36年前の1986年6月7日、プロ野球広島東洋カープの衣笠祥雄選手(当時39歳)(1947-2018)が甲子園球場であった阪神タイガース戦に出場し、自身がもつ連続試合出場のプロ野球記録を2000試合に更新しました。

朝日新聞東京本社発行の1986年6月8日付朝刊

当時の朝日新聞では「鉄人だ 2000試合連続出場 衣笠がプロ野球新記録」の見出しで衣笠さんの偉業を伝えています。

記事によると、衣笠さんの連続試合出場は入団6年目の1970年10月19日(対読売ジャイアンツ戦)に始まりました。

その後1985年までの15年間、1年に130ある全試合を「無欠勤」。

1986年のシーズンも開幕から連続出場を続け、プロ野球記録を更新しました。

記事は「米大リーグでは、ヤンキースの強打者だったルー・ゲーリックが二千百三十試合の記録を残しており、衣笠は今度は、“世界記録”に挑む」と締めくくっています。

 

また、同じ日の朝日新聞スポーツ面は、当時読売ジャイアンツ監督だった王貞治さんや、野球解説者だった野村克也さんのコメントを掲載しています。

王さんは「だれだって休みたくないが、負傷してしまう。2000試合連続出場には頭が下がる。筋肉質で無駄な肉がついていないのがよかったのでは。あと1年続け、ぜひ、ゲ―リックの記録を破ってほしい」。

野村さんは「不滅の記録はいろいろあるが、地味な大記録だ。達成した一番の原因は反射神経のよさ。オールスター戦で対決したとき、当たった、と思う球をうまくよけるのには感心させられた。こんな記録を破る人はいない。野球選手は休んだら損、を身をもって示した人だ」。

 

その後、衣笠さんは1987年6月11日にルー・ゲ―リックの2130試合に並び、2日後の6月13日に世界最多記録となる2131試合連続出場を達成しました。

衣笠さんは世界最多記録を達成した日のセレモニーで「私に野球を与えて下さいました神様に感謝します」と述べたそうです。

衣笠祥雄さん=東京都港区、2010年、朝日新聞社

衣笠さんは2018年4月23日、上行結腸がんで71歳の生涯を閉じました。

2018年7月7日付朝日新聞夕刊に掲載された「惜別」の記事は、こう記しています。

「衣笠さんには星がある。1999年に命名された小惑星は、鉄人ファンだった天体写真家らの提案で『Kinugasa』と名付けられた。これからも野球界を空から見守ってくれる」。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年6月7日に公開した記事を転載しました)