23年前の1999年8月20日、当時の第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の3行が事業統合することを正式に決め、発表しました。

3行は、総資産130兆円を超えるメガバンク「みずほフィナンシャルグループ」となりました。

 

事業統合が発表された当時の朝日新聞は、1998年ごろから増えていた大手金融機関の再編(住友銀行と大和証券の提携、日本興業銀行と野村証券の提携など)について触れ、そうした再編は「業務が限定され、相互の経営を根幹から変えるものではない」と記しています。

その上で

今回の統合は、時期・トップ人事ともに明記されたのを始め、3行が最終的には機能別に分解・再統合される点で、衝撃度が違う

1999年8月21日付朝日新聞朝刊(東京本社版)

 と、第一勧業・富士・日本興業の3行の事業統合が金融業界に与える影響について伝えています。

日本興業、第一勧業、富士3銀行の統合を発表した記者会見後の西村正雄・興銀頭取(中央)。左は杉田力之・一勧頭取、右は山本恵朗・富士頭取=1999年8月20日、東京・内幸町、朝日新聞社

また、富士銀行の山本恵朗頭取(当時)の「国際的な金融再編が加速するなかで、邦銀が国際的なプレゼンス(存在感)を確立する必要があった」というコメントを引用。

その上で「ここ数年、不良債権の処理に追われていた邦銀が、国際的な舞台で復活する足がかりにしたいという」と事業統合の狙いについて説明しています。

 

新しい金融グループ「みずほフィナンシャルグループ」という名称が決まったのは、事業統合の発表から約4カ月後の1999年12月22日。

「みずほフィナンシャルグループ」の持ち株会社設立式典=2000年9月、東京都千代田区(右から西村正雄・日本興銀頭取、杉田力之・第一勧銀頭取、山本恵朗・富士銀行頭取)、朝日新聞社

「みずほ」という名前の由来について、みずほフィナンシャルグループのホームページでは、次のように記しています。

「みずほ(瑞穂)」は、「みずみずしい稲の穂」を表す言葉であり、「みずほ(瑞穂)の国」は、実り豊かな国を意味する日本国の美称として用いられています。 この名称は、グローバルな金融市場において、日本を代表する金融機関として、最高水準の総合金融サービスにより、国内外のすべてのお客さまに豊かな実りをご提供していくという決意を込めたものです。 みずみずしさを感じさせる若々しい語感は、新しい企業文化にふさわしく、広くみなさまに親しんでいただける名称であると考えています。

みずほ銀行に変わる第一勧業銀行の支店=2002年3月30日、青森市、朝日新聞社

みずほフィナンシャルグループの誕生は、金融機関の再編を大きく促しました。

2000年4月21日には、住友銀行とさくら銀行が合併を正式発表。2001年4月に「三井住友銀行」となりました。

そして2004年8月12日に三菱東京フィナンシャル・グループとUFJホールディングスが経営の全面統合を発表し、2006年1月に「三菱東京UFJ銀行」が誕生。2018年4月から「三菱UFJ銀行」に名称が変わっています。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年8月20日に公開した記事を転載しました)