29年前の1993年8月26日、東京湾をまたいで東京都港区芝浦と港区台場、江東区有明との間を結ぶレインボーブリッジが開通しました。

 

翌日付の朝日新聞朝刊(東京本社版)によると、開通式は台風11号の接近で強風と横殴りの雨の中で行われました。

レインボーブリッジ開通式で、大雨と強風のなか白バイが先導する皇太子ご夫妻(現在の天皇皇后両陛下)を乗せた車列が渡り初めをした=1993年8月26日、東京・芝浦、朝日新聞社

強風のため、テープカットなどのセレモニーは中止に。さびしい開通式になりました。

完成したレインボーブリッジ。橋の左の緑は幕末に築かれた第六台場=1993年8月22日、東京都内で、朝日新聞社

レインボーブリッジの正式名は東京湾連絡橋といいます。

臨海副都心と都心とを結ぶ上下二層のつり橋で、上階は首都高速道路、下階は新交通システム「ゆりかもめ」、一般道、遊歩道が通ります。全長は約800メートルあります。

 

橋の完成とともに、新たに首都高速11号台場線が開通しました。

開通を伝える朝日新聞の報道によると、レインボーブリッジは首都高速の都心環状線と千葉県、あるいは川崎市や横浜市との間を結ぶ首都高速湾岸線との新たな迂(う)回路として利用でき、首都高速の渋滞緩和につながることが期待されていました。

 

インスタ映えする橋の風景は首都東京を象徴す1コマにもなっています。2020年12月1日付朝日新聞夕刊は、東京五輪・パラリンピックの延期でいったん撤去された五輪マークのオブジェが再び「お台場海浜公園」に戻ってきたことを伝えています。

一時撤去されていた五輪マークのオブジェがお台場海浜公園の海上に戻ってきたことを伝える2020年12月1日付朝日新聞夕刊

東京都によると、当初はお台場側から見られることだけを想定し、片面だけの塗装でした。

しかし、付近のレインボーブリッジや「ゆりかもめ」からオブジェの「裏側」を見た人たちが相次いで「裏面にも色を塗ろうよ」とSNSなどで発信。東京都はこうした声に応える形で「お色直し」をすることにしました。

 

8月24日に開幕した東京パラリンピックを前に五輪オブジェは撤去され、パラリンピックのシンボルマーク「スリーアギトス」のモニュメントと交代。閉会式の9月5日まで毎晩ライトアップされました。

 

(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年8月26日に公開した記事を、一部修正して転載しました)