「34歳で起業すると決めていた」。絵画サブスクの原点は「父」と「自転車」
会社員や職員などの「組織」から独立し、20~30代で創業した起業家は、どんな思いで、何をめざして、会社を立ち上げたのか。次代を担う起業家たちのメッセージを伝えます。
会社員や職員などの「組織」から独立し、20~30代で創業した起業家は、どんな思いで、何をめざして、会社を立ち上げたのか。次代を担う起業家たちのメッセージを伝えます。
目次
絵画の定額制レンタルサービスを行う株式会社Casie(カシエ)を立ち上げた藤本翔さん(38)。「34歳で起業する」と中学生の頃から決めていたという藤本さんの起業に対する考え方、そしてアートやレンタル事業への思いを聞きました。
――「Casie」というサービス名は「絵を貸す」サービスにぴったりな名前と感じます。どのように決まったのでしょうか。
実は、法人登記の2週間前に会社名とスペル、ロゴマークがそのまま夢に出てきたんです。サービスを始める前は、会社名とサービス名を同じにする発想がなく、自分の名前をもじった「藤本商店」にする予定でした。不思議な話ですが、夢に出てきた会社名などがしっくりと来て、そのまま採用しました。
――そもそも起業したきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
僕はかなり早い段階で「34歳で起業する」と決めていたんです。画家をしていた父親が亡くなった年齢が34歳で、自然とその年齢を第2の人生のターニングポイントと捉えていました。
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――お父さまが画家だったことが、絵画を扱う企業を立ち上げた理由と伺いました。加えて、幼い頃から「レンタル」という概念に興味があったと。
画家だった父ですが、やはり当時は絵一本で生きていくのは難しく、金銭的な理由でやめてしまう画家仲間も多かったそうです。幼いころからアーティストの不遇を間近で見てきたので、将来的に何かできればと考えていました。
レンタルに興味を持ったのは小学生の頃です。当時、友人と自転車で遊園地に行こうという話になりました。僕は裕福ではない家庭だったこともあり、自転車を持っていなかったのですが、先輩に自転車を「500円で貸してくれない?」と持ちかけたら相手は大喜びで話が成立しました。
そのとき「欲しいものを買えなくても、借りることはできるんだ。これ、めっちゃエエな」と感じたのが始まりで、「レンタル」に魅了されました。
――本格的にレンタル事業に関わるようになったのは社会人になってからでしょうか。
はい。1社目は総合商社の営業として、建設機械のレンタル商品を扱っていました。レンタル分野において、日本で唯一、市場規模が1兆円を超えているのは建設機械だけ。その営業を通して、レンタル事業の仕組みを学びました。
そして2社目では、レンタルやサブスクリプションサービスの立ち上げをサポートしていました。子ども服やベビーカー、喪服やビデオカメラなどレンタルにまつわるものならなんでも。当時はブームだったのか、レンタル関係の起業に需要がありました。
――11年間の会社員生活でレンタル事業のいろはを学んだということですね。創業メンバーの清水さんと小池さんは、前職の同僚ということですが、どのタイミングで声掛けをしようと思ったのでしょうか。
僕の場合は「何をやるか」より「誰とやるか」が重要でした。だから11年間「誰と仕事したいか」を意識し続けていました。だから会社員生活を「共同創業者を探す旅」と位置づけ、関わる人たちを創業者候補という目線で見ていました。
清水と小池は、34歳のリミットが迫ったとき「今後ともに仕事をするならこの2人だな」と感じたんです。
――元々興味があったという絵画とレンタルという分野ですが、この2つを合わせたコンセプトはいつ定まったのでしょうか。
2014年の夏、コンセプトを固めました。今でも覚えていますが、秋葉原の居酒屋で、清水にその話をしたら「なんでそんな難易度高いことをしようとするの?」と言われて。今では彼も会社の中枢にいるわけですから不思議ですよね(笑)
――あらかじめ期限を決めていたとはいえ34歳になったときは躊躇しませんでしたか?
もちろん躊躇はしました。でもそれ以上に「34歳」という期限が重かったんです。起業する人はよく「準備ができたら」と言いますが、そのタイミングは一生来ないんですよ。僕も準備はしていましたが「あ、準備が整うタイミングは一生来ないな」と分かったんです。
なので、起業のため1000万円貯金するつもりでしたが……。起業当日、僕の口座には8万円しかありませんでした(笑)
――絵画レンタルというビジネスを始めるにあたり、周囲からは反対の声もあったそうですね。
絵画レンタルの原型は、さかのぼれば55年ほど前にあったようです。それだけ歴史は古く、大手企業も行っていたものの、現在ではサービスクローズしているものがほとんどです。なぜかというと市場規模が未知数で検索ボリュームがなく、需要が顕在化されていないんです。じゃあ、なんでやってるんだって話ですが(笑)
それまで勤めていた会社は上場企業なのですが、まず会社の看板が無くなることの難しさがありました。「株式会社Casie」と言われてもピンと来ない人が多いでしょうし、名刺の力が無くなったなと。
「誰もが家にアートを飾るのが当たり前」という世界にしたくてはじめた事業。創業期は自家用車に絵画を乗せて病院や弁護士、税理士さんの事務所に飛び込み営業をし、レンタルをお願いする日々。そして2019年1月にサービスをリリースするまでは、作品を預かったり、倉庫を作ったりすることに時間を注ぎました。
リリース直後はレンタルする作品の審査をする制度がない状態で、作品の統一性がなく、ユーザーのニーズにも応えられていない状態でした。「マッチングサイトでいうと、お年寄りから若者、子どもが並んでいる状態だよ」と指摘されたこともあります。
――今は作品を登録する際はアーティストのエントリー後、社内スタッフによる審査を経て登録されると聞きました。ほかにもアーティストを開拓する「チャレンジ枠」という制度もあるそうですね。
はい。作品のクオリティが高くてもユーザーが選ばない作品もあるので、どのような作品ならレンタルされるのかというのを社内で分析しています。そのうえで、分析結果に近い作品を作るアーティストさんをリサーチし、チャレンジ枠としてアーティストさんにお声がけをするというシステムです。
――アーティスト間での「Casie」の知名度はいかがでしょうか。
知名度は伸びつつはありますが、もちろんみんなが知っているというわけではありません。でも預けてくれている画家さんたちが僕らを宣伝してくれています。アーティスト開拓で広告を出していないので「Casieを聞いたことがある」と言われるとうれしくなりますね。
――企業や法人ではなく個人ユーザーが全体の7割を占めているとか。何か意識されていることはありますか。
「家族ととことん楽しむ暮らし」というコンセプトもあり、個人のお客さまにアートが浸透することがそもそもの狙いです。芸術要素よりインテリアの部分を強く前面に出すことを意識しているので、個人のお客さまから支持をいただけているのかもしれません。芸術的な側面が強すぎると、どうしても敷居高く感じて、自分とは無関係な世界だと離れてしまう方もいます。
だからこそ入り口はインテリア要素を強くして、「数千円程度だし、いいかも」と簡単にレンタルしてもらえるようにしつつ、現物が届いたら芸術のフレーバーが爆発するという仕組みにしています。
――コロナ禍を経て注目度が上がったと。その理由をどう分析していますか。
メディアに多く取り上げてもらったことも理由だと思うのですが、ステイホームの影響で、動画配信サービスを利用する人が増えたことも一因かもしれません。デジタルに疲れた人たちが教養を得られるリアルな遊びとして絵を求めるようになったんじゃないかな、と分析しています。
――絵画を扱う事業において、作品の管理というのはかなり重要だと思うんですが、どのように行っていますか?
創業期は、災害など起きた際すぐに駆け付けられるよう、大事な作品を守る「番人」が必要でした。その倉庫管理を京都在住の清水が担当してくれたので、会社の所在地も京都なんです。
倉庫として使う物件は、温度湿度が万全で、日当たりの悪い場所をあえて選んでいます。創業期の頃はアーティストさんにも協力してもらい、作品の梱包や保管方法を教えてもらっていました。
――預かっている作品は当初より増えたそうですが、倉庫の規模も変化しましたか?
当初は、大阪・四条畷(しじょうなわて)の4畳半から始まった小さな倉庫も京都・十条の33坪ほどの第2倉庫へ、そして今は110坪程度の場所に移転し、だんだんと拡大しています。
――社内では、ファーストネームを呼び合うなど上司と部下の垣根が低い職場のように見えます。
僕らはビジネスの成功度が低く、難易度の高い事業をやろうとしています。また、僕らの場合「急成長」はなく、徐々に小さな重ね方をしないといけないんです。足元の結果がみるみるうちに上がっていくということはできない。メンバーに苦しい思いをさせることもあるから、せめて組織の文化だけは日本一を目指したかったんです。
――起業する前と後で、予想と違っていたことはありましたか。
もちろんたくさんあります。アーティストがわが子のように大切にしている作品を預かることのハードルの高さや、ユーザーを集めることの難しさなど。サービスをリリースしたら「1日に100件くらい注文が来る」と待ち構えていたら自分の母しか利用者が現れず、呆然としました。
どんな事業でも、想定通りになることは圧倒的に少ないと思います。想定には、たいてい「希望」が含まれていますから。
――最後に、起業を目指す人に向けて伝えたいことはありますか。
「起業家」といっても特別な人間ではありません。起業家でなくても人生をかけて仕事をしている人は、世の中にたくさんいます。
大事なのは自分がどういう覚悟で働くかということで、そのスタンスは起業しても変わらず保つべきだと思います。
藤本 翔(ふじもと・しょう)。1983年大阪生まれ。大学卒業後、総合商社で営業として2年間働き、その後コンサルティングファームで9年間レンタル・シェア関連事業のプロジェクトマネジメントを行う。2017年に「株式会社Casie」を設立し、代表取締役CEOを務める。
(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年12月14日に公開した記事を転載しました)
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