目次

  1. 家計は火の車だった
  2. 家業には入らずNECへ
  3. フラワーショップを手伝い始める
  4. 祖母の急死がきっかけに
  5. アルミ製品の美しさに心が動く
  6. 父や職人から「だめ出し」
  7. 自社ブランドを22年ぶりに復刻
  8. 銀座三越で商品展開

 丸信金属工業は、坂本さんの祖父・小和田信彦さんが1947年に創業。やかんや急須など家庭用品の製造から始まりました。物資の無い時代、親族総出で大量生産したやかんは飛ぶように売れ、月3千個製造していました。

 4姉妹の次女だった坂本さんは子どもの頃、工場にいるのが好きだったと言います。家業は手伝うのが当たり前だった昭和50年代、小学校から帰って来るとお駄賃に50円もらい、楽しみながら手伝いました。

丸信金属工業のパンフレットでは、創業当時の様子も紹介しています

 実は、80年ごろから海外製品の台頭で、日本製の家庭用アルミ製品が売れなくなっていました。家業は徐々に傾き、83年の売り上げは最盛期の3割程度に。地元のアルミ会社はどんどん廃業していきました。

 やかん製造は12の工程があり、注ぎ口と本体を別々に作ります。アルミは溶接が困難な金属で、仕上げにバフという磨きをかけます。坂本さんの父はその技術を他の製品に生かそうと、多方面に営業しました。

 資金を借り入れて空調用の設備を購入し、ようやく空調の吹き出し口の製造という糸口を見つけました。その頃には貯金も底を突き、家計は火の車だったといいます。

 坂本さんはその中でたくましく育ち、仕事でへこたれない強い精神力を養ったことが、後の商品開発に役だったといいます。

 坂本さんは後を継ぐことを考えていませんでしたが、祖母だけはいつも「継いでほしい」と言っていました。

 小学校時代には町内のソフトボールクラブで主将、投手、4番を務め、中学、高校と続けましたが、高校1年の時、じん帯を切る大けがで、進級が危ぶまれるほど。仕事で忙しい両親の代わりに、負傷した坂本さんの面倒をみてくれたのは、愛情深い母や祖母でした。

 東京の青山学院短大に進み、大好きだった雑貨屋やキッチングッズのショップ、百貨店を巡りました。どれも目新しいものばかり。この経験が後に役に立つとは、その時は知るよしもありません。

 短大卒業後、90年にNECに入社しました。国際資材部で半導体やパソコン資材の買い付けを担当しました。

 時代はバブル期。仕事はハードで、何百社もある顧客番号を全て覚え、トランプの神経衰弱のように、伝票を素早く振り分けていました。会社が全盛の頃に、仕事のやり方を鍛えられました。

 「仕事は忙しいけれど、NECにいた時は、毎日新しい情報と仕事にあふれていました」

 坂本さんは同時に、花好きが講じて週末はフラワーショップでスキルアップのための勉強を始めました。最初はリボンを作る、セロハンを用意するという作業だけでしたが、次第に花のアレンジも担うようになりました。

フラワーショップで勉強していたころの坂本さん

 当時はイングリッシュガーデンが全盛。満開の桜を店舗いっぱいに生けたり、結婚式場やフレンチレストランに花活けをするなど、バブル期の中、多岐にわたる経験を積みました。

 「花をどのように見せたら、人を喜ばせることができるのか」。フラワーショップでは常に、どのような感性で花を飾るかを問われました。作る人の個性やステータスが、売り物の付加価値になると悟ったのです。

 一方、会社では、毎日何千人が本社ビルに吸い込まれ、深夜に疲れて帰る生活。仕事は充実していましたが、「私でなくても、できる仕事ではないか」と思ってしまいました。

 95年に退社を決意し、96年6月に会社を辞めました。当初は海外に渡るつもりでした。

 祖母が突然、心臓発作でこの世を去ったのは、退職を決意した矢先でした。それまでは、家業に戻るように言われても東京で働き続けましたが、祖母の他界をきっかけに考え直しました。

 他の姉妹に家業に入る意思はなかったため、「私が継がないと、会社を畳むことになってしまう。『創業者である祖父の面倒を見る』という気持ちで家業に入る決意をしました」。

 96年に丸信金属工業に入社。その時に初めて、家業の厳しい懐事情を知り、「とんだ貧乏くじを引いた」と思いました。

 仕事はどんどん減り、経営は厳しい状態。黙っていても、新しい仕事は入ってきません。それまで、同社の取引先はほぼ1社に集中していましたが、売り上げの比率を分散させるために、何をすべきか考えました。

丸信金属工業の製造現場

 地場産業として栄えていたやかんを始めとした金物作りも、他社は専用設備を整え営業していました。同社は設備の投資資金に余裕が無かったことで、精錬したアルミ板を購入し、金型を変えれば、多品種の製造が出来るレベルとなっており、後にそれが功を奏して一貫して自社商品制作ができるワンストップ製造の工場へと変化していったのです。

 アルミの性質を熟知している同社は、アイデアを思いついたら、すぐ試作品ができるという強みがありました。

 坂本さんは次に、商品開発のため、市場で売られているアルミ製品を分析しました。入社したばかりの家業を新鮮な目で見ていた坂本さんは、「アルミの素材が美しい」と心が動きました。

 坂本さんは、生け花の師範を持つ祖母から生前「花をどんな花器に入れたら良いかよくわかっているね」と、ほめられたことがありました。就職後のフラワーショップでの経験が、そのセンスに磨きをかけていました。

 自分自身の強みと家業の美しいアルミがつながり、花器の製造を思いつきます。好きなことでなければ、逆立ちしてもアイデアは生まれなかったのです。

 しかし、入社時の社員の平均年齢は62歳。幼い頃おむつを替えてくれた人たちでもあります。花器の試作品を依頼すると、職人からは「そんなの仕事じゃねえ。おまえの趣味だろう」と言われ、父からも「だめ出し」されました。

 それでも、坂本さんは開発が苦労と思ったことはなく、試行錯誤を楽しみました。最初は社員たちの反発もありましたが、斜陽産業と言われる会社を引き受けてくれる後継者が、坂本さん以外にいないことを、理解してくれたようでした。

 社長の父と衝突して言い争うこともありましたが、取引先には後継者として紹介され、製造方法を聞けば相談に乗ってくれました。

 父からは「若いうちはなりふり構わず聞けるけど、年を取ると教えてもらえなくなる。今は動くことも大事」と言われ、業界のレジェンドを紹介してもらうなど、人脈や知識を伝授されました。

 坂本さんは経営や業界のノウハウだけでなく、アルミの製法技術もマスターしていきました。

 後継ぎ修業と同時並行で、花器の製造を進めました。それまで、花を固定するには、剣山、オアシス、またはYの字の形をした又木という道具を使うのが定番でした。坂本さんが職人とともにつくりあげたのが、誰でも簡単で自由自在に変形できる花器「花あそび」です。

アルミ製造技術を生かした「花あそび」が、家業の看板商品になりました

 アルミの輪っかをぐにゃりと曲げ、アルミ製の浅い器に水を入れると、どんな人でも、草花を簡単に見栄えよく生けられる特徴があります。アルミの素材感がかえって「わびさび」となり、花が一層映えたのです。

 入社から1年半後の98年、坂本さんは花器のブランド「ALART」を立ち上げました。それは、父が76年にアルミニウムの「AL」とアート「ART」を組み合わせて作った自社ブランド「alart」を、22年ぶりに復刻したものでした。

 坂本さんは自社企画で商品を作りましたが、営業やマーケティングの知識はありません。最初のパンフレットは、妹と2人でロゴを作り、撮影した写真を貼り付け、カラーコピーして作りました。

 当時、坂本さんが会社のカウンターに「花あそび」を飾っていたところ、労務士から「これいいですね。欲しいです」とほめられ、販売やPRに力を入れるようになりました。

 最初は業界新聞に掲載され、声がかかった東京・浅草の展示会に出品したところ、初回から300個の注文が舞い込みました。

 しかし、注文はあれど、パッケージは何も決まっていません。段ボール業者に作成してもらい、商品が出回るようになりました。物のあふれる時代でしたが、無機質なアルミで作った花を生ける道具としては、画期的なイノベーションと思われたのです。

丸信金属工業の高い技術から生まれた花器が、百貨店などに高く評価されました

 ブランディングや営業先に関しては、学生や社会人時代に、大好きな商品を求めて東京の街を毎日歩き回っていたことが、役に立ちました。場所や店のコンセプトに合う商品のイメージが、肌感覚でわかっていたのです。

 坂本さんは、すぐに行動を起こします。ちょうど買い物に出かけた東京・銀座の三越百貨店で情報収集しようと「商品を売りたいのですが、どこに行ったらいいですか」と店員に聞くと、専門の部署があると教わりました。

 その後、電話をかけると縁が生まれ、2000年に出展が実現し、「花あそび」を販売しました。

 洗練されたデザインとアルミの花器という目新しさに加え、高いものでも3千円台という値頃感が受けて、予想を反して約400個が売れました。以降、常設商品として取り扱われ、お歳暮商品としても人気を高めました。

 ALARTは発売初年度から5年間は、売り上げが倍々で伸び、前年を割ることがありませんでした。

 そんな坂本さんのビジネスを後押ししたのが、夫で現社長の勇樹さん(50)でした。

 ※後編では夫やプロダクトデザイナーと手がけたブランドの進化や、リーマン・ショック、コロナ禍への対応などに迫ります。