目次

  1. なりゆきで家業の後継ぎに 
  2. 下請け体質に違和感 
  3. 25歳で社長に就任
  4. 初の自社商品「米びつ」開発
  5. 「米びつ」で初めて自社が主役に
  6. 米びつの販路拡大
  7. 輸出先に合わせた見せ方を

――藤井さんは子どものころ、家業についてどう思っていましたか。

 実家から車で15分ほどのところに増田桐箱店があり、母方の祖父が社長でした。父がサラリーマンだったこともあり、家業という意識はありませんでした。祖父母の家に遊びに行くと桐箱店に連れて行ってくれて、そこで釘打ちのお手伝いをするとお小遣いやジュースがもらえるという、行くのが楽しみな場所でした。

さまざまなものを入れる増田桐箱店の桐箱(同社提供)

――高校卒業後、台湾に留学しました。

 一般企業への就職を考えていたところ、両親から「外の世界を見た方がいい」とすすめられ、台湾の語学学校に留学しました。台湾は福岡から近く、語学が習得できて食事もおいしく快適でした。当時は生活費も、東京に出るより安かった気がします。

――1年半の留学後、すぐに家業に入社しています。きっかけは。

 留学中、語学を生かした就職を視野に入れていたところに、先代の祖父が取引先を連れて台湾に視察旅行に来ました。その懇親会の場で初めて、祖父から家業に対する思いを聞きました。

(続きは会員登録で読めます)

ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。