シンギュラリティって何? コンピュータが人間を超えた時に起きること
AI(人工知能)はどこまで進化するのか? 人間並みの知能を持つのか? あるいは人間を超えるのか? AIと人間の知能について、国内のAI研究の第一人者である中島秀之・札幌市立大学長が物語ります。
AI(人工知能)はどこまで進化するのか? 人間並みの知能を持つのか? あるいは人間を超えるのか? AIと人間の知能について、国内のAI研究の第一人者である中島秀之・札幌市立大学長が物語ります。
近年見聞きすることの増えた「シンギュラリティ」とは何でしょうか。
シンギュラリティは、元々は数学や物理学で用いられる概念で、「特異点」のことです。
数学の場合は「その点での関数の値が計算できない点」という意味です。
例えば y=1/x という関数(図1)で x=0 の時のyの値は右から近づくとプラス無限大、左から近づくとマイナス無限大となり、値が決まりませんから、そこを特異点と呼びます。
物理学では、例えばビッグバンの瞬間のように、宇宙の大きさがゼロの点を指します。
シンギュラリティの前と後(後が私たちの宇宙)では、物理法則すら変わってしまうかもしれないものです。
アメリカの未来学者で、グーグルのAI研究を率いる レイ・カーツワイルが2006年に "Singularity is Near" という本を書いて物議をかもしました。
この翻訳が2007年に日本で出版された時の邦題が『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』となっていたこともあり、AIが人類を置き去りにするのではないかという議論が起こりました。
ちなみにこの本の改訂版が2016年に出た時『シンギュラリティは近い』という邦題に変更されました。
コンピュータの世界には「ムーアの法則」と呼ばれるものがあります。
これは2、3年ごとにコンピュータの速度が倍になるという経験則です。
この倍々という進歩は、最初のうちは増え方がなだらかですが、ある地点を越えた辺りから急速な伸びを示し、その進歩の仕方はエクスポネンシャル(指数関数的)と呼ばれます。
2年で2倍だとすると20年で1000倍の速さになります。
この進歩を実感していただくために、実際のコンピュータの演算速度を表にしておきます。
3列目の FLOPSというのは計算速度を測る単位で、1秒間に何回の掛け算ができるかの目安です。
Tesla V100というGPU(Graphics Processing Unit=画像処理装置)は深層学習に使われているマシンです。
元々ゲーム機用に開発されたので画像処理に向いています 。
最近のスマホにもCPU(Central Processing Unit=中央演算処理装置)の他にGPUが入っているものが多いようです。
CPUはコンピュータの心臓です。
2019年のiPhone11 のCPUは富岳や京には負けるものの、40年前のスーパーコンピュータ(Cray-1)の1万倍の速度を持っていることがわかります。
皆さんのポケットにスパコンが入っているのです。
このようにコンピュータの計算速度がどんどん上がっていくと、その計算能力はいつか人間の脳に追いつき、追い越していくでしょう。
カーツワイルは、コンピュータが進化し、人類(個人ではなく人類全体です)の計算能力を上回る時点をシンギュラリティと呼びました。
日本語では「技術的特異点」と訳されています。
カーツワイルはそれを2045年と計算しています。
ここを越えると、プログラムがそのプログラム自身より能力の高いプログラムを作るようになり、人類の力を借りずにどんどん勝手に進化してしまうという状態になります。
グーグル傘下のAI開発会社、英ディープマインド社の 「アルファ碁」は2016、 2017年に人間のトッププロ棋士に勝ちました。
その後継プログラムである「アルファ碁ゼロ」は自分自身との対戦から学び、勝手に強くなっていきました。
もはや人間は相手になりません。
ただ、 コンピュータ将棋や囲碁が強くなってプロ棋士は困っているかというと、全くその気配はありません。
むしろ喜んでコンピュータから新しい定石などを学び、活用しています。
コンピュータプログラムを道具として、人間の棋士が強くなっているのです。
シンギュラリティの話に戻ります。
速度が速くなっただけでは知的になるとは限りません。
そこでカーツワイルは人間の脳の動きをコンピュータ内で再現すればいいと言います。
実際、最近話題になっている深層学習は、神経回路網という人間の脳の仕組みをまねたシステムの上に作られています。
ですから、この深層学習の能力がどんどん拡大していく未来を想定してみてもいいでしょう。
いずれにしても、コンピュータが人間を超えるという状況を仮定した場合、この状態を吉とみなすか、凶とみなすかは意見の分かれるところです。
ちまたではAIが人類を置き去りにして進化すると心配する向きもあり、そういった著書も多数出版されています。
一方、 カーツワイルは(ちなみに私も)楽観論の立場です。
コンピュータ囲碁の場合と同様に、道具が勝手に進化してくれるというのはありがたいことではないでしょうか。
一般的にAI研究者は楽観的、そうでない人は悲観的と言えるようです。
悲観論者の中には、宇宙論で知られ2018年に亡くなった「車いすの物理学者」スティーブン・ホーキング も含まれます。
以前は「コンピュータは知能を持ちえない」という反論が多かったのに対し、最近は「コンピュータの知能が人間を超えるのはよくない」という反論に変わってきたのはおもしろい現象です。
最近では、何かわからないことがあればスマホで検索します。
多くの知識はインターネットを検索すれば手に入るのですから、それらをいちいち覚えておく必要はありません。
現状ではスマホに入力するか、その音声インターフェースに話しかける必要がありますが、将来的にはBMI(Brain Machine Interface=頭で考えただけで機械を操作できる技術)で脳と直結されることになるかもしれません。
スマホではなく、人間と同等、あるいはそれ以上の思考力をもったプログラムが脳と直結される(そういうチップが脳内に埋め込まれる)――。
カーツワイルはそういう世界を描いています。
カーツワイルはさらに、遺伝子工学やナノテクノロジーの発展により、がんなどの病気や、さらには老化のない人類が誕生すると予測しています。
1966年公開の映画「ミクロの決死圏」では、小型化した人間が体内で病巣の手術に当たりましたが、ナノボット(ナノメートルサイズのロボット)が同じことをするようになります。
ヘモグロビンより酸素含有量の多いナノボットを血液に入れ、水中などで無呼吸で長時間活動できたり、食物の吸収を抑えて無限に美食を続けられたりする、というような夢物語も描かれています。
つまり、AIや他のテクノロジーによって人間が生物としての限界を越えるとき、それがシンギュラリティだというのです。
ポストヒューマン誕生です。
実際にカーツワイルの描く夢物語のような世界が来るかどうかはわかりませんが、冪乗(べきじょう)で進歩するエクスポネンシャル・テクノロジーが多出することだけは間違いなさそうです。
カーツワイルの著書『シンギュラリティーは近い』の主なメッセージはむしろこちらの方です。
技術の進歩が加速していくのです。
『シンギュラリティは近い』には技術だけではなく、世界の変化が加速していることを示す図があります(図2)。
横軸は世界の時間の流れで、40億年前から現在までを示しています。
縦軸は次のできごとまでの時間を対数で示したものです。
上の方ほど時間がかかっている(変化が遅い)ことを示していて、左上の生命誕生から次の細胞の誕生までは30億年かかっていることが読み取れます。
次のカンブリア爆発までは10億年程度です。右へ行くほど急速に(桁が減るほど)変化の速度が上がっていることがわかります。
図2の上下を反転するとエクスポネンシャルな変化のグラフ(図3)になっているのがわかります。
図3からわかるようにエクスポネンシャル・テクノロジーは立ち上がりが遅く、最初のうちはほとんどゼロのあたりを横ばいしています。
しかし、いったん立ち上がるとそこから急激に伸びていくのです。
AIはまさにこのような立ち上がりを始めたばかりのところです。
カーツワイルはグーグルと組んでシンギュラリティ大学(図4)というのをカリフォルニアで運営しています。
大学と名がついていますが、正式な大学ではありません。
世界中から学生を集め、学費は全てグーグル持ちです。
700倍の狭き門だと聞きました。
(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年4月24日に公開した記事を転載しました)
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