「獺祭」への武者修行で開眼 花の香酒造6代目が学んだのは「世界観」
イギリスやフランスのSAKEコンクールで上位入賞し、注目を集める酒蔵が熊本にあります。100年以上続く花の香酒造の6代目、神田清隆さん(44)は、自社で酒を造ることができないほど経営が厳しかった会社の再建を進め、新たなブランドの確立に成功しました。その復活を支えたのは、日本酒「獺祭」に学んだ「世界観」でした。
イギリスやフランスのSAKEコンクールで上位入賞し、注目を集める酒蔵が熊本にあります。100年以上続く花の香酒造の6代目、神田清隆さん(44)は、自社で酒を造ることができないほど経営が厳しかった会社の再建を進め、新たなブランドの確立に成功しました。その復活を支えたのは、日本酒「獺祭」に学んだ「世界観」でした。
花の香酒造の酒は熊本県で開発された酵母菌「9号酵母」を使い、開けた瞬間に広がる華やかな香りと、まろやかな風味が特徴です。「酒米の王」とも言われる山田錦を50%まで磨き、雑味を取り除いた純米大吟醸「桜花」シリーズが定番です。
しかし、これまでの道は平たんではありませんでした。花の香酒造は1902年(明治35年)創業。幼い時から神田さんには「後継ぎ」という自覚がありました。しかし、日本酒の需要が減り、市場が縮小する中で次第に経営が厳しくなってきます。
神田さんが高校2年生の時、会社は自己破産を申請しました。「友達が持ってきてくれた地元紙に自己破産申請のニュースが載っていて、家業が置かれている状況を初めて知りました」と話します。その後、申請は取り下げたものの、会社の信用は落ち、売り上げは落ち込みました。
神田さんは高校を中退し、建設会社に就職します。「当時、父からは『家を継がなくていい』と言われたんです。自分を心配して言ってくれたと今は分かりますが、その一言で継ごうという気持ちがなくなりました」。
その後、神田さんはいろいろな仕事に挑戦します。演劇や映像の世界に入った後、熊本に戻り飲食店を経営し、一度は軌道に乗りますが事業を広げすぎて失敗、会社を清算します。
神田さんが家を出た後、家業は厳しい状態でした。芋焼酎ブームで売り上げは一時的に増えましたが、ブームが去ると負債は数億円に膨らみます。当時、神田さんの姉が会社を継いでいましたが、精神的に追い込まれ出社が難しくなりました。
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経営の経験がある神田さんは、家業を継いでも厳しいことは分かっていました。それでも継ごうと思ったのは子どもの時に見た、活気ある酒蔵をもう一度取り戻したいという気持ちがあったからです。
34歳で家業を継ぐことを決めます。
当時、花の香酒造は「桶買い」という他の酒蔵が造った酒を買って販売するスタイルでした。酒を造る杜氏や蔵人が会社を去っていたからです。「酒米の仕入れができず、オリジナルの酒で勝負できないことが、ただただ悔しかった」(神田さん)。
酒店への営業から経理まで全てを母親と神田さんの2人で行い、手が回らない状態でした。業績はなかなか回復せず、焦りだけが募っていきました。
転機は38 歳の時。家業を継いでから4年目のある日、妻が「テレビに旭酒造の桜井博志社長(現会長)が出ていたから録画したよ」と声をかけました。
山口県岩国市の旭酒造が製造する獺祭は、今の吟醸酒ブームの火付け役と言われています。究極まで精米し、雑味となるタンパク質を取り除く独特な酒造りを進め、海外でも販路を拡大してきました。
「当時、旭酒造は雲の上の存在。見てもみじめになるだけなので、見なかったんですよ」(神田さん)。しかし、数日たったある夜、ふと思い出した録画を見て驚きます。
番組では地元でも「負け組」と言われた旭酒造が、桜井氏のリードで日本酒業界の常識を覆し、純米大吟醸だけを作り出したストーリーが描かれていました。自身と同じ34歳で社長に就任後、ビールビジネスに参入し、負債を抱えたという苦労も自身と重なる部分があったといいます。
「番組を見た翌日、桜井会長あてに電話をかけて『経営戦略を教えてほしい』と面談を申し込んだのです。途中で電話を切られないように、伝えたいことを紙に下書きしました」(神田さん)
面談が叶い、決算書を見た桜井さんは「もう倒産しているじゃないか」と驚き、そしてこう続けました。「神田さん自身が酒造りをしてロジックを理解しないと会社は変わらないと思います」。経営のノウハウを学ぶことを優先しようとした考えが大きく変わりました。
神田さんは桜井さんに頼み込んで約2カ月間、旭酒造で修業をします。当時の旭酒造は年間約1万石(約1800キロリットル)もの量を出荷していても、製造は少量ずつ仕込む「小仕込み」にこだわり、全て手作業でした。「製造工程がとても手間をかけていることに驚きました。コメの磨きだけで世界観を伝えていた」(神田さん)
自社ブランドをとがらせることが、花の香酒造を再建するために必要なことだと身に染みたといいます。
旭酒造から戻り、神田さんは「全量自社で作る」というゴールを据え、酒造りを始めます。
設備投資にあてる資金はほとんどなく、コメを買うお金は知人から借りました。日本酒を貯蔵するタンクと、麹を製造する部屋の床は張り替えました。
「はね木」と呼ばれる木を使い、てこの原理で圧搾する「はねぎ搾り」という古くからの製法を採用し、作った初めての酒。神田さんは「新酒の味を確認する時は膝が震えた」と言います。
絞った酒をびんに入れ、ふたを閉める機械がなかったので、板で押して瓶詰作業をしていきました。首都圏や福岡の酒販店に卸し、一升瓶7000本分の酒を約2カ月で売り切りました。
2年目は初年度の約6倍の米で製造。2016年には熊本地震の被害を受け、酒蔵が一部損傷しますが、復興支援で「花の香酒造」の名前が知られるようになりました。国内外の日本酒コンクールで表彰されるようになったのもこの頃です。
売り上げが安定したタイミングで神田さんは次のゴールを決めます。「製造する全ての日本酒を地元のコメで造る」。
※後編の記事「ジャンボタニシと格闘しても無農薬 花の香酒造6代目がこだわる酒米」では、神田さんが酒蔵のある和水町産の酒米を使い、地元農業も活性化させた取り組みを紹介します。
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