目次

  1. 政治に興味を持ち国会議員秘書に
  2. 議員の落選を機に家業へ
  3. オーバーワークで体重15キロ減
  4. 生産管理の改善に着手
  5. 独自技術の開発に着手
  6. 強くて美しい発色ステンレス
  7. 補助金活用で得た資金とPR力
  8. 水素社会を支える技術
  9. 製造業の素人だからこそ

 同社は1946年に創業し、機械部品のめっき処理や表面処理を手がけています。従業員は50数人で、年商は約5億円。独立系のめっき工場では大手の規模です。事業の柱は自動車部品の加工で、売り上げの50%を占めます。

 4代目の木下さんは「兄が家業の後継者になると思っており、家業に戻ったのは全くの想定外でした」と語ります。

 大学生のころ政治に興味を持ち、1990年に国会議員の秘書になりました。仕えていた議員は当時、ホープと目され、国内有数の「マンモス事務所」でした。

 ところが、その議員は2000年の選挙で想定外の落選。5人も秘書がいた東京の選挙事務所に、木下さん1人だけ残されました。

 「当時の私は31歳。人手も経験も足りませんでしたが、返り咲きに向けて活動の質を落とすわけにはいきません。議員が活躍できる環境を作るため、大先輩にあたる関係者に、生意気なことを言わなくてはならないシーンもありました。常識にとらわれずベストを尽くす姿勢が、この時に身につきました」

 木下さんらの奮闘で、議員は03年の選挙で返り咲きました。しかし、09年に再び落選の憂き目に遭います。

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