禍で進める業務の外注

 河野さんにとって「河野」は母方の家業です。1881年、陶器販売業として創業し、時代とともに、ガラス、金属、合成樹脂などの食器、厨房器具の販売へと幅を広げました。

 1987年には高松市にショールームを設立。業務用食器の展示場としては日本最大級で、中四国、関西方面から多くの人が訪れています。河野さんの祖父の代では、業務用食器の販売や外商、不動産業務なども手がけ、「河野」を含め、グループ会社7社のオーナーとなっていました。

 河野さんは東京育ちですが、長期休暇のたびに高松に帰省していました。幼い頃、祖父の事業で印象が強かったのは、「トーカイ」というグループ会社です。寝具のリース業や介護福祉サービスを手がけ、最も成長している会社というのが理由でした。

 歯医者だった河野さんの父にも、事業承継の打診がありましたが、断ったといいます。「家族からは(河野家を)継いでほしいとそれとなく言われていました」

高松市にある河野のショールーム

 河野さんの夢はスポーツ選手でしたが、物心ついた頃から、祖父に経営の話ばかり聞かされました。「お前の時代は常に20年、30年先を考え、世の中がどういう風に変化し、変化させたいかを考えていなければ、時代に乗り遅れるぞ」と言われたそうです。

 河野さんは「まだ10年すら生きていないのに、と思いながら聞いていました」。期待を受けて、祖父の出身大学である慶應義塾大学の中等部に進学しました。

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