11年前の2011年7月17日、サッカーの女子ワールドカップ(W杯)で日本代表(なでしこジャパン)が初優勝しました。

優勝を決め、W杯トロフィーを掲げて喜ぶ日本の選手たち=朝日新聞社

決勝トーナメントにはアメリカやイングランド、フランス、ブラジルなど強豪国が名を連ねましたが、なでしこジャパンはチームワークを発揮してトーナメントを勝ち抜き、決勝戦に進出。

決勝戦でアメリカと対戦し、延長戦の末、PK戦を制し、世界トップの座をつかみました。

なでしこジャパンのW杯優勝を伝える2011年7月19日付の朝日新聞

日本代表がサッカーの国際大会で優勝したのは男女や年代を問わず、初めてのことでした。

大活躍をした主将MFの澤穂希選手は大会の最優秀選手に選ばれ、全試合を通じて5ゴールを奪った実績も評価されて得点王にも選出されました。

朝日新聞は見出しで「歴史刻む」と伝えました。

帰国会見をするなでしこジャパンの佐々木則夫監督や澤穂希選手ら=朝日新聞社

なでしこジャパンを優勝に導いた日本代表監督は佐々木則夫さんでした。

帝京高校(東京都)から明治大学に進み、Jリーグ発足前のNTT関東(現J1大宮アルディージャ)で活躍した選手でした。

おおらかな人柄、人当たりの良さでチームメンバーから尊敬を受け、選手ひとりひとりから本音と本気を巧みに引き出しました。

ベテラン澤選手らと良好な関係を築き、気持ちよくプレーできる環境づくりに徹してきた姿勢がW杯優勝につながったようです。

「理想の上司」として、後に多くのメディアに登場するようになります。

出身地の宇都宮市で大歓迎を受ける鮫島彩選手=朝日新聞社

選手らは帰国後、所属チームや出身地、母校などに凱旋しました。

宇都宮市出身の安藤梢、鮫島彩両選手が栃木県から県民栄誉賞を贈られるなど、地元からは大歓迎を受けました。

菅直人首相(当時)から国民栄誉賞を受ける澤穂希選手=朝日新聞社

なでしこジャパンは2011年8月、国民栄誉賞を受賞しました。

団体に国民栄誉賞が贈られたのは初めてのことでした。

当時の枝野幸男官房長官(現在は立憲民主党代表)の説明によると、「真摯(しんし)な努力を重ね、幾多の試練を乗り越え、初優勝という偉業を成し遂げ、多くの国民にさわやかな感動と社会に明るい希望を与えていただいた」というのが理由でした。

 

この年の3月には東日本大震災が発生し、岩手、宮城両県を中心にたくさんの人が亡くなった直後でもありました。

福島県では原子力発電所の事故も発生し、東北だけでなく日本中で日々の暮らしや人びとの気持ちが大きなダメージを受けていたなかで臨んだW杯でした。

なでしこジャパンの優勝は、多くの人に夢や希望、勇気を与えてくれるできごとになりました。

澤選手は受賞後、「驚きと同時に大変光栄に思っております。少しずつ日本が元気を取り戻しつつある中、私たちがさらに皆様に希望と活力を与えられたのであれば大変うれしいことであります」とコメントしました。

 

W杯優勝は政治も動かしました。

枝野官房長官は当時の高木義明文部科学相に対し、女子スポーツに対する政府の補助を増やす検討を指示。

なでしこジャパンの活躍に背中を押され、女子サッカー選手を目指す子どもたちも増えているようです。

 

なでしこジャパンは2015年のW杯カナダ大会では決勝戦でアメリカに敗れ準優勝。

2019年のフランス大会では決勝トーナメントの初戦でオランダに敗れ、ベスト16という結果でした。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年7月17日に公開した記事を転載しました)