「門前払い」から攻めの開発へ アナログ手帳の可能性を広げた3代目
名古屋市の手帳メーカー「伊藤手帳」3代目の伊藤亮仁さん(44)は、工場の移転など大胆な設備投資を機に、手帳の一貫生産やオリジナル商品の開発を進めています。スケジュール管理のデジタル化が進む中でも、顧客の声に寄り添い、アナログな手帳の魅力を最大限に高める戦略で、売り上げは右肩上がりです。
名古屋市の手帳メーカー「伊藤手帳」3代目の伊藤亮仁さん(44)は、工場の移転など大胆な設備投資を機に、手帳の一貫生産やオリジナル商品の開発を進めています。スケジュール管理のデジタル化が進む中でも、顧客の声に寄り添い、アナログな手帳の魅力を最大限に高める戦略で、売り上げは右肩上がりです。
目次
伊藤手帳は1937年、伊藤さんの祖父・茂光さんが開業。54年に「伊藤手帳製作所」として法人化しました。
主力は手帳の製造で、出版社や雑貨メーカーの手帳のOEM(他社ブランド商品の生産)が50%、社員手帳や一般企業のノベルティーになる手帳の生産が45%を占めます。
現在の社員数は45人で、平均年齢は33歳という若い会社です。売上高は11億4700万円(2021年4月期)にのぼります。
伊藤さんが子どもの頃は、自宅と工場が同じ建物で、繁忙期の年末は夜遅くまで階下の工場から音が聞こえました。「弟と一緒に箱詰め作業を手伝って、お駄賃をもらうこともありました」
伊藤さんは大学卒業後、家業を継ぐことも見据え、東京の印刷会社に就職。官公庁が発行する白書の印刷の受注アップに尽力しました。
「当時は泥臭い営業を意識していました。競合の担当は年配の方が多く、若さとやる気をアピールしようと、他の人より早い朝8時半ごろには(営業先の)官公庁に着いて、営業をかけました」
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努力が実り、入社3年目には社長賞を受賞するなど、順風満帆でした。
しかし、伊藤さんは2003年、急きょ実家の伊藤印刷に戻ることになります。
家業で働いていた姉が、夫の海外赴任に同行することになり、伊藤さんは父から「戻ってこい」と言われました。「タイミング的にはまだ早く、しぶしぶ戻った感じでした」と振り返ります。
伊藤さんはまず、家業の営業に課題があると感じました。いわば「待ち」の姿勢で、付き合いがあった会社からの受注があって、初めて印刷に入る感じでした。
閑散期の夏は工場の掃除くらいしか仕事が無く、営業に出ても「夏に来ても仕事はないよ」と門前払いされました。
「手帳は季節商品のため、取引先とは年1回のやり取りにとどまっていました。お客様の数を増やし、つながりを強める必要性を痛感したのです」
伊藤さんは、新規顧客を獲得するため、自らテレアポを行い、ダイレクトメールも約千社に送付。5社くらいから反応があり、仕事にもつながったといいます。
また、OEMの受注を広げるため、名古屋周辺だけでなく、東京の大手出版社や雑貨店などにも営業をかけ、展示会への出展なども行いました。
「印刷会社も手帳を製造できますが、自分たちのような専門メーカーは、手帳のデザインやトレンドなど、より細かい部分が調整できる点などをアピールしました。手帳の製本、印刷、仕分けや梱包まで一貫生産で、リードタイムを短縮できるのも強みになりました」
08年に、合資会社から株式会社となり、社名も現在の「伊藤手帳」になりました。そのタイミングで家族会議を開き、伊藤さんが社長に就任しました。当時、30歳を超えたばかりでした。
「平社員からいきなりトップになりました。心の準備は無かったのですが、社長へのあこがれが強く、手を挙げました」
社長になった伊藤さんはまず、自分1人で担っていた営業の組織化に着手します。すると、取引先で生産管理を担当していた人材から応募があり、採用しました。
伊藤さんはテレアポや営業同行などで指導し、ノウハウを教え込んでいきました。すると、手帳製作のコスト削減などの提案が実り、大手企業からの受注も勝ち取りました。
「指導した彼が、今では営業部長としてメンバーを率いています。売り上げは社長になってから右肩上がりで、毎年、前年比1割増を達成するようになりました」
伊藤さんはさらなる成長を目指し、12年に大きな決断をします。名古屋市にあった工場を、同県小牧市に移転したのです。敷地はこれまでの260平方メートルから、4900平方メートルにまで広がり、生産能力が格段に上がりました。
大手企業の手帳製造をOEMで受注するのが目的で、一貫生産するための機械を増設。製造ラインを整備して手帳の内製化を進めました。
初期投資は1億円かかりましたが、注文が増えて、5年ほどで回収できたといいます。
「多少のリスクはあっても、できるだけお客様の要望に応えられるよう、設備をしっかり整える必要があります。私が入社してから、新規のお客様が格段に増えたので、なおのこと思いは強かったです」
伊藤さんは同じころ、エンドユーザー向けの商品ブランド「yumekirock」(ユメキロック)を立ち上げました。
名前の由来は「夢」と「記録」です。「手帳はこれからの夢を書き、過ぎ去る日々を記録するもの。どちらの側面も大切にしてほしいという思いから名付けました」
立ち上げのきっかけになったのは、クリエーターの糸井重里さんが送り出したヒット商品「ほぼ日手帳」です。
以前、同社で「ほぼ日手帳」の製造に関わっていた縁もあり、伊藤さんも愛用していました。しかし、「手帳を作る会社の社長が、他社の製品を使っているだけではだめ」と思い、ブランド開発に乗り出しました。
ユメキロックの代表的な商品となったのが、「セパレートダイアリー」です。
手帳の1冊が上下で分かれており、上部が「月間」、下部が「週間」または「1日」の予定を書き込めるのが特徴です。「1日の予定と並行して、月間や週間のスケジュールをきちんと管理できる手帳を考えました」
予定の管理をより柔軟に行うことができ、同社の人気商品となりました。
業務のデジタル化が進み、スケジュール管理をパソコンやスマホで行うユーザーが増えています。そのような時代の流れの中で、伊藤さんはアナログな手帳に求められる価値が変わってきたとみています。
「スケジュールの共有などは、デジタルの方に分があるでしょう。しかし、アナログな手帳には、書き込んで自分の頭を整理するという需要や、1年の始まりに買ってやる気を高める効果もあります。これからも、スケジュール管理だけでない、アナログな手帳の価値を追求します」
一方で伊藤さんは、ECサイトを展開して手帳を販売しています。
手帳は元々、実際に手にとってみたいという需要に応えるため、リアル販売が主流でした。しかし、伊藤さんは「それだと、売り場任せになってしまいます」と言います。
「伊藤手帳の手帳は(セパレートダイアリーのように)上下2段に分かれるなど、一見分かりづらくなっています。納得して買ってもらうには、自社のECなどで、役に立つシーンをしっかり伝える必要があるのです」
伊藤手帳では、消費者と直接つながる取り組みも続けています。
4年前からは毎年、ユーザー20人を集めたオンライン座談会も企画しています。ユーザーは既存のチャットツールを使い、毎月定期的に手帳の使い方などを写真で見せ合い、意見交換する試みです。
モニターの意味合いもありますが、「手帳の友人を作る」ことも目的です。座談会で出た意見は、セパレートダイアリーの改良や、新商品開発にも役立ったといいます。
21年には愛知大学と提携し、学生18人と「大学4年間を楽しくする手帳」を考え、産学連携プログラムも実施。手帳を今まで使ったことが無かった大学生に書く習慣を身につけてもらう「ワンセメ手帳」という商品を開発しました。
手帳を年間ではなく、前後期(セメスター)ごとの仕様にして、軽量化を実現。アルバイトなどの収入管理ページや、実現したい夢や目標を書き込む「My Wish」リストを盛り込むなど、若々しいアイデアにあふれた新製品です。
伊藤さんは「自分たちの考えた手帳が製品化されるという学生の思いを何とか叶えようと、工場の技術陣と毎日遅くまで議論を交わしました。良いモノを作り使う人に喜んでもらうという、我々のマインドに火を付けてくれました」と手応えをつかみました。
こうした「顧客ファースト」の思想が根付いたのは、11年の東日本大震災の経験が大きいといいます。
震災から2カ月後の5月、宮城県石巻市の被災者から同社に「津波で車が流され、手帳が全部失われてしまった。心機一転スタートしたいので、セパレートダイアリーを購入したい」というメールが突然寄せられました。
しかし、問題がありました。当時の伊藤手帳はECサイトの立ち上げ前。配送も大手1社としか取引しておらず、震災でその大手の流通網が断たれたことで、届けたくても届けられない状態でした。
別の配送業者に頼んで配送し、被災者からは喜んでもらえました。伊藤さんは「商品はほしい人に届けられなくては意味がない。いいものをつくるだけでなく、どうやってお客様に届けるかまで考えることを学びました」。
コロナ禍で、手帳の売り上げは若干マイナスになったものの、伊藤さんは手帳以外の商品として「Wポケット柔らかマスクケース」を販売しました。
手帳カバーの素材や製造技術を生かし、マスクを収納するポケットを付けたケースで、メディアでも話題になり、売り上げの落ち込みをカバーしました。
20年9月には、セパレートダイアリーを改良した手帳「TETEFU」も発売しました。折りたたみが可能な手帳で、広げた状態はA4サイズですが、最小で文庫本に近いA6サイズに縮めることができます。
手帳に書き込むスペースは広くて、持ち運びはしやすいという機能を実現しました。「手帳の上部は月間予定、下部は家計簿というようにカスタマイズできるので、セパレートダイアリーよりも使い方の自由度を高めました」
伊藤さんは、これからも既存のスタイルを超えた手帳を送り出す計画です。「ユメキロック」ブランドが売り上げに占める割合は、今は5%ほどですが、いずれ30%まで伸ばすことを目指しています。
「まだまだ手帳の可能性はある。伝統を守るだけではなく、時代の変化を見すえ、どのように商品を変化させていくかを考えることも必要です」と強調します。
実際、法人からの新規発注が増え、手帳を使った動画配信を企画するユーチューバーからの製造依頼もあるそうです。
「自社を斜陽産業と思ったら、リーダーは失格です。肌身離さず使うという意味で、手帳は『人生の相棒』です。そういう商品を作っている誇りと喜びは、決して忘れてはいけないと思っています」
家業を背負う3代目は、アナログな手帳に無限の可能性を見いだし、これからも走り続けます。
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