目次

  1. 小さい組織でもリーダーシップをとる経験が成長につながる
    1. 気づいたことは「任せることの大切さ」と「自分のコピーはいらない」
    2. 目的が共有できていないとチームは力を発揮しない
  2. 本当にやりたいことに気づいたきっかけ「昇任試験に不合格」
    1. 昇任試験、5点満点中1.5点
    2. 本当にやりたいことは「一流の組織にすること」
  3. 影響を与えたひとつの詩
  4. 自分をポーラの商品に例えるなら……
  5. 若手へのメッセージ「やりたいこと、まず発信してみて」
    1. プロフィール

入社2年目で異例の埼玉出向。課長昇任試験に不合格。子育てと仕事。さまざまな経験を通して、ポーラ社長の及川美紀さん(52)が若手時代を過ごすビジネスパーソンに伝えたいこととは。

――新卒でポーラに入社後、若手時代(20~30代前半)に経験して現在に生きていることは何でしょうか。

若いうちにリーダーをした経験です。23、24歳のときに、私の意には添わない形で埼玉に異動、出向をすることになったんです。3人の少人数チームでしたが、その出向先でリーダーシップをとらせてもらいました。その経験がその後にすごく生きたと思っています。

よく※鶏口牛後(けいこうぎゅうご)と言いますが、鶏のくちばしでもいいから、リーダーシップをとる。そうした経験ができたことはよかったです。

鶏口は先頭、牛後はウシの尻で末端のこと。大国の属国になるよりも小国の王でいたほうがいいという、中国の「史記」に出てくる話に由来 

東京営業部に所属していた新人時代=及川さん提供

――具体的にどういう仕事だったのでしょうか。

ポーラのビジネスパートナーであるビューティーディレクターを教育する担当リーダーです。私が本社から販売会社に出向して、そこにいる社員をとりまとめる。ビューティーディレクターの教育や拡販・販売のスキルアップ、お客さまとのつながりを増やすための施策を検討する仕事をしていました。

教える相手は20代半ばから30、40、50代までさまざま。ビューティーディレクターのほうが人生経験は豊かでしたが、私は専門の教育を受けていて、プロフェッショナルとして知識を持っているので、こと商品の知識や会社で決められたカリキュラムを教えるということに関してはあまり萎縮はしませんでした。その代わり人生経験においては先輩なので、教わることのほうが多かったですね。

――リーダーシップをとる過程で大変だったことは何でしょうか。

当時私も若かったですから、リーダーというのは自分がなんでもできなきゃいけないというスーパーマン幻想みたいなものにとらわれていました。何もかも自分で引き受けて、「メンバーにあまり負荷をかけないように」と。なので、メンバーには簡単な判断ができる仕事を与えてしまっていたんです。

でもそれってあまりよくなくて、みんな私のアシスタントみたいになっちゃう。だからメンバーがつまらなそうにしていれば、そこにちゃんと気づく必要がありますよね。

出産して産休育休をとるとき、私がいなくて大丈夫かなと心配だったんですが、そのとき一緒にやっていたメンバーは、とても上手に切り盛りするわけです。そこで、人に責任のある仕事を任せるということは、人を育てる上でとても重要なんだと気づきました。

あと、本当に若気の至りで、自分自身に変な万能感もあったので、自分のコピーのようなメンバーを作ろうとしがちでした。でも、それも間違いだということに気づきました。「任せることの大切さ」と「自分のコピーはいらない」ということに順番に気づいていって35歳に至りました。

そのときに一緒に働いたメンバーがみんないい人たちだったので、表立っては反抗してこないんですが、やりがいを見つけづらくつまらなそうにしていたり、いつまでたっても認めてくれないって落ち込んでいたり、ちょっと兆しはあるわけです。なので少しずつ気づいていきました。 

埼玉出向時代=及川さん提供

――具体的にはどういうシーンで気づくのでしょうか。

例えば、とある新製品の発売キャンペーンがあったんです。私自身とても気合が入っていて、全国1位の実績をこのキャンペーンでとりたいと思ったんです。たくさんの準備をして、企画して、研修会も全部やって。実績も今みたいにパソコンがない時代ですから、朝早く会社に行って確認する。朝早くに出社して確認するということは、その前の夜に集計をやらなければならないという負担を売り場にいるメンバーたちにかける。

私の気持ちが先走って、数字の集計とキャンペーンの実績と戦略がうまく動いて成績がいくら上がっても、全国1位をとりたいというのは私だけの思いでしかない。そうすると一緒にやっているメンバーたちは「これは何のためにやってるんだろうね」と疑問がわくんです。自分ひとりで突っ走っても、結局チーム力ということにはならないんです。

意味が見いだせない仕事は頑張れない。チームが一枚岩にはならないと、最終的には業績が伸び悩んでしまいますね。一定レベルにはいくんだけど伸び悩む。だから人に無理を強いて仕事をするというのはあまり良いことではないなと反省しました。

ただ、同じような無理をしても目的が共有できている仕事のときは雰囲気がポジティブに変わります。事前に「何のためにこれをやるんだ」という目的がメンバーでしっかり腹落ちしていると、逆に私の指示ではなくてメンバーからアイディアが出てくるんですよ。

リーダーがやりたい仕事をメンバーが手伝うチームではなく、ゴール設計を共有して、役職は関係なく、互いに意見を出し合えるようになる。その関係性をつくることが理想のチームだと気がつきました。

――若手時代に挑戦してよかったことは何でしょうか。

30代半ばに受けた管理職の昇任試験ですね。受けていなかったら私は今こうしてここに座っていないです。

昇任試験、1年目は不合格でした。当時のポーラでは入社して早い段階で出向する人はそんなにいなかったので、私自身、人より苦労してると勝手に思い込んでいました。現場至上主義ではないですが、お客さまをよく知る販売現場で何年も続けているのだから、もっと評価してくれてもいいじゃないかと思っていました。そこで、「私はこんなに苦労している」「私はこんなに頑張っている」というようなアピール論文を書いて出しました。

ポーラの場合、合格すると具体的な評価は知らされませんが、不合格の場合は細かい評価がフィードバックされるんです。フィードバックには、なぜ不合格だったのかが紙1枚にずらーっと書かれていました。

5点満点の評価で、1.5点だったんです。3点以上が合格で私は1.5点。5点満点で上司が一人ずつ5点持っていて、たとえばAさんは2点、Cさんは1点、Bさんは0.5点、その平均値が評価点になります。「え、1.5?」「なんで私が?」って思いましたよ。

評価にはこと細かに、私の論文を見た総評が書かれていました。そこには、「独りよがり」とか、「未来の展望がない」とか、「なぜ彼女が受けようと思ったかわからない」とか。結構シビアに書かれていて、3点以上で面接まで進めますが、私は面接の前段階の論文で不合格。そのあと私は愚かにも、「やっぱり本社にいないと目に止まらない」「上司の指導が悪い」「課長が論文を指導してくれなかった」という感じですべて他責に走った時期がありました。

そのうえ会議での態度も悪い、遅刻もする。そんな調子を続けていたら、私を長年埼玉で見てくださっていたショップオーナーの方に呼び出されて怒られました。「この頃のあなたどうしちゃったの」「見てられない」「自分の態度がすごく悪いことに気づいているでしょう」と言われて、最後「がっかりさせないでちょうだい」という一言でハッと気づいたんです。「あ、期待してくれてたんだな」と思ったんです。

お世話になったショップオーナーと=及川さん提供

そのあと上司に「私怒られました」と報告したら、上司がにっこり笑って「気づいた?」っていうんです。それで「及川さんは本当は何がやりたいの」と聞かれたのですが、そのとき即答できませんでした。

本当は何がやりたいんだろう。頑張っていることを認めてもらいたい、ということはありましたが、本当にやりたいことを即答できない自分に気づいて。改めて考え直したら、「私は自分が所属している組織を一流の組織にしたいんだ」と思ったんです。仕事の目的が志になり、一流の組織とはどんなものか、そういう組織をつくるためには何をすべきかということを考えるようになりました。

自分を外に置いて本質的な目的をめざそうとすると、評価されるために課長試験を受けていた自分が、組織の課題解決や社会をよくするために課長試験を受ける自分に変わったんです。

その頃から自分の行動が変わって、読む本や話す内容も変わりました。上司への提案も目的から逆算して伝えるわけです。「一流の組織とはどうあるべきか」というゴールを設定して、そのための具体策を提示する。目線ががらりと変わって仕事を続けていたら、翌年の課長試験は順調に進んで、受かるんですね。

――若手時代に身につけてよかった習慣はありますか

20~30代のころは、ひたすら仕事と子育てに集中していましたね。実家の母に頼らず、夫の母にお世話になりながら、とにかく必死でした。ほぼ仕事と子育てをするのに夢中で、習慣といえるものは身につけられなかったですね。

毎日朝6時に起きて、子どもを連れて7時に保育園行き、そこから1時間かけて通勤。そのあと仕事をして、18時に走るように会社を出て、電車の中でも走りたい気持ちで19時にお迎え。そこから買い物に行って、20時ぐらいまでになんとか子供にご飯食べさせて、お風呂入れて。

当時小学生の娘さんとの写真=及川さん提供

今ではあまり大きな声で言えませんが、当時は仕事を家に持ち帰っていました。掃除して洗濯して、泥のように眠って、朝また6時に起きる。子どもが6歳くらいになるまではそういう生活でした。土日になると子供と遊びますし、本当に1人の時間はゼロでしたね。

習慣と呼べるものが身についたのは30代後半から。読書ですね。ビジネス書が多いです。30歳半ば、課長試験を受けるときに、ビジネス書を読んだらここに結構ヒントがあるんだと気づいたことがきっかけです。

当時は月に1冊程度でしたが、今は年間100冊以上読みます。最寄り駅のコーヒーショップが私の読書スポット。あとは昭和の純喫茶。マネジメントや組織論、歴史や史実を記した本が好きです。

――ビジネス書以外で及川さんに影響を与えた作品はありますか。

茨木のり子さんの詩にすごく影響を受けています。「自分の感受性くらい」や「おんなのことば」という詩があって、世の中の女性たちに対してがんばれって応援してくれたり、ときどき叱ってくれたり。私のバイブルです。

特に衝撃を受けたのは、「自分の感受性くらい」という詩です。「ぱさぱさに乾いてゆく心を、ひとのせいにはするな、みずから水やりを怠っておいて」という内容が続いていて、最後に「自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ」と叱咤激励される。

結局、自分で自分を磨かないで、他責になっていることを叱ってくれるセリフが続くんです。「自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ」というフレーズを読んだとき、ガーンと来たんです。うまくいかないことの数々を人のせいにはするなと。
それは「わずかに光る尊厳の放棄」だと書かれていて、おっしゃる通りだと思いましたね。

――ご自身をポーラ商品に例えるなら何でしょうか。

ポーラにある「B.A」というブランドですね。

B.A シリーズ=ポーラ提供

B.Aはバイオ・アクティブという言葉の略で、細胞を活性化するという意味。ブランドコンセプトは、人の可能性は広がる、そして美しさの98%は眠っている、というものです。つまり誰でも可能性があり、自分の生き方でその可能性を切り拓くことができる、というメッセージが製品に込められています。

私自身入社してすぐ出向するというめずらしいキャリアで。今では地方勤務は当たり前のようにありますが、30年前は珍しかった。私はその出向先の販売会社で60歳まで同じ仕事をするんだろうなと思っていたんです。

でも課長試験に落ちて、また受けて気づきが生まれて、違う世界が見えるようになった。本社に戻って商品企画を担当するとは思っていなかったし、役員、取締役、今は社長に就任しています。自分の可能性は自らの行動や挑戦、そこで生まれた気づきや人との出会いがきっかけとなって拓かれたものだと思います。

B.Aは、人は誰しもそういう可能性や潜在能力、眠っている美しさがあり、いつからでも何歳からでも広がっていくというメッセージを持ったブランドなんです。私はこのB.Aのコンセプトにとても共感しています。

最近はジェンダーや女性活躍推進について発信する機会をいただくことがありますが、ジェンダーギャップで可能性を閉ざしていることって多くありますよね。女性だからリストに上がってこないとか、妊娠するかもしれないからとか、あるいは出産育児で時間がとられるかもしれないから彼女には気を遣おうとか。そういう少しのアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)が積み重なると、人の可能性を閉じてしまう。

私がジェンダーギャップについて思うことは、本当に才能のある人や磨けば光る人、頑張りたい人に道を閉ざしていないですか、ということです。さらに言えば、女性の道を閉ざすということは、男性も自由な働き方ができなくなります。男性だから課長試験に絶対受からなきゃいけないとか、男性だから嫌でも転勤しないといけない、のように「こうあらねばならない」の重圧に苦しむことになると思います。

誰もが自分のやりたいことを主体的選択で選んでいくためには、まず最初にジェンダーギャップを解消しないと道は開かれないと思っています。今ネガティブになっているものをちゃんと戻して、性別問わず自分の意志選択できる世界を作りたいですね。今の20~30代の人たちはそういう思考をもう持っているので、そういう人たちの思想や力を存分に生かすためにも、早めに解消しないといけないと思っています。

――子育てと仕事を両立して日々を忙しく過ごす20~30代も多いと思います

今が何年も続くわけではないです。なので、やりたいことをやってください、と伝えたいです。うちの娘も冷静に私を見ていたみたいで、「お母さんは20代、30代の前半くらいまで結構大変だったけど、課長になってから少し余裕が出たよね」みたいなことを生意気にも言うんです。親が頑張ってる姿を子供は見ていますよ、ということは子育てをされている方に伝えたいです。子供は必ず大きくなるので、ちょっとくらい手を抜いても元気に育つから、やりたいことをやろうよということですね。

これは聞いた話ですが、今の30代くらいの働く女性たちはちゃんと人生を設計していて、夫と子供と自分をちゃんとチームにしていて、チームパフォーマンスを上げていくことを考えていると。チームビルディングがちゃんとできると、そこに役割と責任が生まれて、ものすごく子育てが楽になるよということを聞きました。

チームで仕事をするってビジネスにおいても、家庭においても一緒ですよね。だから仕事も子育ても一人でやろうとしないのがいいということ。頼れる人におおいに頼ってください。

――いま若手時代を過ごしている人たちに特に伝えたいことは何でしょうか。

「やりたいこと」や「変えたいこと」など、自分の「〇〇たい」をいっぱい発信してください。発信する前から諦めている人が結構いるんじゃないかなと思います。最初は夢みたいなことでも、「こういうことしたいんだけど」と発信してみると、共感してくれる人が現れるんです。一人、二人という感じで。

これは社内外は関係なくて、やりたいことを発言すると、一緒にやりたいという人がまず出てくれるというのと、やらせてみようかなという人が出てくれるのと、アドバイスしてくれる人が出てきて、チームができちゃいます。

もしやりたいことが見つかっていない人は、自分の中にある違和感を探してみてください。ここちょっとやりにくいなとか、もっとこうだったらいいのに、ということはあると思います。ぜひ探してみて下さい。小さいことでも全然いいんです。身の丈に合ったことでいいんです。

若手社員が「いつか〇〇部に行ってこういう仕事をしたいんです」って話したこと、上司はあまり聞いていないように思うじゃないですか。自分自身が上の立場になって思いますが、覚えているんですよ。やっぱり声って聞くともなしに聞いていて。私だけではなく、ほかの役員とも、「〇〇さんがこういうことやりたいって言ってたよね、じゃあ挑戦してもらおうか?」みたいなやりとりをすることがありますよ。発信しないと損します。だからぜひ自分から発信してみてください。

及川美紀(おいかわ・みき)。1969年生まれ。宮城県石巻市出身。 1991年東京女子大学文理学部英米文学科卒。株式会社ポーラ化粧品本舗(現株式会社ポーラ)入社。美容教育、営業推進業務、2009年より同社商品企画部長を経て 2012年執行役員、2014年取締役に就任。2020年1月より現職。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年3月29日に公開した記事を転載しました)