目次

  1. ベテラン従業員におぶわれて育つ
  2. 工場に住み込み仕事を覚える
  3. 「従業員のなかで最年少」の社長に
  4. 「リスを外に出す」パッケージ変更
  5. 土産物店からは反対も
  6. 客層が変化しヒットに

――子どものころは、家業についてどう思っていましたか。

 菓子工場の2階に家があり、仕事と家庭が密着していました。従業員も家族のような雰囲気で、ベテラン従業員が私をおぶって、お菓子づくりをすることもあったそうです。

 小学6年生ごろから、自然と家業の手伝いをするようになりました。当時は菓子製造の他に釜めし・甘味の食堂と、ホテルを経営しており、まず始めたのは皿洗いです。ホールで働く人たちを見ながら「オーダーを取った時に、他のテーブルの食器をさげて戻ってきたら効率がいいのに」と思っていました。飲食事業の担当だった母がよく「手ぶらで帰ってこないように」と言っていて、その思考が刷り込まれたのかもしれません。

店舗前にて家族と。前列右が有井宏太郎さん

 高校生になると、ホテルのベッドメイキングや清掃を手伝うようになります。そこでもスピードと正確さを意識していました。年末などの繁忙期には、お菓子の店頭販売の手伝いをすることもありました。

――高校卒業後、すぐに家業に入社したのですか。

 英語の専門学校と、英国留学を経て22歳で入社しました。子どものころから手伝うなかで、自然と家業への入社を決めてはいたものの、「入社前に、家業につながりがあることを学んでおきたい」と考えたからです。ホテルに外国人客が増えていたので、英語でコミュニケーションがとれるようになりたいと思いました。入社後に、英国で知り合った妻と結婚し、妻も鎌倉紅谷に入社しました。

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