44年前の1978年5月20日、成田空港(新東京国際空港)が千葉県成田市に開港しました。

 

成田空港の建設が閣議で決まったのは1966年。

しかし、空港建設に対して地元農家らが反対運動を起こしました。

反対運動は過激派の活動家を巻き込んで激化し、その後も警察官3人が死亡した東峰十字路事件など「成田闘争」が長く続きました。

開港を4日後に控えた1978年3月26日には、活動家たちが管制塔に侵入して機器を壊す「管制塔占拠事件」が発生。開港は約2カ月延期になりました。

朝日新聞東京本社発行の1978年5月20日付朝刊

成田空港の開港を伝える当時の朝日新聞朝刊では、「全国から動員された一万三千人の機動隊に守られ、送迎人も見学客も締め出しての開港は、世界にも例のない、異様な開港である」と空港としては異例のスタートだったことが伺えます。

 

日本では成田空港の開港以来、国際線は成田、国内線は羽田という首都圏空港の「内際分離」の原則が約30年続きました。

成田空港の滑走路から離陸する航空機=朝日新聞社、2018年10月、成田空港

しかし近年は、「首都圏の国際競争力を強化するために羽田空港と成田空港の利便性向上が必要」という観点から、原則を見直しています。

成田空港の開港から40年を迎えた2018年5月20日付の朝日新聞東京本社発行の朝刊では、

「『24時間運用可能な羽田との一体運用は不可欠』と国土交通省は考える。羽田、成田の2空港を合わせて『東京の空港』として海外にアピールし、主に羽田は国内線と国際線を乗り継ぐ要衝、成田は国際線同士の乗り継ぎとLCCや貨物便の核として役割分担する戦略だ」

2018年5月20日付の朝日新聞朝刊

と、国際線は成田、国際線は羽田という原則が変わりつつあることを伝えています。

コロナ禍以降、成田空港の旅客数は激減しましたが、コロナ収束後に成田空港が担う「東京の空港」の役割はどう変わっていくのでしょうか。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年5月20日に公開した記事を転載しました)