1972年6月27日、最高裁が初めて日照権を認める判決を出しました。

日照権とは、他人の建物に妨げられることなく太陽光を受ける権利が国民にはある、という考え方のことです。 

 

東京都心などでは1960年代後半から、人口増加に伴うマンションやアパートの建設ブームが起きました。

これに伴い、周りの住宅に日が当たらなくなるトラブルが急増しました。

1970年1月19日付朝日新聞朝刊(東京本社版)には「都会でふえる”太陽のない家”」という記事があり、昼間も電気をつけっぱなしで暮らすことになった家族が紹介されています。 

1970年1月19日付朝日新聞朝刊(東京本社版)に載った「都会でふえる“太陽のない家”」の記事

そこで日照権という考え方が台頭します。

しかし当時、日照権は法的に保護に値する権利とはされず、裁判では日照権侵害を訴えた原告の敗訴が相次ぎました。 

 

転機となったのが1972年の最高裁判決です。

この裁判は、東京都世田谷区の住宅に住んでいた男性が、隣家の違法な増築により日当たりや通風が悪くなったと主張したもの。

最高裁は、隣家の住人に賠償命令を出した二審判決を支持し、その後判例が確立されました。

1976年の建築基準法改正で、紛争解決の指針となる日影規制も盛り込まれました。 

日照権を認める最高裁判決を報じる1972年6月27日付朝日新聞夕刊(東京本社版)

ただ、その後もトラブルはなくなりません。

日陰になった住民側が裁判に勝つには、我慢の限度を超えていることを証明する必要がありますが、ハードルは高く、わずかな金銭補償で手を打つケースが多いようです。

渋谷区神山町の事務局前に看板を立て「日当たり条例」の制定をめざして署名運動を行う市民団体=1973年、朝日新聞社

2000年代に入ると、日陰のせいで太陽光パネルの発電ができなくなったという争いも発生。

最近では2020年、新東名高速道路の建設で自宅の日照権が侵害されたと訴えた愛知県の住民に関し、名古屋高裁が中日本高速道路(名古屋市)に賠償命令を出しました。

住宅が日陰になる時間は年平均で1日5時間に及ぶため「受忍限度を超えている」という判断です。

開発に伴い日陰はどうしても生じます。

どう着地点を見いだすか、なお難しい問題のようです。 

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年6月27日に公開した記事を転載しました)