アルバイトでもイタリア出張 電通出身の酒店2代目が進めた組織改革
東京都町田市の酒店「リカーポート蔵家」2代目の浅沼芳征さん(53)は、大手広告会社・電通で20年勤めた後、当初は継ぐ気がなかった家業に転身しました。従業員への権限付与や閉店時間の前倒し、資格取得の補助、思い切った人材登用などで働きやすい組織づくりを進め、地元自治体から仕事と家庭の両立に関する表彰を受けるまでになりました。
東京都町田市の酒店「リカーポート蔵家」2代目の浅沼芳征さん(53)は、大手広告会社・電通で20年勤めた後、当初は継ぐ気がなかった家業に転身しました。従業員への権限付与や閉店時間の前倒し、資格取得の補助、思い切った人材登用などで働きやすい組織づくりを進め、地元自治体から仕事と家庭の両立に関する表彰を受けるまでになりました。
目次
「リカーポート蔵家」は、JR町田駅からバスで約10分の境川団地のそばにあり、希少な日本酒や焼酎、世界各国のワイン、洋酒を約3千種類そろえています。従業員数は5人、アルバイト2人の計7人です。
店の前身は50年近く前、母方の祖父が営んでいたスーパーでした。やがて専門店化を目指し、婿入りした父に酒販免許を譲る形で酒店になりました。
創業は高度成長期の1974年。町田は数多くの団地ができ、住民が爆発的に増えた時期でした。最初はどこにでもある酒屋でしたが、もともと趣味人だった先代が、海外でワインに出会って専門店化が進みます。
酒を扱うコンビニも増えたため、日本酒、ワイン、焼酎を取りそろえる店として差別化を進めました。
「僕が小中学生のころは近くの団地や住宅に配達をしていて、しかもエレベーターのない団地の5階まで上がらないといけない。自宅に戻っても商売の話ばかりで本当に忙しそうでした。お店の近くにいると『手伝え』とか『空き瓶を片付けろ』と言われるのが嫌でした」
浅沼さんは高校でアイスホッケー部に入部。部活が忙しいからと家業はほとんど手伝わなかったそうです。進学した慶応義塾大学でもアイスホッケーに打ち込みました。
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そのころ、先代に一度だけ「就職はどうするんだ。継ぐ気があるなら酒造メーカーにつなげるぞ」と聞かれたそうです。「親のコネみたいなのも、酒屋に戻る前提というのも嫌でした」
「絶対継ぎません」。そう宣言して電通に入社しました。
電通では20年間、地方支店の営業や大手企業の広告制作、人材育成、クリエーティブまで様々な仕事を経験しました。激務のうえ、東京・世田谷の社員寮にいたため、実家にはたまにお酒をもらいにいく程度の距離感でした。
「たまに帰ると、小さなプレハブみたいだった店が大きくなっていたり、大学生のアルバイトが正社員になっていたりして、頑張っているなと思っていました」
継ぐ気がないからこそ関わらない方がいいと、浅沼さんは思っていました。7歳下の弟が就職するときも「自分の道を選ぶべきだ」と助言し、両親には第三者承継を考えるようにお願いしたそうです。
しかし、浅沼さんが44歳のとき心境の変化が訪れました。管理職になるタイミングで家業を見つめなおすと、これまでにない感情が浮かんだのです。
「人生の中で、もう一つ成し遂げることがあってもいいんじゃないか」
両親は蔵家を町の酒屋から発展させ、全国の蔵元とのつながりを開拓。電通や地元でお酒が好きな後輩から「蔵家さんの品ぞろえはすごいですよ。先輩どうするんですか」と言われるほどでした。
量販店やコンビニが酒販業界を席巻する中、両親はお酒の価値を丁寧に伝えてきたのです。
「これからの自分がやるべきなのは、お酒の宣伝マンだと思い浮かびました。広告業界の20年間の経験を加えることで、酒販業界に刺激を与えられると思いました」
浅沼さんは13年に電通を退職し、蔵家に副社長として入社しました。先代はすでに70歳で若い従業員との年齢差が大きく、コミュニケーションはあまりうまくいっていなかったといいます。
「従業員も色々改革したいことがあり、おやじより話しやすいと思ってくれたみたいです」
浅沼さんが手を付けたのが従業員との関係性でした。
例えば、お酒の仕入れは先代が全部行い、従業員は仕入れたお酒を売るだけという関係でした。しかし、浅沼さんはお酒に関しては素人で、従業員のほうが詳しい状態でした。
「仕入れるお酒を選定する権限をはじめ、従業員には自覚と責任を持つ機会を作りました。彼らの方が実際にお客さんと接していて、生の声を聞いています。また、僕が全部担っていては人材育成になりません。一人ひとりが自ら体感し、学び、それを生かしてほしいと思いました」
浅沼さんがもう一つ力を入れたのが、ワーク・ライフ・バランス(WLB)の充実です。蔵家の社員は20~30代が中心。浅沼さんが入社したタイミングで、若い社会保険労務士に労働環境の改善を相談しました。
それまでの営業時間は午前9時半~午後9時半でしたが、「片付けをして会計を締めていたら、帰るのは午後10時か11時になります。残業代もかかるし、早番遅番のシフト制にするほどの人数もいません。両親と半年ぐらい話し合い、平日の閉店時間は午後8時までに早めました」。
浅沼さんは時間ごとの売り上げを算出し、午後9時台の来店客は1日の2%に過ぎないと説得しました。実際に営業時間を変えても、売り上げが下がることはありませんでした。
営業時間の短縮で、翌朝の社員の顔は見てわかるぐらいに元気になったといいます。
「完全週休2日制までにはまだ道のりは遠いですが、目指したいと考えています。社労士と相談しながら1年間の休みの日数を決め、定休日以外の休みは、社員同士のローテーションで決めてもらっています」
浅沼さんは従業員のスキルアップを支援する仕組みをつくりました。「きき酒師」や「発酵マイスター」など、お酒に関する資格取得やセミナーへの参加は、費用の半分を会社が出すようにしたのです。
「学んだことは人に伝えたくなるものです。すると従業員はお客さんにもお酒のことをより良く伝えられるようになります。スキルアップをすれば評価にも反映しています」
給与面も改善しましたが、単に上げるだけではありません。マネジメント層には決算の結果で上下する仕組みを採り入れ、モチベーションを引き出しています。
優秀な社員の登用も進めています。現部長の山口いづみさんはアルバイトとして蔵家に入社。その前はワインを取り扱う店で働いていました。
浅沼さんは、山口さんにイタリア出張で取引先のアテンドを任せました。山口さんはこのミッションを大成功させて社員になり、今は洋酒担当のフロアマネジャーとして活躍しています。
このほかにも育休の推進や、ハラスメント防止窓口を社外に設置するといった取り組みも行っています。
「電通での経験はすべてマネジメントに生きています。仕事は自ら創る意識が大切です。長期の計画(目標)を持ち、摩擦を恐れず意見交換し、同時に自信を持てるだけの努力をすること。これが大切な現場での粘りや迫力につながると思っています」
WLBの取り組みなどが評価され、地元町田市から19年度の「仕事と家庭の両立推進企業賞」を贈られました。
浅沼さんが家業に入ったときの売り上げは約4億円でした。両親が堅実な経営をしていたので赤字ではなかったものの、投資などには回っていませんでした。
15年に先代が亡くなり、浅沼さんは2代目社長に就任しました。
浅沼さんが社員とともに行った業務改革や試飲会などのイベント、様々な企画によって、売り上げは最大6億円まで上昇。この売り上げを原資に、WLBなどの取り組みを進めました。
ただ、今はコロナ禍で飲食店向けの売り上げが大幅に落ち、約4億円まで減少しているそうです。今後、新たに地域への配達網を整備することで、売り上げの回復を図っていきます。
浅沼さんは店の外にも活動の幅を広げています。その一つが、アイスホッケー・アジアリーグ「横浜グリッツ」の監督業です。
電通時代に社業と母校慶大のアイスホッケー部監督を両立させていた実績が評価され、監督のオファーが来ました。
「横浜グリッツ」は選手全員が一般企業に勤めるデュアルキャリアプロチームです。浅沼さん自身も家業と並行し、シーズン中は練習や試合で日本中を奔走しています。
「日本のトッププロアスリートの価値を高めたいという使命感と同時に、酒業界の宣伝マンとして、スポーツ界や様々な業界をつなげ、多くのイノベーションやシナジーを生みたいと考えて引き受けました」
「お酒もスポーツも、酒蔵やチームのフロントのような造り手と、酒屋や選手たちのような伝え手が、一蓮托生の気持ちを大切に新たな価値創造ができればと思っています」
もうひとつ力を入れているのが、18年に開店した町田駅前の居酒屋「蔵家SAKE LABO」です。経営は別会社ですが、蔵家のフラッグシップ店として日本酒・焼酎・ワインを、1杯200円から週替わりでそろえています。
「蔵家には数千種類のお酒があります。本当は試飲会をしたいのですが、店に来てもらうのも大変なので、居酒屋を作りました。飲んだお酒は併設した酒屋で買えるようになっています」
蔵家の社員も週1回「SAKE LABO」で働いています。「ここならお客様がお酒を飲む様子が見られ、グループインタビューもできます。これも社員の質を高める人材育成なんです」
浅沼さんは自らの事業承継を振り返り「両親に継いでくれと言われなかったのがよかった。無理に継がされていたら5年ぐらいで逃げ出していました」と語ります。
日本を代表する大企業から転身し、家業も成長に導いた浅沼さん。家業を継がせる側と継ぐ側に向けて、次のようなメッセージを送ります。
「継がせる側には、『継いでくれ』と言うより背中を見せ続けてほしい。お願いベースでは責任も覚悟も生まれず、迫力がありません。背中から何かを感じたとき、次の世代は必ず動くはずです」
「そして事業を引き継ぐ側は、自分を育ててくれた親や会社を見続けることです。自身が家業に入ることで、進化させられると思ったら継ぐべきです。もし苦労や失敗があっても、絶対に親のせいにしてはいけない。覚悟して臨むべきだと思います」
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