【G-SHOCK】落としても壊れない構造 ヒントは公園で見つかった
多くの人に長年愛されるヒット商品を取り上げる「ロングセラーの秘伝」。今回はカシオ計算機の「G-SHOCK」です。
多くの人に長年愛されるヒット商品を取り上げる「ロングセラーの秘伝」。今回はカシオ計算機の「G-SHOCK」です。
目次
「落としても壊れにくい時計」
頑丈で壊れにくい腕時計として知られるカシオ計算機の「G-SHOCK(ジーショック)」は、世界中で累計1億本以上売れているロングセラー商品である。1983年の発売以来、長年多くの人に愛用され続けている理由について、時計マーケティング部の部長・上間卓さんは「飽くなき挑戦をやめないからこそ」と語る。
1983年、初代G-SHOCK「DW-5000C」が誕生した。これまでの時計の常識を覆す「落としても壊れない時計を」という開発者の想いは今なお継承されている。
G-SHOCKの開発者は伊部菊雄(いべ・きくお)氏。1976年にカシオ計算機へ入社し、時計事業で日々、時計の設計に携わっていた。
そんなとき、父からの大事な贈り物として愛用していた腕時計を壊してしまう。
精密機器の塊と言える腕時計を落とし、パーツが無残にも散らばる様子を見た伊部氏は、「落としても壊れない時計」を作ろうと思い立ったという。この体験が、G-SHOCKが生まれるきっかけになったという。
その後1981年に、伊部氏は「落としても壊れない時計」の企画提案書を会社へ提出。G-SHOCKの開発に着手することになる。
しかし、ここから長い道のりが始まることになるとは、伊部氏自身も想像していなかった。数十回、数百回テストをしてもうまくいかない日々が続いた。
開発初期の頃は、「壊れやすい電子部品の強度を保つために、緩衝材を使えば大丈夫だろう」と考えていた。ところがふたを開けてみれば、当初の見立ては甘く、ビル3階のトイレの窓から何度落としても壊れてしまう。
数十回、数百回繰り返し、緩衝材を追加し続けた結果、ソフトボールほどのサイズでようやく壊れなくなった。だが、とても時計として商品化するには程遠い状態に伊部氏は頭を悩ませた。
解決策を模索し、次に試みたのが、時計を構成する部品を5段階の構造に分け、衝撃を和らげる仕組み(5体構造)だった。
「これなら大丈夫だろう……」
しかし、今度はなぜか毎回部品が1つだけ壊れてしまう。液晶を強くしたり、コイルを強化したり……。試行錯誤を繰り返し、色々な改善をしても、必ずどこかの部品が壊れてしまう。まさにもぐら叩きのような状態だった。
試行錯誤は開発開始から1年以上に及んだ。ほとんど進展がない状態で、伊部氏は当時、「このまま商品化できなければ、退職を考えていた」という。そんなとき、転機が訪れた。
開発を進めるために休日出勤していた伊部氏が、一息つくために公園を訪れたときのこと。公園では、子どもがゴムまりで遊んでいた。その瞬間、視界が開けるようなひらめきが降って湧いた。
5体構造に加え、時計の心臓部を浮かせることで、衝撃に耐えられるようになる。そう確信した伊部氏は、長い開発期間を経て、ようやくG-SHOCKの基本構造を見出すことに成功した。
当時、時計といえば「薄くて、軽い」ものが主流で、G-SHOCKのような「厚くて、大きい」ものは時代の流れに逆行していた。なぜ時代の流れに逆行しながらも、気持ちが折れることなく開発を進められたのか。
その理由について、時計マーケティング部の部長・上間卓さんは「商品を生み出すことで、新しい需要を作っていく提案型のものづくりを行っていたから」と話す。
現代では、市場調査やマーケティング分析をして、緻密に立てた戦略に沿って商品を出す「マーケットイン」の発想で、商品開発を行うのが一般的だ。
一方で、G-SHOCKが発売された頃は、開発側が良いものを作り、新たな価値を創造することで市場を作る「プロダクトアウト」のものづくりが全盛だったという。こうした時代背景があったからこそ、G-SHOCKが生まれたのかもしれない。
200を超える試作、そして2年間にも及ぶ開発期間。苦心の末、伊部氏が作り上げたG-SHOCKだが、発売当初は日本でほとんど売れなかったそうだ。
厚くて頑丈な時計に価値を感じて、G-SHOCKが最初に広まったのはアメリカだった。
1980年代に、G-SHOCKの頑丈さをアピールする鮮烈なテレビCMをアメリカで放映した。アイスホッケーのパック代わりにG-SHOCKを打っても壊れない様子を、CMで描写したのだ。
相当な衝撃がかかるシチュエーションゆえに、本当に壊れないかを検証するテレビ番組が放映され、実際にテストしてみると時計はまったく壊れなかった。
これを機に、G-SHOCKの製品力が評価され、次第に口コミで広まっていったという。消防士や警察官、軍の隊員のほか、スケーターやサーファーまでさまざまなコミュニティに属する消費者がG-SHOCKを愛用するようになったのだ。
そんな中、日本においてG-SHOCKブームの先駆けになったのは「5900」モデルだ。
海外で先行販売して売れ行きは好調だったものの、当初は日本で売る予定はなかったという。それでも感度の高い消費者が、どこからか情報を得て、雑誌を片手に「このモデルを置いていないか」と店舗を訪れる状況だった。
そこで、試験的に渋谷の店舗で300本だけ販売したところ、予想以上の反響で完売。とりわけ、サーファーやスケーター、ファッショニスタのようなストリートカルチャーに造詣の深い消費者が好んで購入した。
この反響の大きさから、日本未発売モデルを逆輸入していく販売戦略をとるようになった。
1993年からは、会社をあげてG-SHOCKのブランディングやマーケティングを強化していく方向性を定め、G-SHOCKブームを本格化させた。メディアへの露出が拡大するにつれて、知る人ぞ知る時計だったG-SHOCKに興味を示す消費者が増えていった。
女性の消費者も取り込もうと、1994年以降にはモノクロ以外のカラーのバリエーションも増やし、さらには姉妹ブランド「BABY-G」も市場に投入する。
また、1996年には時計業界では先行してスポーツやファッション、音楽、アートといった各ジャンルのブランドもしくは著名人とのコラボモデルを発売。
さらに1997年からは、「スケルトンモデル」や、冬限定のペアウォッチシリーズ「ラバーズコレクション」によるセット販売、“イルクジ”と称され社会現象にまでなった「イルカ・クジラモデル」など、シーズナルの商品を発売するようになる。
こうしてG-SHOCKは着実に裾野を広げることに成功し、一大ブームを築き上げた。
しかし、1998年以降はブームが下火となり、販売数は減少に転じる。一過性の人気が落ち着き、コアなファンだけがG-SHOCKを支える状況が2002年くらいまで続いたという。
G-SHOCKの売り上げを再浮上させるため、時計の本質である「止まらない、狂わない、壊れない」に立ち返ったのは2002年。
強みである頑丈さのみならず、1秒も時間のズレが生じない「絶対精度への挑戦」をするべく、電波ソーラー機能を搭載した「GW-300J」を発売した。
また、時計業界全体では文字盤と針で時を刻む「アナログ方式」の商品が多くを占めるなか、G-SHOCKではラインナップが少なかった。そこで、2004年頃からアナログ時計の商品数を増やし、新たな需要喚起を図った。
この戦略が功を奏し、再び成長は右肩上がりに。
その後も30周年、35周年といったアニバーサリーイヤーには、G-SHOCKの世界観を伝えるイベント「SHOCK THE WORLD」を実施。世界70都市以上で開催し、ファンの熱量を高めることで、世界中の人に愛される腕時計ブランドを作り上げている。
時計マーケティング部長・上間卓さんは「往年のG-SHOCKを知る世代から、最近のモデルを愛用する若年層まで、幅広いお客様に支持されるようになりました。最近では初代G-SHOCKのスクエアフォルムをフルメタル化した『5000』シリーズも好評を得ています。下は1万円台から、上は30万円代の商品までラインナップを拡充させることで、さまざまなニーズに応えられるように心がけています」と話す。
時代の変遷で消費者のライフスタイルが変化するなか、G-SHOCKはこれまで累計3000モデル以上を発売してきた。
「『時計は将来いらなくなる』と言われて久しいですが、実際には何年経っても時計は人々にとって欠かせないアイテムになっています。ファッションとしても、ライフスタイルとしても時計の需要が消えない限り、廃れることはないでしょう。今後もG-SHOCKは時間を計るだけでなく、“ライフスタイルの相棒”として、いつまでもお客様に愛用してもらえるよう、尽力していきたいと思います」(上間さん)
たった1人の、たった1行の企画書から生まれたG-SHOCK。今日も時を刻み、いかなる衝撃にも耐えるタフネスさは健在だ。これからも多様な人々の日常の中で、G-SHOCKは生き続けていく。
(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年11月19日に公開した記事を転載しました)
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