レコード針の苦境で社運をかけた新商品 メーカー4代目が奔走した営業
兵庫県新温泉町の日本精機宝石工業(JICO)は、世界的なレコード針メーカーとして知られています。4代目社長の仲川幸宏さん(57)は、CDの普及でアナログレコードの需要が落ち込んでいた時期も、会社の生き残りをかけて新商品の売り込みに知恵を絞り、後継ぎとしての営業力を身につけました。
兵庫県新温泉町の日本精機宝石工業(JICO)は、世界的なレコード針メーカーとして知られています。4代目社長の仲川幸宏さん(57)は、CDの普及でアナログレコードの需要が落ち込んでいた時期も、会社の生き残りをかけて新商品の売り込みに知恵を絞り、後継ぎとしての営業力を身につけました。
目次
JICO本社がある新温泉町は、日本海に面した兵庫県北部に位置しています。江戸時代から明治時代にかけて「浜坂針」と呼ばれる上質な縫い針の産地として栄えました。
1873年創業のJICOも、縫い針製造にルーツを持つ新温泉町の町工場の一つです。現在は縫い針を製造していませんが、ダイヤモンド素材を用いたレコード針が売り上げの約3割を占め、今も看板事業となっています。
売り上げの約7割を占める稼ぎ頭は、ダイヤモンド素材の加工技術を生かした切削工具の先端部分(回転ビット)などの産業用機械工具です。同社では職人を中心に60人弱の従業員が働いています。
JICOの企業ブランドを担うレコード針は、いわゆる「サードパーティー」の逸品として世界に知られてきました。
今もレコード針約2200種類超を生産する能力を維持し、メーカーの純正品に劣らない技術で世界に評価されています。メーカー純正品のレコード針が生産終了したときには、レコードファンの「命綱」として頼られてきました。
レコード針は売り上げの9割を海外向けが占め、最盛期には年間20万本のレコード針を製造していました。
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最近はダイヤモンド素材供給が困難になっていることから、年間1万5千本程度を製造しています。多くの顧客に待ってもらう状態が続いていますが、JICOにしか作れない針も多いことから注文が途切れません。
まさに同社の看板を背負うレコード針ですが、CDの普及後、長きにわたって売り上げに占める割合が1割未満にまで落ち込んだ時期が続いていたそうです。
少し前まで市場自体の将来性が危ぶまれていたなか、レコード針の製造を続けてきたのは、4代目の仲川さんの父(先々代)が次の遺訓を残したからでした。
「必要とするお客様が1人でもいるかぎりレコード針の生産を続けよう」
現社長の仲川さんは「だからこそ、先代の社長だった兄はレコード針事業を続けてきましたし、私も遺訓を受け継いでいます」。
レコードファンの中には古い機械を修理しながらでも使い続ける人が大勢いるといいます。
「私も機械が好きなので、古いものを直しながら使い続けたい気持ちがよくわかります。レコード針メーカーとして求めに応じられるのがうれしいですね」
大阪で生まれ育った仲川さんにとって、JICOは母方の祖父母の家業にあたります。新温泉町の工場は夏休みや正月を過ごした思い出の場所です。
「芝生が敷かれていたり、コイが泳ぐ池があったり。工場と呼ぶにはすごくきれいな場所だと幼心に感じていました。ただ、私は次男だったので家業を継ぐことはまったく考えずに育ちました」
自身のことを「遊び人」と称する仲川さんは、大学時代には大阪にあるディスコに通うなかで、レコード文化に親しんできたそうです。
「あのころにめちゃくちゃたくさんのレコードを聴いたことが、今になって生きています。当時は遊ぶことだけを考えていましたが(笑)」
仲川さんは1990年に大学を卒業した後、映画「ウォール街」にあこがれて証券会社に就職します。証券マンの華やかな舞台を想像していましたが、仲川さんが配属されたのは四国の農村でした。
「田んぼのあぜ道をスーパーカブで走って営業するような毎日でした。呼び鈴を鳴らして飛び込み営業したり、株券を受け渡しに訪問したり。イメージからあまりにかけ離れていて、悶々とした日々を送っていました」
仲川さんは92年、先々代の社長だった父の体調不良をきっかけに家業に入りました。「実は、父より先に他界した母の看病は兄に任せっきりでした。今度は自分の番という思いで父を支えるために、実家に帰ることにしました」
仲川さんはJICOの営業マンとしてキャリアを歩み始めます。父からは当初、役職付きの立場を提案されたそうですが、「器に合わない役職はやりたくない。他の社員と同じように平社員から始めさせてほしい」と営業の最前線に立ちました。
入社から約10年間担当したのが、当時の新商品だったCDプレーヤーのレンズクリーナーです。CDの形をしており、プレーヤーの読み取り部分(ピックアップレンズ)を清掃するための道具になります。
CDが隆盛を極めていた当時、レコード市場の落ち込みに悩まされていた先々代の社長が将来性を強く感じて立ち上げた新事業でした。既存の技術とはほぼ無関係の事業でしたが、他社商品を買い集めて構造を分析し、自社製品を開発しました。
「特に注力したのがOEM生産の提案です。各家電メーカーのCDプレーヤーの規格に合わせたクリーナーが設計可能というのを売りにしました。安価な海外工場とのコスト競争が厳しかったのですが、新しい提案を切らさず、アイデア勝負で飽きられないように工夫しました」
仲川さんは2000年に営業本部長に就任し、クライアントのメーカーと自社の技術部との橋渡し役を担うようになりました。「商談に慣れていない職人がクライアントに誤解されて嫌われないように、しばしば気をもみました」
例えば、クライアントがテスト規格の数字の算出根拠について何げなく聞いたとき、説明が苦手な職人がうまく答えられず、ぶっきらぼうと誤解されかねない場面がありました。
そんな時、仲川さんが間に入り、質問の意図をかみ砕いて説明するなどして場を取りなしてきました。
仲川さんは打ち合わせの場では、クライアントとの関係構築にフォーカスしています。その場の雰囲気作りにとどまらず、会食やゴルフなどで継続的に顧客との接点をつくるコミュニケーションに意識を向けました。
「難しい話は部下に任せたほうがスムーズです」という仲川さんが一番気を使うのは「クライアントの心の動き」といいます。「今日は1回だけでもこの人に笑ってもらおう、という気持ちでいるので、心が開いた瞬間に気づくことができるというわけです」
営業担当として忘れられない悔しい思い出もあります。それは、レンズクリーナーをCDだけでなくLD(レーザーディスク)にも展開しようとしたときのことでした。
あるメーカーを訪問したとき、客先の技術者から厳しく非難されてしまいました。レンズクリーナーの仕組みは、裏面についた小さなはけを、ディスクが回転するたびにピックアップレンズと繰り返し触れ合わせることで汚れを取り除くというものです。この仕組みがメーカーの技術者の逆鱗に触れました。
商品の「頭脳」にあたるピックアップレンズに、想定外の方法で接触するレンズクリーナーについて「子どもの頭がたたかれているみたいだ」と感情的に拒絶されたのです。
「好き嫌いの話なので私はなにも言えなくなり、同行した営業マンと新幹線で慰め合いながら帰りました」
ただ、その他のメーカーには受け入れてもらうことができたといいます。「最初に持ち込んだ先でこっぴどく批判されましたがあきらめませんでした。当時、カラオケ人気で普及が進んでいたLDに将来性を感じていたからです。その後のDVDのレンズクリーナーの開発にもつながりました。一度の失敗であきらめてしまわなくて良かったと思います」
後継ぎとして試される場面もありました。新規取引先との初商談で、クライアントの重役からいきなり、大幅値引きを迫られました。
「あんた社長の息子なんやったら決定権持ってますやろ。値段をこれだけ下げてもらえんやろか」
相手の眼光を見て「これは僕を試しているな」と感じた仲川さん。「真っすぐ受けてはいけない」と察知し、あえて返答せずに話題を変えました。
ひとしきり商談が終わったあと「まあ最初のことやし、これだけ下げるというのはどないや」と妥当な金額で落ち着いたそうです。
「商談では後継者という立場が生きるときもあれば、シビアな場面もあります」と語ります。
自らの営業哲学について仲川さんは「商談では目の前の相手と向き合うことが肝心。だから、事前情報もシミュレーションも不要です」と言います。
「相手は昼ご飯を食べてきたのか、体調は万全か、今日の機嫌はどうか、野球とサッカーのどちらが好きか、心はどれだけ開かれているか。そんな風に相手を思いやるとうまくいきます」
仲川さんが後継ぎとしてステップをのぼると、ずっと苦境だったアナログレコードに光が差し込みはじめました。4代目の反転攻勢が始まります。
※後編は、社長に就任した仲川さんが取り組んだ技術継承の取り組み、新しいレコード針やカートリッジの開発など、家業の成長戦略に迫ります。
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