50年前の1972年6月11日、当時通産相だった田中角栄氏が、自身の政策をまとめた「日本列島改造論」を発表しました。 

田中氏は、昭和史に名前を刻む政治家として知られていますが、当時は自民党総裁選への立候補を目指していました。

当時の佐藤栄作首相が総裁選への不出馬をすでに表明し、「ポスト佐藤」をめぐる争いが激しく行われていたときでした。 

1972年6月12日付の朝日新聞朝刊では「工業の大規模再配置をテコに日本列島を改造 田中通産相が“政権構想”」の見出しとともに、次のように触れています。 

「佐藤後」の自民党総裁をめざす田中通産相は十一日、大規模な「工業再配置」をテコに日本の国土を人間の生活や福祉を中心につくり変えようとする「日本列島改造論」をまとめた。 

田中氏は総裁選立候補の際、外交、内政全般にわたる政策を発表するが、「日本列島の改造こそ、今後の内政問題の最も重要な課題である」と力説していることからも、総裁選挙をひかえて同氏の”政権構想”の一つの柱を打出したことは明らかだ。 

1972年6月12日付の朝日新聞朝刊

1972年6月12日付の朝日新聞朝刊(東京本社版)

このおよそ1カ月後に行われた自民党総裁選。

田中氏のほか、福田赳夫氏、大平正芳氏、三木武夫氏の4氏の争いとなりましたが、第1回投票では決着しませんでした。

田中氏と福田氏による決選投票が行われ、田中氏が総裁に選出されました。 

 

「日本列島改造論」は、①太平洋ベルト地帯に集中しすぎた工業の地方分散、②都市改造と新地方都市の整備、③高速道路・新幹線などの全国的な総合ネットワークの整備――の3点が柱でした。

発表後、田中氏の著書として出版されましたが、首相に就任したこともあり、90万部を超えるベストセラーになりました。 

1972年に刊行された田中角栄著の「日本列島改造論」=朝日新聞社

雄大な構想だという評価もあった一方で、開発主導で公害を全国に拡散するものだなどという批判もありました。

また、地価対策を講じる前に発表されたことで、土地の投機を招き、地価が急激に上昇。

この影響で物価が上昇し、オイルショックも相まって、「狂乱物価」を招きました。 

 

田中氏はその後、1974年7月の参院選で敗北。

自身の金脈問題も発覚し、12月に首相を辞任。

1976年には、米ロッキード社が大型ジェット旅客機を売り込むため、日本の政府高官らに政界工作をした疑惑が浮上。

いわゆる「ロッキード事件」で、田中氏は外為法違反容疑で東京地検に逮捕されました。

 

「日本列島改造論」は批判を受けましたが、その骨子だった地域の開発や国土整備は、格差の是正を目指していたものだったのではないでしょうか。

新幹線や高速道路が整備されたいまも、地域活性化や東京一極集中は大きな社会課題のひとつです。

田中氏が掲げたように、これからどんな日本をつくっていきたいのか、私たちなりの「構想」を思い描くことが大切なのかもしれません。 

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年6月11日に公開した記事を転載しました)