63年前の1959年(昭和34年)5月26日、国際オリンピック委員会(IOC)の総会が当時の西ドイツ(現ドイツ)のミュンヘンで開かれ、1964年の夏季オリンピックの開催地が東京に決まりました。

1964年東京オリンピックの開催決定を報じる朝日新聞

ベルギーのブリュッセル、アメリカのデトロイト、オーストリアのウィーンの各都市と争い、1回目の投票で過半数の票を獲得して選ばれました。

 

翌日の朝日新聞朝刊は、このニュースを1面トップで報じました。

4年に一度のオリンピック。

東京での開催決定は、日本国民にとっては、敗戦前からの悲願が実った瞬間でした。

 

実は、日本は1940年の夏季大会でも東京開催を目指して立候補し、1936年のIOC総会でいったんは認められました。

1940年東京五輪の開催決定を報じる東京朝日新聞

この時も当時の東京朝日新聞は1面で大きく報じています。

1940年東京五輪の開催決定を報じる東京朝日新聞

ところがその後、日中戦争に突入し、日本に対する海外からの風当たりが強まったことから、日本政府はオリンピックの開催を返上。

1940年の東京五輪は「幻のオリンピック」となりました。

当時の東京朝日新聞は、万博の延期などとともにオリンピックの開催返上を報じています。

東京オリンピック返上を報じる東京朝日新聞

第二次世界大戦後では初めてとなるオリンピックが1948年にイギリスのロンドンで開かれました。

ところが、敗戦国の日本が参加することへの諸外国の反発などがあり、このときも日本は参加がかないませんでした。

 

日本がオリンピックに再び参加できるようになったのは、1952年のヘルシンキ大会です。

東京は、1960年の夏季大会の開催地に立候補しましたが、この時は候補7都市のうち最下位となり落選してしまいました。

こうした苦難を経て、ようやく1964年の東京オリンピックの開催が決まったのでした。

 

1964年10月10日、アジアで初めてのオリンピックが東京で開幕し、日本中が熱狂に包まれました。

1964年東京オリンピックの開会式=朝日新聞社

大会には94カ国・地域から合わせて約5500人の選手たちが集まり、15日間にわたって力と技を競いました。

 

あの熱狂から半世紀。

2020年の夏季オリンピック・パラリンピックが東京で開催されることが決まったのは、2013年9月のことでした。 

新型コロナウイルスの感染拡大を受けて1年延期になったものの、2021年7~9月、無事に開かれました。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年5月26日に公開した記事を一部修正して転載しました)