「日本語で考える」が世界で戦う武器になる 言語の違いがAIに与える影響は?
AI(人工知能)はどこまで進化するのか? 人間並みの知能を持つのか? あるいは人間を超えるのか? AIと人間の知能について、国内のAI研究の第一人者である中島秀之・札幌市立大学長が物語ります。
AI(人工知能)はどこまで進化するのか? 人間並みの知能を持つのか? あるいは人間を超えるのか? AIと人間の知能について、国内のAI研究の第一人者である中島秀之・札幌市立大学長が物語ります。
今回はAIそのものというより、その裏にある考え方についてです。
当たり前のことですが、私たち研究者は考えるときに言語を使います。
日本の研究者は日本語で、アメリカの研究者は英語で考えます。
この言語の違いは研究結果を論文にするときだけでなく、そもそも何をどのように研究するかに深く関係しているのです。
最初に「言語相対性仮説」について見ていきます。
「思考する際に言語が使われるなら、思考はその言語の影響を受ける」という考え方のことです。
言語学者のウォーフが主に主張しましたが、その師匠のサピアとの共同提案として「サピア-ウォーフの仮説」と呼ばれます。
「サピア-ウォーフの仮説」には、強いものと弱いものがあります。
強い仮説(言語決定論):人間の思考は言語に規定される
弱い仮説(言語相対論):概念の範疇化(概念を分類すること)は言語・文化によって異なる
弱い仮説の有名な例は、色の分解が言語によって異なるというものです。
日本語だと虹は赤、橙(だいだい)、黄、緑、青、藍、紫の7色ですが、欧米では6色だそうです。
英語では青と藍の区別がなくなりred、 orange、 yellow、 green、 blue、 violetの6色になります。
さらにニュートン以前の英語では、orangeもなく5色だったそうです。
他には、エスキモー(カナダなどではイヌイットと呼ぶ)が雪に関してたくさんの単語を持っているという例もあります。
弱い仮説はほぼ正しいと考えていいでしょう。
ただ、それ以外の言語決定論を始めとするウォーフの考え方や証拠には反対意見も多く、私も必ずしも全てを支持しません。
ただ、言語が思考に与える影響を大きく取り上げた研究として、興味深いものです。
研究者の思考が言語の影響を受けていることは間違いありません。
このため日本の研究者と欧米の研究者でAIへのアプローチも異なって当然です。
ウォーフは言語による認知へのバイアスとして、次のような議論を展開しています。
ご存知のように英語は(ちなみに中国語も)SVOのような主語-述語-目的語といった語順で構文が定まります。
ここで大事なのは、語順によってそれぞれの要素の役割が決まっているという点です。
次の2文があるとします。
John loves Mary.
Mary loves John.
JohnとMaryの役割を示すのは順序です。
日本語だとどうでしょう。
太郎が花子を好きだ。
太郎を花子が好きだ。
このように、語順ではなく助詞(格助詞)で区別されます。
英語では、SがないVOは命令文になります。
平叙文にはSが必須です。
Sが特に何かを示さない場合はitを使います。
It flashed.(稲光がした)
この場合、何がflashしたのでしょう。
Itは何を指しているのでしょうか。
あえて書くなら
A light flashed.
とでもなりましょうか。
でも、これは同語反復ですよね。
flashするからlightが見えるのです。
ちょっと脱線します。
次の雷(thunderbolt)の写真は、雷対策専門メーカーの音羽電機工業(本社:兵庫県尼崎市)が主催する雷写真コンテストの受賞作品です。
"It flashed."どころではないですよね。
飛行場から飛び立った飛行機を稲妻が貫いています。
ちなみに稲妻の電流は飛行機の外壁に沿って流れるため、飛行や機内の乗客に影響はありません。
本題に戻ります。
英語(それ以外にもラテン系の言語は大概そうです)は文法上の制約で、主語が必要です。
この点が本稿の視点の問題と関係してきます。
日本語の場合は格助詞という便利なものがあります。
このため語順を気にせず、必要な要素だけを並べることができます(動詞や形容詞といった述語が最後に必要ですが)。
太郎が好きだ。
花子を好きだ。
太郎が花子を好きだ。
花子を太郎が好きだ。
という具合です。
言語学者・金谷武洋の著書『英語にも主語はなかった』(講談社)によると、この英語における主語の存在が、言語の記述の視点に影響しているといいます。
つまり、文に必ず主語があるということは、その文が何について語っているのかが常に明確にされるということです。
日本語には主語という概念がありません。
助詞の「は」や「が」は主語を表すものではなく、主題の提示に使われます(「今日はうどんを食べた」の主語は「今日」ではなく「私」や「あなた」でしょう)。
この辺りは言語学者の三上章著『象は鼻が長い』(くろしお出版)に詳しいです。
言語構造の違いがものごとを語るときの視点に影響します。
あるいは因果の方向が逆で、視点の違いが言語構造に影響しているのかもしれません。
まあ「鶏が先か卵が先か」のように、互いに影響しているのでしょう。
ものごとを記述したり、それについて考えたりしているとき、「そのものごとを外から眺めているのか」「そのものごとの中にいるのか」という自分の居場所のことを「視点」と言います。
視点の話題に入る準備として、世界観の話をします。
市川惇信・元国立環境研究所長の著書『暴走する科学技術文明』(岩波書店)によると、集団を統制する原理には大きく「力によるもの」と「規範によるもの」があります。
前者の例は動物、後者の例は人間です。
「規範によるもの」はさらに「無矛盾世界観」と「容矛盾世界観」に分けられます。
前者の例が西洋の一神教、後者の例が日本の村社会です。
私はこれにヒントを得て次の図を描いてみました。
左側が無矛盾世界観です。
黄色い円が社会で、小さなオレンジ色の円が個人、赤い円は後述しますが視点です。
集団の構成要素である個人は、超越的な、社会の外にある規範(例えば神)との関係の下で暮らしています。
右側が容矛盾世界観です。
大きな社会(例えば国家)とそれに含まれる小さな社会(企業や家庭)の間では規律が違っていても構いません。
集団の構成員が気にするのは仲間であって、超越的な存在はありません。
無矛盾世界観の社会では、規律を守りさえすれば(キリスト教でいえば洗礼を受ければ)構成員として認められます。
一方、容矛盾世界観の社会では、集団の構成員はほぼ固定で決まっています。
かつて日本には「村八分」というのがありました。
これは構成員から無視されるという、きつい懲罰です。
さて、図の赤丸を視点として捉え直してみましょう。
無矛盾世界観ではシステムの外側に視点があります(外部視点)。
自然科学はこういう視点を採用していて、研究者は観測対象に外部からの影響を与えないようにします。
容矛盾世界観ではシステムの内側に視点があります(内部視点)。
社会学や複雑系の視点はこれです。
例えば経済の専門家が「株価が上がる」と予想すると、みんながこれを信じて株を買うので、実際に株価が上がるということが起こります。
つまり内部視点はシステムに影響を与えるのです。
かなり乱暴な分け方をすると、科学は外部視点、工学は内部視点を採ります。
AIは知能を構成して見せる工学ですから後者です。
ただ、自然科学の外部視点というのも崩れ始めているように思います。
自然科学、特に物理学は外部視点から世界を記述する学問でした。
ニュートン力学などはその典型でした。
観測者は観測対象の外にいて、観測対象との相互作用なしに(あるいは極力小さくして)実験を行います。
ところが、アインシュタインの相対性理論の頃から、絶対的視点というものが崩れ始め、「時間経過は観測者によって異なる」という理論が出てきました。
量子力学では、この観測という行為が観測対象に影響を与えるということが理論の中心になってきました。
この分野の創成期に、湯川秀樹博士を始めとした日本人が多くのノーベル賞級の研究をしたのも、日本語の視点と無関係ではない気がします。
世界の万物は「ひも(紐)」から構成されるとする「超ひも理論」に見られるように、最近の物理学は必要なエネルギーが大きすぎて実験できない領域に踏み込んでいます。
ある物理学者に「理論家が、自分の見たいものを検出する装置を作って、見たいものを見ているだけではないか」と尋ねたら、肯定的な答えが返ってきました。
イタリアの物理学者、カルロ・ロヴェッリは著書『時間は存在しない』(NHK出版)の中で、「時間の矢」(筆者注:時間が過去から未来に向かって一方向に流れることを指しますが、物理学ではきれいな説明ができていません)は物理学的実体ではなく、人間の認知システムが産んだものだと書いています。
言語学者の金谷武洋は前述の著書『英語にも主語はなかった』(講談社)の中で日本語と英語の視点の差に注目し、一般的に英語は神の視点、日本語は虫の視点から情景を記述している、と主張しました。
もちろん例外も多いのですが、この視点からの記述が自然だということです。
その典型例の1つが次の例です。
上記の金谷の著書に出てくるのですが、NHK教育テレビ(現Eテレ)の番組で言語学者の池上嘉彦が紹介した実験から引用します。
有名な川端康成の『雪国』は
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
という一文で始まります。
この情景を思い浮かべてみて下さい。
一方、川端の翻訳を多く手掛け、川端がノーベル文学賞を受賞するきっかけを作った翻訳家エドワード・サイデンスティッカー(彼は親日家で、晩年は上野・不忍池の近くで暮らしていたそうです)が英訳した文は以下のようになります。
The train came out of the long tunnel into the snow country.(その列車は長いトンネルから抜けて雪国に出てきた)
これらを読んだ人たちに情景を絵にしてもらいます。
次の図を見て下さい。
日本語の場合、汽車に乗っている乗客の視点から描いた絵(左)になるのに対し、英語の場合、汽車がトンネルから出てくるのを上空から眺めている絵(右)になるそうです。
日本語では主語「汽車」がはっきり示されていないのに対し、英語では主語として現れている点に注目です。
汽車に乗っている虫の視点からは汽車を明示する必要がありませんが、上空から俯瞰する神の視点からは汽車を明示しないと記述が始まりません
ここではビジュアル的にわかりやすい『雪国』を取り上げました。
日本語と英語の視点が異なる例は、池上嘉彦の著書『英語の感覚・日本語の感覚』(NHK出版)にたくさん載っています。
よく「日本語は英語に比べて論理的でない」とか「曖昧(あいまい)だ」とか言われます。
しかし、これは言語の使用を外側から見る、つまり使われている状況と切り離された視点から見ることによる誤解だと私は考えます。
日本語の文章は、それが語っている状況を思い浮かべることで理解できます。
これを、言語の「状況依存性」と言い、AIでも重要な概念です。
状況依存性は、状況の外にある神の視点からは使いにくく、状況の内部にある虫の視点でこそ使えるのです。
これは知能と環境の関係として重要な概念です。
視点の差は言語以外の様々なところに表れます。
次の図は欧州と日本の庭園デザインの違いの例です。
ベルサイユ宮殿はご存知のようにきれいな幾何学模様で造られています。
これは上空、あるいは建物の高階(ベルサイユ宮殿では鏡の間からの眺めが良いそうです)からの景観(鳥の視点)を意識したものです。
一方の桂離宮は上空から眺めてもよくわかりません。
庭園の樹々の間を歩いたとき(虫の視点)に美しいようデザインされています。
日本語と英語の視点が異なるように、それらを用いて思考する欧米の研究者と日本の研究者は、知能観にも差が見られます。
日本語では自然と状況依存性、つまり「環境にあるものは言葉として明言しなくても通じる」という立場をとることが多いのです。
私は学生時代に1年間、当時AIの最高峰であったマサチューセッツ工科大学(MIT)に文部省(当時)の支援で留学させていただきました。
最初のうちはアメリカの素晴らしさに感嘆していましたが、徐々に「アメリカの研究に対抗する武器は、自分が日本人だということしかない」と考えるようになりました。
韓国トップクラスの大学であるKAIST(Korea Advanced Institute of Science and Technology=国立韓国科学技術院)では英語で教えていると聞きますし、日本でも英語で教えるべきだという議論があります。
しかし、私は世界レベルの研究をするには、日本語で考えることを武器にすべきだと考えています。
環境との相互作用を大事にする状況依存性の考え方をAIのプログラムに応用すると、環境の中にある情報はわざわざ表現せずに、そのまま使えばいいことになります。
これを私は「環境に計算させる」と表現しています。
登山の番組を見ていたら、ちょうどいい例がありました。
石や岩の散乱したガレ場を登るとき、うっかり浮石(グラグラする石)に乗ると危険です。
初期の頃(1970~80年代)のAIの構築になぞらえると、石をよく観察し、構造を数式で表現し、力を加えるシミュレーションを行い、安全とわかったらその上に足を乗せる、という順序が正しいです。
しかし、インストラクターが言うには、軽く足をかけて動かなければ、そのまま乗ればいいそうです。
安全かどうかを石に計算させている、とも言えます。
今回は日本語の視点と英語の視点を比較し、それを研究者の視点にまで拡大解釈しました。
単純化のため日本とアメリカ(あるいは欧米)という言い方をしましたが、もちろんそんな単純な話でないのは理解しています。
欧米の思想家や研究者にも、環境との相互作用を重視する人は多く存在します。
これについては別の回で書く予定です。
(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年6月28日に公開した記事を転載しました)
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