61年前の1961年6月21日、3年後の東京オリンピックの種目に柔道を加えることが、国際オリンピック委員会の総会で決まりました。

柔道が正式種目になるのは初めてでした。

2016年リオオリンピックの女子70キロ級決勝で金メダルを獲得した田知本遥選手=朝日新聞社

すんなり採用されたわけではありません。

1955年の朝日新聞の記事によると、この年の総会で柔道を含め数種目の採用申請がありましたが、すでに種目が多すぎるとの理由で却下されました。

 

潮目が変わったのは1960年。

東京五輪組織委員会事務総長の田畑政治氏は、この年に開かれるローマオリンピックの会場視察から帰国後、柔道を東京オリンピックの種目に加えるよう欧州各国から声をかけられたと説明。

当時の朝日新聞の記事によると「今度の総会で日本から提案すれば通るような印象を受けた」と語りました。

 

1961年の総会での日本側の原案は、種目数を増やさないよう、近代五種とカヌーを削って柔道とバレーボールを採用するもの。

しかし近代五種とカヌーは欧州勢の支持が根強く、東京オリンピックは2種目増の20種目で行うことになりました。 

柔道の採用が正式に決まったことを伝える1961年6月22日付朝日新聞朝刊(東京本社版)

当時の4階級のうち、日本は軽量、中量、重量級と金メダルを重ねましたが、最後の無差別級ではアントン・ヘーシンク選手(オランダ)が優勝。

柔道ニッポンの誇りが打ち砕かれたとも言われました。

一方、ヘーシンク選手は決勝で勝った後、歓喜に沸くオランダの関係者が試合場に走り込もうとするのを手で制し、礼が終わるまで喜びを封印したそうです。

なお、女子柔道が正式種目になるのは、1992年のバルセロナオリンピックからです。

東京オリンピックの柔道無差別級決勝。ヘーシンク選手(オランダ)と神永昭夫選手(手前)が組み合った=1964年10月23日、東京・日本武道館、朝日新聞社

日本のお家芸と言われ、オリンピックのたびにメダルを量産してきた柔道ですが、男子は2008年北京では金メダル2個のみ、2012年ロンドンでは初の金メダルゼロと低迷します。

しかし、2000年シドニーオリンピック金メダリストの井上康生氏が監督として率いた2016年リオでは、男子は金2つを含め7階級全てでメダルを得て、復活ののろしを上げます。

2021年の東京五輪では、男女合わせて過去最多となる9個の金メダルを獲得しました。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年6月21日に公開した記事を一部修正して転載しました)