ビジネスも“アート思考”で考えてみませんか。異なる角度から物事を見る力
「自分なりの視点」で世界を見つめ、「自分なりの答え」を生み出す“アート思考”がビジネスの世界で必要な力になりつつあります。美術教師の末永幸歩さんがアート思考を身につけるためのレッスンを展開します。初回は「アートの基礎」についてです。
「自分なりの視点」で世界を見つめ、「自分なりの答え」を生み出す“アート思考”がビジネスの世界で必要な力になりつつあります。美術教師の末永幸歩さんがアート思考を身につけるためのレッスンを展開します。初回は「アートの基礎」についてです。
ようこそ「アート思考レッスン」へ。
私は国公立の中学・高校で「美術科」の教師をしてきた末永幸歩と申します。このコラムでは、若手のビジネスパーソンに向けた「アート的なものの考え方」をお伝えしていきたいと思います。
初回は19世紀のフランス人アーティスト、ポール・セザンヌの『リンゴのかご』という油絵作品を鑑賞して、物事を異なる角度から考えてみましょう。
セザンヌは「近代絵画の父」と称され、印象派の文脈で語られることも多いので、日本でもよく知られるアーティスト。
卓上の静物画を数多く遺しているのですが、その代表作の1つがこちらの作品です。
セザンヌの作品といわれると、「なかなか良い絵だ」と感じられるかも知れません。
ただ、ここではこの作品を「アートの基礎はできている?」という観点で、あらためてよく見てみたいと思います。
アート(ここではとくに絵画)の「基礎」といえば、
・ものの形が正確にとれているか?
・遠近法で奥行きを出せているか?
・陰影が正確に描けているか?
など、「本物そっくりに描く腕前」というところでしょうか。
『リンゴのかご』をよく見ると、中央の瓶は左に傾き、右のお皿の形も微妙に歪んでいます。テーブルの輪郭はつながってさえいません。右側と左側で傾きが違っているように見えますし、奥行きもあまり感じられません。
右端のリンゴの影は妙に長く伸びていて、他の影と釣り合っていません。
高く評価されている静物画であるにもかかわらず、見れば見るほど「基礎がなっていない」と思えてきませんか?
では一体なぜ、セザンヌはこのような静物画を描いたのでしょうか。
そしてなぜ、セザンヌが「近代絵画の父」といわれ、評価されているのでしょうか?
普通、目の前にあるものを描こうと思ったら、見えたままのものをできる限り忠実にキャンバスに描き出そうとするはずです。
その場合キャンバスには、その瞬間に自然がたまたま見せた姿を描くことになります。
例えば、自然がたまたま見せた光の当たり方や影のつき方を描き写すことになりますし、そのものの形を画家が作為的に変えるわけにはいきませんよね。
しかし、セザンヌはそこに疑問を抱きました。
「その瞬間にたまたま自然が見せた姿を写しとるだけでいいのだろうか。永続性のある絵画を描くには、画家が絵を『つくる』必要があるのではないか」
そうして生み出されたのが、『リンゴのかご』。
セザンヌの目の前にあった実物の瓶は、きっと真っ直ぐに立っていたことでしょう。テーブルも、歪んではいなかったはずです。
しかし彼は、瓶をあえて少し左に傾けて描いたり、テーブルの輪郭線を意図的にずらして描いたりすることで、「目の前の風景を写しとる」のではなく、キャンバス上で「自分で絵をつくる」ということをしたのです。
写実絵画が主流だった19世紀末に、セザンヌは「目の前にある物の姿を借りつつも、自分で画面を再構成する」という表現を生み出したのです。
絵画の場合を考えたとき、アートの基礎は「目の前のものを本物そっくりに写しとる技術」と考えがちです。
しかし、セザンヌの生み出した表現、「自分で画面を再構成して絵をつくること」は、「絵画は目の前の世界を写しとるものである」という従来の絵画の意味を塗り替えてしまいました。
目的が変われば、そのための「基礎」だって変わってもおかしくありません。
星の数ほどいるはずの他のどの画家たちではなく、セザンヌこそが「近代絵画の父」と称され、死後100年以上経つ現在でも彼の絵画が生き続けているのは、セザンヌがそれまでの絵画の常識に疑問を抱き、自分なりの表現を生み出したことにあるはずです。
では、アートの基礎とは一体どのようなことでしょうか?
この問いには正解はありません。当たり前を疑い、答えが1つではない物事について自分なりの答えをつくってみる――。それこそが、「アート思考」の本質です。
みなさんもぜひ、「アートの基礎って?」という問いについて考えを巡らせてみてください。
(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年3月29日に公開した記事を転載しました)
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