火星は、地球の“姉妹星”とも言われます。

ハッブル宇宙望遠鏡が撮影した火星=NASA提供、朝日新聞社

19世紀にはSFの世界で「火星人」が登場するなど、人類にとって古くから一番身近な惑星でした。

24年前の1998年7月4日、日本初の火星探査機「のぞみ」が鹿児島県の宇宙空間観測所から打ち上げられました。

「のぞみ」の打ち上げ成功を報じる1998年7月4日付の朝日新聞夕刊(東京本社版)

宇宙科学研究所、現在の宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発したものです。

本体は1辺が約1.6メートルの正方形。

パラボラアンテナや太陽電池パドル、エンジンなどがあり、総重量は540キロでした。

 

のぞみは地球を周回する軌道に入った後、月の重力を使って加速。

火星に向かう軌道へ移り、秒速約30キロで約8億キロの宇宙空間を飛行して、火星の周回軌道に到達する計画でした。

火星の地形や上層の大気、磁場などを調べる予定で、専門家の間では「火星の歴史を知ることで、地球形成の歴史なども分かる」と期待を集めていました。

しかし――。

「火星探査のぞみ薄」と報じる2003年12月6日付の朝日新聞朝刊(東京本社版)

エンジンに燃料を送るシステムの不具合などで計画は大幅に修正。

当初の予定より約4年遅れて、2003年12月に火星に接近しました。

 

ところが、電子回路が故障して主エンジンが停止。

復旧作業も実らず、火星周回軌道への投入は断念しました。

のぞみは、火星とほぼ同じ軌道を飛び続ける人工惑星となりました。

 

それから7年後。

小惑星探査機「はやぶさ」が2010年6月、世界で初めて小惑星「イトカワ」から試料を地球に持ち帰りました。

その7年間の道のりは故障やトラブルの連続で、奇跡的な帰還に日本中がわきました。

その7年間の道のりは故障やトラブルの連続で、奇跡的な帰還に日本中がわきました。

のぞみの通信が不調の時に考え出された技術が、指令なしで自ら判断するはやぶさに引き継がれていたそうです。

 

さらに、2020年12月には、小惑星探査機「はやぶさ2」が6年50億キロにわたる探査計画を終え、小惑星「リュウグウ」の砂が入ったカプセルを地球に送り届けました。

「はやぶさ2」の帰還を伝える2020年12月7日付の朝日新聞朝刊(東京本社版)

月より遠い天体に着陸し、そして帰還した初代「はやぶさ」と「はやぶさ2」。

その成功の裏には、“先輩”である「のぞみ」の存在がありました。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年7月4日に公開した記事を転載しました)