68年前の1954年4月20日、東京・日比谷公園で第1回全日本自動車ショウ(現在の東京モーターショー)が開かれました。

国内最大の自動車の見本市で、世界5大モーターショーの一つに数えられます。

「第1回全日本自動車ショウ」について振り返る東京モーターショーの公式サイト

ショーの公式サイトは第1回について「家庭の『3種の神器』は電気冷蔵庫、洗濯機、掃除機とされていた時代。クルマは庶民にとって『夢のまた夢』でしかなかった」と書いています。

当時の展示車はトラック・オートバイが大半でした。

 

その4年後、1958年10月10日付の朝日新聞の記事にはこうあります。

「わが国の自動車工業がトラック・バス中心時代から、先進国なみの乗用車中心時代へと、世界の仲間入りをしたその記念のショーでもある」「『どうやら今年あたりから、外国のお客にみせても恥ずかしくない水準に達した』と業界では自負している」。

翌年に乗用車の輸入自由化を控えた1964年の第11回には、初めて海外メーカーが参加しました。

5回目のショーについて報じる1958年10月10日付朝日新聞朝刊(東京本社版)の記事

転機は1973年の第20回です。

閉幕後に翌年の休止が発表されました。

その理由について、1973年11月23日の記事は「国内は車であふれるまでになり、交通事故や大気汚染という車社会のマイナスの方が強調される時代になった。石油危機はさらに、こうした車批判に追い打ちをかける、とみられる」と書いています。

75年から隔年開催となりました。

 

その後、日本の自動車産業は隆盛を極め、バブル期には日本車輸出が米国との貿易摩擦を引き起こすほどになりました。

1991年の第29回には史上最多の200万人余りが来場しました。

東京モーターショーに出展したトヨタ自動車の高級車ブランド「レクサス」のブース=2019年、東京都江東区、朝日新聞社

一方、近年はショーのにぎわいに陰りが見えています。

海外メーカーの参加は年々減り、2017年の第45回の来場者数も77万人ほどに低迷。

SNSなどによる販促より費用対効果が悪い、市場として日本より中国を重視するメーカーが増えた、などの指摘があります。

ショーはこれからどう変わっていくのでしょうか。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年4月20日に公開した記事を転載しました)