52年前の1970年4月22日、大型旅客機ボーイング747を日本航空が初めて受領しました。

その2日後にあった「日航ジャンボ1号機」の引き渡し式の写真が朝日新聞社に残っています。

アメリカ・シアトル郊外にあるボーイング社格納庫で撮影されました。

日航ジャンボ1号機の引き渡し式の様子。大阪万博開催中の1970年7月、羽田-ハワイ・ロサンゼルス路線に就航し、大量輸送時代の幕が開いた=1970年、朝日新聞社

747シリーズはアメリカのボーイング社が開発し、「ジャンボ」の愛称で長く親しまれてきました。

機体前方が盛り上がった2階建て構造が特徴です。 

  

席数はそれまでの主力機だったDC8の約3倍で、国内仕様では500席を超えました。

日本に大量輸送時代をもたらし、多くの人にとって海外旅行が身近になりました。 

 

パイロットの待遇は破格だったようです。

1970年8月11日の朝日新聞の記事によると、日航は「ジャンボジェット機時代のパイロットは、企業人としての自覚と責任に目ざめることが必要」として、日本人機長全員を管理職に昇格させました。 

さらに、B747の管理職機長は「ジャンボ手当がつくため月給が七十万円(税込み)台と一流会社社長並みの高給取りになる」と報じています。 

ジャンボ機パイロットの好待遇ぶりを伝える1970年8月11日付朝日新聞(東京本社版)朝刊の記事

747シリーズは改良が重ねられ、多くの派生型が生まれました。

520人が犠牲になった1985年の日航ジャンボ機墜落事故の機体(ボーイング747SR型機)もその一つです。 

 

ただ、超大型ゆえの燃費の悪さは、2011年の日航破綻の一因にもなりました。

加えて近年の航空業界では、中・小型機で便数を増やし、乗客の利便性を高める戦略が主流です。

747シリーズは世界の空から消えつつあり、国内では日航が2011年、全日空が2014年に旅客機としての運航を終えました。 

日本の航空会社の旅客機として最後のフライトを終えた全日空ボーイング747型機の前に並んだ機長や客室乗務員ら。東京・羽田空港で=2014年、朝日新聞社

ボーイング社は2020年7月、747シリーズの生産を2022年に終了すると発表しました。

需要低迷を受け、ボーイング社は2016年ごろから生産終了を検討してきましたが、新型コロナ禍が決断を後押しした形となりました。 

  

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年4月22日に公開した記事を転載しました)