マナーは誰のため? 目の前の相手に「本当の配慮」をしていますか
クリエイティブディレクターの辻愛沙子さんが社会課題やジェンダー、若者文化を起点に、これからのビジネスパーソンに求められることを考えます。
クリエイティブディレクターの辻愛沙子さんが社会課題やジェンダー、若者文化を起点に、これからのビジネスパーソンに求められることを考えます。
目次
令和に生きるビジネスパーソンのみなさんと、スキルやノウハウといった“前に進むための知恵”ではなく、倫理や文化といった“立ち止まり見直すためのきっかけ”あるいは“豊かさを考えるためのきっかけ”を共有したい。
そんな一見ビジネスパーソン向けらしからぬこの連載。
今回は「マナー」について、考えていきたいと思います。
ビジネスシーンでよく耳にする「マナー」。
そもそも、いったい誰のため、何のためにあるのでしょうか。
相手に不快感を与えないためや、相手にリスペクトを伝えるためというのが一般的ですが、“不快感”の尺度って人や状況によって違うと思うのです。
たとえば、タクシーの席順。
最も奥にあたる後部座席の右側が上座です。次が後部座席の左側。後部座席に3人が掛ける場合は中央がその次で、最も下座は助手席・・・というのが暗黙のルール。
しかしタクシーのドアは左側が空く仕様になっているため、
「右奥にある上座の席が本来最も座りづらい席なのでは・・・」
と、このマナーをいつも疑問に思っていました。
スカートを履いているときに奥の上座に座ろうとすると、裾が広がってしまったり、体勢に気を使ったりと煩わしいし、重い荷物を持っている時は持ち上げて奥まで置くのが大変だし、雨が降っている日は奥まで傘を持ちながら移動するために足がビチョビチョになってしまいます。
配慮と忖度の先に、狭い車内を左から右へ座席をまたいで移動する煩雑な動作が待っているわけです。一体、誰のためのマナーなのでしょうか。
もしも、クライアントに足の不自由な方がいたら。
もしも、上司の左耳が難聴だったら。
もしも、社長がスカートを履いていたら。
配慮は画一的にするものではなく、目の前にいる人にとって、「何が一番心地が良いのか」に向き合って、考えて、想像することなのではないでしょうか。
そしてそれは、きっと目上の方に限らず、誰に対しても等しく必要なことだと思うのです。
ちなみに私でいうと、身体的には右耳が難聴なので、タクシーの場合、後部座席の右側の席だと会話ができて嬉しい。
でもスカートを履くことが多いのでその点では不便だし、複数人の会話が苦手なので、4人の時は積極的に助手席に乗ることもあります。
何が必要で、何を避けたくて、何だったら特に気にならなくて、何に居心地の良さを感じるか、は人それぞれ。
絶対的なルールやマナーに捉われず、その場その場でいいじゃありませんか。と、毎度のことながら思います。
もう1つ不思議に思うのは、名前の呼称マナー。
「社外への社内メンバーの呼称は、役職関係なく苗字呼び捨てに」という謎マナーに対して、私はいつも違和感を覚えます。
そもそも私は普段、年齢や役職に限らず基本全ての方に敬語で話すのですが、そうなると呼称も必然的に「苗字」+「さん」になることが多いわけです。ニックネームが社内で普及している場合はそれで呼ぶこともあります。
それは、相手によって態度や丁寧さを変えたくないから、という意志によるもの。
誰もが持っている無意識のバイアスによって、目上の方とそうでない方、また性自認の違いなどから無自覚のうちに対応に差が出てしまうことを避けるためです。
自分以外の相手には、年齢や役職に関係なくリスペクトを持って接したいと思っているのです。
そんな中で、社外の方とのやりとりで社内のメンバーの名前を挙げる時に、苗字を呼び捨てで呼称するマナーに対して余計に違和感が生まれます。
目上の方を呼び捨てにする違和感はもちろん、そうでないメンバーも普段からお互いを苗字で呼び捨てにすることはほぼしないわけです。
社内といえど、自分とは別の人間。自分以外の存在までまとめて勝手に謙遜するより、できる限り丁寧に紹介したい。毎度どうしようか悩みながら、基本的には「さん」付けで呼称しています。
他にも、「ドアのノックは3回」だったり、メールの頭に入れる「お世話になっております」のような定型文だったり、「取引先で出されたお茶は手をつけない」だったり、「印鑑はお辞儀をするようにやや左に傾けて押す」だったり。
最近だと、TPOに合わせたマスクの色味だったり、リモート会議の時は必ずカメラをオンにするだったり、誰が決めたのかもわからない謎マナーが日々たくさん生まれています。
こういった暗黙の了解的“マナー”に対して、思考停止して定型のように使う風習が、「相手がどんな事を求めているのか」「相手がどんな事を苦手とするのか」という相手への想像力をどんどん奪っていくように思うのです。
もちろん秩序を保っていくために最低限必要なルールはあるのかもしれません。
それでも、マナーは相手を思っての言動を指すわけですから、杓子定規に決めるより相手に合わせて考えながらアクションした方が、よっぽど相手への配慮や気持ちがあるというもの。
過剰包装が環境に負荷を与えるように、誰のためにもならない不必要なマナーが、社会の無駄を生んでいるのではないかと思うのです。
都度相手に合わせて想像力を持って対応するのは難しいし、面倒だからマナーが存在するんじゃないか! というご意見もあるかと思います。
しかし、想像力というのは人間の持つ最大の能力の1つ。自分で考えるのが大変だからマナーに沿って行動しましょう、ではAIと同じです。
相手によって対応も変わるし、行動を起こす側にも当然考え方に多様性がある。だからこそ、コミュニケーション1つでもそれぞれの個性がはっきりと現れ、人間関係が豊かになると私は思います。
また、個人だけでなく、職種や職場環境によってもタイプや振る舞いはそれぞれ違って当たり前ということも、大事な視点なのではないでしょうか。
たとえば、営業職の方とエンジニアの方と企画職の方では、求められる能力も当然ながら違います。
営業職の方はコミュニケーション力や管理能力が求められるし、エンジニアの方は技術や集中力が求められるし、企画職の方はアイデアや創造性が求められるわけです。
社会人の基本として、目を見て挨拶することや、細かくコミュニケーションが取れることを最低限のマナーと捉えられることが多いと思うのですが、それすらも一律である必要ってないのではと思うのです。
もちろん相手に不快な思いをさせないかどうかは大事ですが、誰もが同じように大きな声で挨拶した方が相手が不快にならないかと言われれば、きっと職種や性格によるのでは、と。
私は「適材適職」という言葉を好んでよく使います。先ほどお話したように、人それぞれ能力や性格によって適した環境や職種やコミュニケーションスタイルがあるという意味です。
転職や副業が当たり前の時代である今、大企業に生涯属して、会社に自分を合わせていく働き方から、自分に合わせて相性のいい職種や業種や企業を決めていく、流動的な“相性”の時代に変化しつつあるのではないでしょうか。
それと同じく、何が得意で何を不快に思うかは職種や人にとって様々。
たとえばエンジニアは大きな声で挨拶ができることよりも、集中して作業に没頭できることが仕事の上では必要だし、コミュニケーションを無理に一律で強要する必要があるのだろうかと思うのです。
大企業やベンチャーといった環境の違いでも空気感は違うし、それによって“当たり前”は変わりますよね。それくらい、マナーというのは絶対的なものではないのです。
必要なことや居心地のいいコミュニケーションは、本当に多種多様。人によっても、職種や環境によってもそれぞれです。
誰のためなのか分からない「マナー」に振り回されるよりも、目の前にいる相手に向き合い、想像することが、本当の配慮ではないでしょうか。
新生活が始まり、日々分からないことに追われている新社会人の方も、もしかするとこの記事を読んでくださっているかもしれません。
覚えなければいけないマナーに不安を感じている方もいらっしゃるかもしれません。
そんなあなたに、画一的なマナーも知っておいて損はないけれど、社会は案外もっともっと自由で多様性にあふれている、ということを、この記事と私自身を通じてお伝えできていれば嬉しいです。
(朝日新聞社の経済メディア「bizble」で2021年4月26日に公開した記事を転載しました)
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